そして、舞踏会が開かれる日が、やってきました。お屋敷の奥様は、娘を念入りに飾り立てると、馬車でお城へと向かいました。リンの父もいっしょでしたが、ほとんどおまけのような感じでした。
 リンは仕事を終わらせると――今日は、奥様たちが家で夕食を取らなかったため、仕事が少なかったのです――レンのところにやってきました。そして、部屋に置いてあったドレスを見て、ひどく驚きました。
「きれい……これ、どうしたの?」
 リンはそっとドレスにさわろうとして、あわてて引っ込めました。手を背の後ろに組んで、それ以上、触れないようにしています。ドレスを汚してしまうことを恐れたのでしょう。
「それは、君のドレスだよ。それを着て、舞踏会に行っておいで」
 リンはびっくりして、テーブルの上のレンを見ました。
「舞踏会って……」
「行きたいって、言っていたから。でも、まず、汚れを落とさないとね。あっちにお風呂が沸いてるよ」
 レンは、ひれで、向こうにある扉を指し示しました。必要なものは、ルカがすべて、用意しておいてくれました。部屋にはドレスに靴、装身具がそろっており、汚れを落とすお風呂も沸いています。リンの準備ができたら、外には馬車を待たせておくとも言ってくれていました。
「う、うん……わかった」
 リンは、扉の向こうに行きました。ほどなく、リンの歓声と、水をはねかえす音が聞こえてきました。
 やがて、リンはきれいになって、浴室から出てきました。汚れていた肌は白く透き通るようになっており、くすんでいた髪も、輝きを取り戻しています。それから、用意されていたドレスを手に取りました。月の光で編んだかのような、銀色をしたドレスでした。
「すごくきれい……着るのがもったいないくらい」
「君のために用意したんだから、着て」
 リンはドレスを着ると、これも用意してあった銀の靴をはいて、光る石をはめこんだ、銀の装身具を身につけました。そうするとリンは、どこかの国のお姫様のように見えました。きっと舞踏会でも、誰よりもきれいだろうと、レンはそう思いました。
「変じゃない?」
 リンは鏡に全身を映してみた後で、心配そうにレンの方を見て、尋ねました。
「大丈夫、きれいだよ。どこのお姫様だって、君にはかなわないさ」
 レンが優しくそう言うと、リンは安心したような笑顔を見せました。それから両手を広げて、鏡の前でくるくる回りました。そんなリンの姿を見て、レンは、ルカに頼んで良かったと思いました。
「外に馬車が用意してある。それに乗って、お城まで行くといい。招待状は、馬車の中にあるから。楽しんでおいで。でも……お屋敷の人たちが戻ってくる前に、帰ってくるんだよ。見つかったら、いろいろと厄介なことになるから」
「お魚さん、ありがとう。……あ、今日の分のパン、あげるね」
 リンはパンを細かくして、レンにくれました。それから池の外に出て、用意してあった銀色の馬車に乗り込みました。御者もいないのに、馬車が独りでに走り出します。やはり誰も開けないのに、門の扉が開きました。
 ルカの魔法は、屋敷の中までしか見えません。だからレンは、リンを乗せた馬車が走り去って行くのを、淋しい気持ちで眺めていました。自分はここで留守番なのです。それは仕方のないことでした。今の自分は、魚に過ぎないのですから。
 でも、できることなら、舞踏会の広間にいるリンを、一目見てみたかった。どうしても、そう思ってしまうのでした。


 真夜中に近くなるころ、リンは戻ってきました。ドレスの裾をなびかせ、きらきらした瞳で、リンはレンのところまで駆け寄ってきました。
「すごく楽しかった! ありがとう、お魚さん!」
 それは、このお屋敷に来てからというもの、リンが見せなくなってしまった、満面の笑顔でした。幸せそうな、明るい笑顔。喜ぶべきことなのに、レンの気持ちは沈んでいきました。
「……良かったね」
 沈んだ気持ちが声に出ないように注意しながら、レンはリンに声をかけました。リンが勢いよくうなずきます。そうしてリンは、今日あったことを、話し始めました。
「お城はね、広くて、とてもきれいだったの。明かりがたくさんついてて、どこもかしこもぴかぴかしてて、着飾った人たちがたくさんいたわ。言葉にできないくらい、すてきだった」
 レンは、城の広間のことを思い出していました。レンには見慣れた場所でしたが、リンにとっては、とても、胸躍る場所なのでしょう。
「それでね、王子様と踊ったの!」
 興奮した様子で、リンは話してくれました。広間に入っていったら、来ていた人たちがいっせいにこっちを見たので、思わず気後れして、その場に立ちつくしてしまったこと。そうしていたら、王子様――つまり、レンの兄のカイト――がやってきて、踊ってくれませんかと言ったこと。王子様の装いや物腰が、とてもすてきだったこと。踊るのは初めてだったけど、問題なく踊れたこと。きっとこの靴のおかげね、魔法の靴なんでしょう? とリンは言いました。
 リンは喜んでいるのに、レンはだんだん、話を聞くのが、辛くなってきました。でも、さえぎることはできませんでした。リンが幸せそうに話していたからです。
「リン……明日も行きたい?」
 リンの話が終わると、レンは尋ねました。舞踏会は、二日連続で行われます。このお屋敷の奥様とお嬢様は、明日も行く予定でした。
「……いいの?」
 リンは、ためらいがちに訊き返してきました。
「うん。リンが行きたいのなら」
 レンはそう言ってしまったものの、本当はリンを行かせたくありませんでした。夜の時間を、リンと二人で過ごしたかったのです。
 でも、自分の気持ちと違っても、それがリンの望みなら、リンを行かせてあげたい。レンはそう、思いました。
「わたし……行きたい」
「じゃあ、明日も行かせてあげるよ。そして、今日はもうドレスを脱いでお休み。疲れているだろう。朝が来てみんなが来る前に、あっちに戻らないとならないしね」
「……ええ。いつもありがとう、お魚さん」
 リンはドレスと靴を脱ぎ、装身具を外しました。そしてベッドにもぐりこむと、数分後には眠ってしまっていました。
 レンがリンの寝顔を眺めていると、馬車の音が聞こえました。どうやら、お屋敷の人たちが戻ってきたようです。普段、レンが魔法で意識を外に飛ばすのは、リンが働いている時だけでした。でも、今日は様子が気になったので、レンは魔法で外を見てみることにしました。
 ちょうど、馬車から奥様とお嬢様が降りるところでした。お嬢様は、ひどくむくれているようです。
「信じられない! あんな子が王子様と踊るなんて! それも舞踏会の間中、ずっとよ! どこの誰だか知らないけれど、王子様を独占するだなんて、ゆるせないわ!」
 お嬢様はいきり立っています。奥様とリンの父が、そんな娘をなだめていました。
「わたしの方がずっと魅力的なのに!」
 それは違う、と、レンはつぶやきました。もちろん、向こうには聞こえません。お嬢様は、そのまま怒りながら、屋敷の中に入って行ってしまいました。両親が後に続いています。
 一家が屋敷に入ってしまうと、レンは魔法の部屋に戻りました。ベッドでは、リンがぐっすり眠っています。いい夢を見ているのか、その表情は幸せそうでした。
 リンが幸せな体験をさせてあげたい、それがレンの望みだったはずでした。でも、レンは、素直に喜ぶことができませんでした。リンの笑顔が見られるのなら、どんなことでもしてあげるつもりでいたのに。


 次の日、また一家が舞踏会に出かけてしまうと、リンはレンのところにやってきました。この日用意してあったのは、太陽の光で編んだかのような金色のドレスで、そろいの金の靴と、金でできた装身具が、いっしょに置いてありました。リンは昨日と同じようにお湯を浴びて身体をきれいにすると、ドレスを着て靴をはき、装身具を身につけました。金色のドレスを着たリンは、昨日よりももっと、華やいで見えました。
 リンが自分の姿を鏡に映して、ためつすがめつしているのを、レンは沈んだ気持ちで眺めていました。もうしばらくしたら、行ってしまうのです。
「……お魚さん?」
 気がつくと、リンが心配そうにこちらを見守っていました。
「どこか具合悪いの?」
「そんなことないよ」
 レンは、あわてて返事をしました。リンはまだ、心配そうな表情をしています。
「具合悪いのなら、わたし、お魚さんの傍についてる」
「ちょっと考え事してただけだよ。君は舞踏会に行っておいで。せっかくきれいにしたんだから、たくさんの人に見てもらわなくちゃ。舞踏会がまた開かれるのは、いつになるんだかわからないしね」
 リンはまだ心配そうにしていましたが、レンが何度も「舞踏会に行っておいで」と言うと、「じゃあ、行ってくるね」と言って、ルカが用意した金の馬車に乗って、舞踏会へと出かけて行きました。
 一人になってしまったレンは、悲しい気分でため息をつきました。本当は、リンが「傍についてる」と言ってくれたとき、とてもうれしかったのです。でも、リンを引き止めることは、できませんでした。それは、してはいけないことなのです。
 今頃、リンはどうしているのでしょうか。今日も、兄と踊っているのでしょうか。そのことを想像すると、レンは辛くてたまらなくなりました。自分があんなに聞き分けのない子でなければ、もっと違う道も、あったかもしれないのです。あんなイタズラなど、しなければ良かった。レンは強く、そう思いました。もっとも、イタズラをしたからこそ、リンと出会えたのですが、その事実には、思い当たることができませんでした。
 やがて真夜中近くなったころ、馬車の音が聞こえました。レンは魔法で外を確認しました。リンを乗せた馬車が、戻って来たようです。リンは馬車から降りると、池のところまで来て、水に手を入れました。すぐに、いつもの部屋に戻ります。
「……お魚さん」
 昨日とは違い、リンには笑顔がありませんでした。その上、歩き方が変です。
「リン? どうしたの? 誰かにひどいことされた?」
 心配になったレンは、リンに尋ねました。魔法もあるし、リンに危険なことなどないと思っていたのですが、違ったのでしょうか。
「ううん、違うの。舞踏会は今日も楽しかったわ。きれいだったし、王子様とも踊った。でも……王子様にしつこく訊かれたの。どこから来たのかって」
「え?」
 レンの前で、リンは悲しそうに続けました。
「わたし、答えられませんって言ったの。でも、王子様は納得してくれなくて。振り切って逃げ帰ってきたんだけど……そのとき、靴を片方落としてしまったの」
 そこまで話すと、リンはドレスの裾を持ち上げて見せました。左の靴が、なくなっています。歩き方がおかしかったのは、このせいでした。
「……ごめんなさい、お魚さん。せっかく舞踏会に行かせてくれたのに、靴をなくしてしまったりして」
 落ち込んだ様子で、リンは謝りました。ですが、レンはほっとしました。リンは、ひどい目にあったわけではなかったのです。借りた靴を返せないことを、すまないと思っていただけなのでした。
「気にしなくていいよ。君が無事だったなら、いいんだ。もう着替えてお休み」
 リンはありがとうと言うと、ドレスを脱いで、ベッドに入って眠ってしまいました。レンはリンの寝顔を眺めながら、兄のことを考えていました。今日も、ずっとリンと踊っていたのでしょうか。
 そうしていると、また、馬車の音が聞こえました。お屋敷の人たちが戻って来たのです。レンは、魔法で様子を見てみることにしました。
 昨日と同じように、お嬢様は腹を立てていました。王子が、ずっとリンと踊っていたからです。レンは、それは当然だとは思いながらも、どこか淋しい気持ちを感じずにはいられませんでした。カイトは、二日続けてリンと踊ったのです。舞踏会には、華やかに着飾った、身分の高い令嬢がたくさん来ます。この家だって、ひとかどの家なのです。そういった令嬢たちを無視して、どうして素性の知れないリンとだけ踊ったのでしょうか。
 多少ひいき目は入っているでしょうが、リンは、とてもきれいで可愛らしい少女です。カイトじゃなくても、いっしょに踊りたくなるでしょう。そして……もしかしたら、それだけではないのかもしれません。
 レンは、以前両親から聞いた話を思い出しました。即位前、父がまた王子だったころ、舞踏会で、初めて母と出あったという話です。父はすぐに踊りを申し込み、母と舞踏会の間中ずっと、踊ったとのことでした。
 その話を思い出すと、レンの気分は、いっそう沈みこんでしまうのでした。

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい

昔話リトールド【金色の魚】その八

 勘違いしている人が多いのですが、ガラスの靴って、実はこの手の作品をリトールドする際に、ペローが追加した設定なんですよね。かぼちゃの馬車もそう。
 それ以外の話だと、この作品のように、最初の日には銀のドレスに銀の靴、二日目は金のドレスに金の靴というパターンが多いです。三日連続で、最初の日は銅、次の日は銀、三日目が金というパターンもあります。また、最初の日は月のドレス、二日目は太陽のドレス、三日目は星のドレス、なんてのもあります。

閲覧数:594

投稿日:2013/03/07 19:57:14

文字数:5,228文字

カテゴリ:小説

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