●一時に比べて、最近はあんまり使われることも多くないですけど…
セカイ系、という言葉がありますね。
僕はこの言葉、勝手に解釈しています。
「お話で、自分の内面を描いている内容が、いつの間にか宇宙や世界の本質や真理に関わる、考察や現象に直結してしまう」
…そんなストーリーの物語を指すように、感じてます。
なぜ急にこの言葉を思い出したかというと。
たまたま、テレビで「まどか・マギカ」の特集をちょっと観たからです。
●この作品、少し前にすごい反響を巻き起こして、社会現象とも言われたほどでしたね。
私は内容をよく知らなかったので、今回その特番を見て、ちょっと感じるところがありました。
「まどか・マギカ」はいわゆるストレートな「セカイ系」では無いかもしれません。
でも、意図するところは、先に述べた私なりの定義と、近いように思います。
「果たして、こんなに反響を巻き起こしてる、あの作品って何なんだろう?」
かなり不思議だったのですが、何となく謎が氷解したように思いました。
●ことばではナカナカうまく説明できないのですが(なら、文章書くな、と言われそうですが(笑))
ある表現があって、それを観る人なりに解釈する。そういうための作品、ではないでしょうか。
ミステリーや、ホラー、あるいは日常系のほのぼの話、ではない。
たとえば「まどマギ」を観ることで、自分の心の中にあるモヤモヤとか、「形にならない思い」を、それに投影、反映することができる。
そういう感じがしました。
●一昔前、いや、ふた昔くらい前かな。
こういう役割を担っていた、表現手段があります。
それは、「純文学」です。
いま、純文学はほとんぼ、風前の灯…というとオーバーですけど、
明治・大正や日本の近代文学の主流だった“純文”は、とくに若い人にはほとんど受けません。
でも、日本では明治文学あたりからこの方、“ブンガクでテツガク”をしてきたのですネ。
「まどマギ」は、映像を大きく取り入れた「現代の純文学」的な役割を、世の中で担ってるように感じます。
ほとんど思いつきで書いていますが、今度機会があったら、もっとよくこの作品に触れたい。
また、新たに考察してみたいなと思いました。
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ブクマつながり
もっと見る●何げにネットを見ていて、ギブスン(SF作家)と初音ミクについての記事が目にとまりました。
昨年のウィリアム・ギブスンさんの発言です。ちょっとまとめると…
・2010年頃に、ホログラムの初音ミクの映像を見てこう発言。
「初音ミクはちょっと趣味に合わないね。もっとアニメ臭くないのがいい」
で、初音ミク...<タマネギのエセ・エッセイ)> ◆ 雲の上から、ときどき天使(初音ミク)が降りてくる!
tamaonion
<Dear My Friends!番外編 クリプトン王国の「くるしみますパーティー」>
(クリプトン王国 王室)
カイト王「ねーねーめーたん?」
ゴスッ!
メイコ王妃の拳骨が頭部に直撃した。
カイト王「ぬぉぉ…」
メイコ王妃「貴方、最近だらしないんじゃないの?」
カイト王「だぁ~ってさぁ~、娘達...Dear My Friends!クリスマス番外編 クリプトン王国の「くるしみますパーティー」
enarin
ブースの前で、コヨミ君と、れおんさんは、にらみあって立っていた。
ザワザワ、と騒ぎ出した男の子たち。
それを見て、テトさんは思わず、コヨミ君に声をかけた。
「ねぇ、どうしたの? もめ事はよくないですよ」
フッと我に返ったように、コヨミ君は彼女の方を見た。
「あ、テトさん。ごめんごめん。ちょっと、大人...玩具屋カイくんの販売日誌(194) 新商品で勝負だ!
tamaonion
お店の売り場には、コスメや、美容関連のアイテムが、いろいろ並んでいる。
それを、レイムさんは目を丸くして眺めている。
「ワタシ、こういうの詳しくないんだわ~」
そうつぶやく彼女に、後ろを歩いているぱみゅちゃんは、諭す様に言った。
「そうそう。あんたはちょっと化粧っ気が無さすぎるからネ。少しは知っとい...玩具屋カイくんの販売日誌(179) レイムさんのオカルト理論 (その1)
tamaonion
「はーい。コーヒー、入りましたよ」
ルコ坊がカップに入ったコーヒーを、レン君たちに運んできた。
ちょっと不思議な雰囲気の、りりィさんのお店「星を売る店・上海屋」
りりィさんを送ってきたレン君は、美味しそうにそれを飲んだ。
「いつも、美味しいね。ルコちゃんの淹れるのって」
「へへ、どーもありがとう」
...玩具屋カイくんの販売日誌(187) 困ったヤツの目的は?
tamaonion
ゆくりさんのお店で、バイトのレン君が、青くなっていた、その頃。
東京・有明にある東京ビッグサイトで、人気のイベント「雑貨&コミック・フェア」が開かれていた。
企業のブースをはじめ、コミックやフィギュアを作る有志や同人の人たちが、それぞれにブースを出展している。
会場のホールの一角に、移動式自動車のカ...玩具屋カイくんの販売日誌(182) コミックフェアで、ひと騒動
tamaonion
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ご意見・ご感想
enarin
ご意見・ご感想
今晩は、次はエッセイ作品ということで、私もちと考察。
実は、まどマギの新番組としての放送分の後半は、あの”東日本大震災”に重なってしまって延期され、作品の内容的にも問題があり、ほとぼりが冷めた頃に、新聞1ページ全部使った大々的な”まとめ放送予告広告”(これは私も保存しました)を出して、後で残りをまとめて放送する、そういった経緯があります。
そして、まどマギ自体の内容が、キャラやタイトルデザインを全て裏切る、とんでもない”鬱展開”だったため、当時、大震災で、それでなくても情緒不安定になっていた私にとっては、とても見る事が出来ず、ずいぶん経った”再放送”で、勇気を出して、全話完走しました。
そんな”まどマギ”は、まさに監督の手腕、これに尽きるわけで、他の監督ではとてもこんな展開、出来る手腕はないと言われてます。まぁ、それだけ変わり者の監督、という事もありますが。
で、当の内容は、ネタバレになるので、あえて書きませんが、『メインシナリオはともかく、見る物の感性、それでどうとでも取れる』、という、不思議なアニメでした。
キャラ一人一人の、その時の行動から感情、展開まで。更に、とあるガイドキャラの言っている抽象的意味、イデオロギーまで、全部、”見る物が勝手に感じ取ってくれ”的意味合いを持ちます。なので、ラストの展開の意味も、たぶん、見る人で全部違っていると思いますよ。
そんなこの作品は、まさに、小説の”純文学”=やたらに具体的な表現の説明を押しつける表現を使わず、読者の感性で、感じ取ってくれ! そういう意味合いのある、そういうモノだと思います。
まどマギは、とても抽象的作品なので、難解ですので、あまり気楽に見られる作品ではないかも。
ではでは~♪
2013/12/03 23:39:22
tamaonion
enarinさん、メッセージ有難うございます!
そうなんですか。まどマギにはそんな経緯があったんですか。驚きです。
しっかり作品を見ていない自分としては、当時、ツイートのタイムラインとかで、知り合いが放送や配信を心待ちにしたりする様子を、不思議な目で眺めていました。
enarinさんの今回の説明で、まどマギの社会での捉えられ方、そして受け手の心など、すごく良くわかったように感じます。
つまり世の中で必要とされていたもの、もっと言えば、社会での欠落部分を埋める役割を持ったんでしょうね。
あの可愛らしいキャラ設定や絵が、そういう重い役目を受けられる、ということにも驚きますが、虚淵さんですか、監督さんの資質も優れたものがあったのでしょう。
難解ということですが、何らかの形で作品を味わってみたいと思います。ちなみに、文章の作品はあるのか、映像(アニメ)だけなのか、その辺も気になります。
メッセージ、どうもありがとうございました。
また、感想、意見を聞かせてくださいね。
では、また。
2013/12/05 21:57:37