第六章 遊覧会 パート3
返答期限が迫ってきている。
奇しくも同じ日に、遊覧会への準備を進めていたミク女王はそう考えて深い溜息をついた。場所は緑の国の王宮、巨大な屋敷と表現される建築物の三階にあるミクの執務室である。返答期限とは勿論、カイト王に対する返答であった。この件についてはグミと何度も協議したが、未だに的確な返答が用意できていないという状態である。ミクもまた明日には王宮を出立しパール湖へと向かわなければならない。パール湖は緑の国の王宮からは三日の距離とはいえ、主催国としては一週間ほど早めに現地入りすることが肝要であると判断した為であった。同行する人物は参謀グミと直属女官であるハク。騎士団長のネルは緑の国の王宮に残り、留守を預かることになった。
どう返答することばベストか。
この三週間ほどで何度繰り返したか分からぬ疑問を心中に思い起こしながら、ミクはもう一度思索の海を漂った。この三週間の間、グミは何点かの提案を持って来ていたが、どれもベストとは言い難い。それはグミ自身も同様であった様子で、ミクが渋い表情を見せる度にグミもまた溜息をこぼしていた。今日もまた、グミとの会議になる。果たして良い案が出るのだろうか、と考えながらミクはグミの到着を待つことにした。少しは気を紛らわせようとミクは王宮に伝わる歴史書を紐解いたが、どうにも集中できず、その内容は全くもってミクの頭の中には入ってこなかった。
グミが訪れたのはそれから十分ほどが経過したころであった。その間に歴史書を何ページか捲ったような記憶はあるが、一体どの時代の文章を読んだものか皆目見当がつかない。過去から学べるものでもあればいいとは考えたが、男女の恋愛感情と国際関係について述べたページを残念なことにミクは発見することができなかったのである。その歴史書を執務机に置いたミクは、執務机から立ち上がるとグミを執務室の中央に用意されている来客用の長机に着席するよう促した。腰を落としたグミの向かいに、ミクも椅子にその身を納める。
「紅茶でも飲む?」
余り睡眠がとれていないのだろう。グミを労うつもりでミクはそう言った。眼の下に珍しく薄い化粧を施しているのは、眼の下にできた隈を隠す為だろうと考えたのである。
「頂きます。」
そのグミの言葉に頷いたミクは、長机の端に置かれているハンドベルを鳴らした。その音に反応して、執務室廊下側の扉の前に控えている近衛兵が執務室に入室し、直立不動の体制を取った。もう十年以上緑の国の王宮に勤務する、中年の男性である。
「ウェッジ、ハクに紅茶を二人分用意させて。」
「畏まりました。」
ウェッジと呼ばれた近衛兵は角度とキレを付けた敬礼でミクの要望に応じると、執務室から外出してゆく。執務室の扉が再び閉じられたことを確認してから、ミクはグミとの何度目になるか分からない協議を開始することにした。
「やはり、再度の引き延ばしをすることがベストかしら。」
ミクはそう言って話を切り出した。
「せいぜいベターと言ったところでしょう。」
グミがそう話を切り返す。そして、言葉を続けた。
「ただ、私は黄の国をこのまま見捨てるような行為はミルドガルド大陸にとってのマイナス要素であると考えております。」
「それはどのような意味?」
「おそらくカイト王は黄の国の国庫が尽きた段階でミク女王との婚約を発表し、同時にリン女王との婚約を破棄するお心づもりであるのではないかと考えております。当然青の国と緑の国、総合して東側二国と表現させて頂きますが、この東側と西側黄の国との関係は急速に冷却化することになるでしょう。その段階でカイト王は我が国と連合して黄の国へと攻め込むつもりではないでしょうか。最終的には青の国が黄の国を併合し、ミク女王との婚姻によって我が国も合併、ミルドガルドの統一を成すことが最終目的であると考えております。」
「ミルドガルド大陸の統一、ね。」
おそらくその戦略はカイト王の腹の中に納まっているのだろう。どうして統一の夢を持つようになったのかはミクには皆目見当がつかないが、ミルドガルド大陸が完全な意味で統一された過去はこれまで存在しない。ミルドガルドの歴史が始まった最初の国家は緑の国を中心としたミルドガルド大陸南部地区を統治していたに過ぎないし、一千年程過去になる東からの異民族の侵攻は確かにミルドガルド大陸を席巻したが、それでも西側海岸部分の占領を果たすことなく滅亡を迎えることになった。その異民族の支配から立ち上がり創立された国家が現在のミルドガルド三国となる。果たして、戦を起こしてまで大陸を統一させる必要があるのだろうか。そしてその統一戦争に緑の国として参加するメリットはあるのだろうか。現状のまま、貿易を中心とした国家体制を維持することがミクにとってはベストであるように感じてならない。
「もう一度、カイト王の真意を確認する必要があるわ。」
そこまで思索したミクは、グミに向かってそう言った。
「では、その上で返答をされると。」
「そう。結局、引き延ばしよね。」
ミクはそう言って苦笑を見せた。何かを思い出したように唐突に響きだした蝉の声と、紅茶を用意したハクが執務室の扉をノックした時刻は奇妙な程に一致して、まるでステレオ音響の様にミクの耳朶に響いた。
翌日、朝靄が覆うような早朝に、リン女王以下総勢百名にも及ぶ黄の国の使節団が黄の国の外壁、南正門を通過して行った。まだ日光は厳しくはなく、むしろ心地よく涼しい風がリンの身体を優しく撫でる。緑の国の王宮まで続くオデッサ街道を南下する一向の中心を歩むのはリンとその愛馬ジョセフィーヌ。久しぶりの遠出とあって意気揚々としているジョセフィーヌの頭を軽く撫でたリンは、隣を騎乗するレンの姿を瞳に納めた。いつぞやと同じように背中にはギターを背負っている。昨日久しぶりに聴いたレンの『海風』を思い出しながら、リンは視線を移して目の前を騎乗するガクポの姿を瞳に納めた。ガクポはリンの目の前を威風堂々と、その長い紫がかった髪を朝風になびかせている。
「ガクポ。」
だから、彼の名を呼んだのはリンのほんの気まぐれの様なものであった。ただ退屈しのぎにたまには会話でもしようと考えたのである。
「如何なさいましたか、リン女王。」
後ろを振り返ってリンに名を呼ばれたことを確認したガクポは、馬の歩むスピードを僅かに落してリンの隣へと騎馬を操作した。
「ガクポはパール湖へ訪れたことはある?」
ガクポと肩を並べて騎乗しながら、リンはその様に訊ねた。
「一度だけ。」
リン女王に向けてまるで親の様に優しい笑顔を見せたガクポはそう言った。大陸一の剣士なんて信じられないわ、と感じながら、リンは更に言葉を返す。
「いつ行ったの?」
「さて、もう記憶も彼方になるような過去の話です。」
「何をしに?」
詳しくその話を聞きたいわ、と考えながらリンはそう訊ねた。
「珍しく私の友人が娘の誕生日を祝いたいと言うので、その為に。もう十年も前の話になりますでしょうか。」
過去を思い起こす様に遠い瞳をしたガクポは、僅かに目を細めながらそう言った。ようやく強くなりだした日光を避けるためと言うよりは、何かを懐かしむかのように。
「友人?」
「ええ。同業仲間です。パール湖の近くにアジトを構えておりましたので。」
同業仲間とはつまり傭兵仲間と言うことか、と考え、リンはこう言った。
「強いの?」
「ええ。但し、強かった、と表現すべきでしょう。」
「強かった?」
リンがそう訊ねた時、それまでのガクポの笑顔が崩れ、苦痛を表現するかのように表情を歪めた。そして、こう言った。
「はい。彼は五年ほど前に戦で亡くなりました。娘一人を残して。」
「そう・・。」
その娘が可愛そうだと、リンは考えて視線を下に落とした。そして何となく、リンは言葉を続けた。いたたまれない気分に陥ったのである。
「その娘、名前は何と言うの?」
再び視線をガクポの紫がかった黒眼に戻したリンは、なんとかしてあげたいと考えながらそう言った。
「アクと申します。今はどこで生活しているのか、そもそもまだ生きているのかも分かりませぬが。」
救えなかった後悔。その友人とは相当の深い関係にあったのだろう、とリンは考えて、こう言った。
「なら、アクが見つかれば王宮で保護すればいいわ。きっと幸せな人生が過ごせるはずよ。」
リンはそう言って、ガクポを励ますような笑顔を見せた。それに応じるように、ガクポは寂しげな笑顔を見せ、そしてこう言った。
「リン女王は本当にお優しいお方でいらっしゃいます。」
ガクポにとって、それは心からの感謝の言葉であった。
ハルジオン⑱ 【小説版 悪ノ娘・白ノ娘】
みのり「第十八弾です!そして時間が無い(笑)」
満「やることなすこと遅いんだよレイジは!もう出かける時間じゃないか!」
みのり「大丈夫、あと十分くらいあるわ!」
満「ちなみにレイジはこれから後輩(男)の結婚式二次会へと向かいます。」
みのり「後輩に先越されたね。」
満「レイジはもうすぐ三十なのに結婚の見込みすらないから少しだけ焦ってる。」
みのり「まあ、その辺は作品には関係ないのでスルーで♪」
満「そうだな。では来週お会いしましょう。」
みのり「またね!」
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