――――――――――#9
「失礼します。女将のメイコでございます」
座敷に入った一行に、挨拶に来たメイコは一目で雰囲気が最悪なのを見て取った。口上を切り上げて正座しながら深々と一礼する。
「本日は、西のローランドで良い魚が陸揚げしましたので、海鮮が大変美味しゅうございます」
「ああ、ローランドは今、水揚げが多いようですね」
「漁師の皆様も羽振りが良い様で、今はどのお魚でも儲かっているそうですよ」
今は市長となった巡音様が無理に陽気さを取り繕う。玄関先で軽く言い合ってたとは聞いていたが、和気藹々とはほど遠い、エルメルトで戦争でも始まるのかという、戦略会議の雰囲気である。ちょっと奥に引っ込んだ間に何の話をしたかは分からないが、全員の目付きが作戦行動中のそれだった。
「ああ、そう言えばハルモニアでは忙しかった言う話をしとったやろ、なあ弱音准将」
「え、ええ、まあ」
猫村殿が弱音殿に話し掛けながら、メイコに目配せする。なんか場を和ませる事を言えという、無茶振りだ。
「はあはあ、弱音殿が飛車角捨てて歩を稼いだと評判の、あの作戦ですか。あれは乾坤一擲の筋だと言って、策略の応酬の教科書みたいに仰る方もいらっしゃいまして」
メイコは視線を配る振りをして、猫村と目が合う瞬間だけドヤ顔をした。
「女将、この料亭は自分の持ち物か?」
この方が件の作戦で弱音殿とやりあった、亞北ネル准将だ。ハルモニアでの作戦が頓挫して、最後の決戦を強要されたという、メディソフィスティア戦争では最強の将と謳われた「VOCALOID」だ。
「はい。今はまだ大旦那の持ち物ですが造りの指図を任されまして、いずれ儲けで買える頃に私に売っても良いとお約束頂いております」
「ほう、大旦那とは巡音という人ではないかな?」
「大旦那は巡音財閥の御当主と仲良くさせて頂いておりますが、私は若輩ですので生憎ご縁がありませんで」
鬼がいる。猫村殿と亞北殿がニヤニヤしている。巡音市長はこれから先、リムジンの件でいつまでも言われ続けるのだろうなと、内心思った。
「女将。先ほどは良いお手前であったが、茶を飲みに来た訳ではない。ツマミでもいいから、はよう持ってこぬか」
「はいただ今。何分狭い廊下ですので、女中が料理を運ぶのに苦労しております」
「ははは」
神威殿が料理を催促する。茶を立てさせた女中が色めき立っていたので、見た目道理の丈夫なのであろう。半可通よりはずっと持成し甲斐がある。
「本日は、初音閣下はお見えにならないので?」
地雷くさいが、あえて先に踏み抜いておきたい。場合によってはネギ料理を抜かなければならないからだ。
「本日は宿直で」
「冬に向けてネギ畑の支度をするんだそうだ」
弱音殿を遮って亞北殿が簡潔に言い切る。
「左様ですか。先日は素晴らしいネギを分けて頂きましたので、私どもが喜んでいたとお伝えください」
「え?この料亭ってあいつのネギ使ってんの?」
「はい?はあ、有機栽培の良いネギで、料理人も使いでが良いと申しております」
「雑収入の項目、そういう事か……」
確かに、そこそこの値段で買ってはいるが、難しい品種を指定したので、仕入れはかなり安く済んでいる。軍で作ったネギというのに拒絶反応を示す客がいないとも限らないが、ネギはおおむね好評だ。
「では、本日は鮭と鮪にてお膳立て致しました。ごゆるりと」
「きたーめいんまぐろきたー」
亞北殿に棒読みのコメントを頂いた。当然マグロである。そしてこの席にはマグロのアラと兜煮も来る事になっている。料理人は戸惑っていたが、多少採算度外視のメニューになったので、他の客に出せない部分は全部片付けてもらわなければならない。そして食い差しは料亭の朝食になる。そんなレベルの覚悟だ。
「今日はマグロですか。いつも刺身で出ますので、楽しみですね」
ざけろマグロバカ、今日は赤字なので、全部食べていただく。
「では、準備が整いましたのでごゆるりと。一品目は血合いの南蛮漬けとなります」
笑顔で言い切った。約一名、すごく食いついている人がいる。全ての反応は予想通りだ。
「失礼致します」
メイコと入れ替わりに、仲居が二人、膳を運んでいく。30kgの高級マグロの内、8キロは片付けてもらわなければならない。それで本日の料金と仕入れ値はトントン、あの面子でアラ好きなのは巡音市長だけだが、問題ない。
「お酒は安いのをいくらか混ぜといて。高い奴は肴が進まないから」
すれ違う仲居に耳打ちする。会釈だけで、通り過ぎていった。よく出来た子で、一言だけで大体やってくれる。かなり重宝している。
「でも、その立ち振る舞い、どうかしらね」
戦っていた頃の癖が、独り言が出てしまう。あの完璧過ぎる子、今までどこで何をやっていたのかしら。長い真っ直ぐな髪の、可愛い子だけれども。
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