メイコは襟元に手を伸ばして小さな壜を取り出しその蓋を手早く外して、誰も止める間もなく一息にその中身を呷った。
 げほげほ、と咳き込むメイコに、一体何を飲んだのか。とカイトが駆け寄った。背を丸めて苦しむメイコの顔を覗き込み、メイコの押さえた口元から滴り落ちる赤い液体に、はっと息を呑んだ。
「、、、メーちゃん。それ血。」
驚くカイトに支えられ、メイコは前を向き不敵な笑みを浮かべた。
「声が無くなれば、私は用なしでしょ?」
その声は、今までのメイコの声とまるで似ても似つかない、まるで老人のように掠れてしわがれた声だった。
「まさか、毒をあおって喉を潰したのか。」
そう東堂が言うと、メイコは再び咳き込み、しかし不敵な笑みは浮かべたままカイトの手を握り締めた。
「行くわよ。」
掠れた声でメイコがそう囁く。その声にはっと我に返ったときには、カイトはメイコに引っ張られて、走り出していた。
 背後から、直ぐに治療すれば間に合う、早く捕まえろ。と叫ぶ東堂の声が聞こえた。追いかけてくる気配に、後ろを振り返る余裕も無く、2人は闇の中を駈けた。が、着物姿に草履履きでは上手く走れず、メイコがかつんと何かにつまずいた。よろりと体勢を崩したメイコの体を咄嗟に抱きかかえ、カイトはそのまま闇の中を疾走した。
 メイコの体重がかかった分、体に負担がかかり傷口から血が滲み出す。闇の中漂う血の匂いに、メイコがはっとした表情でカイトを見たが、カイトは大丈夫。と言った。
「潰れても走ってやる。」
そう吠えるカイトのただ前だけを見据える強い眼差しに、メイコは何も言わず、カイトに抱きついた。
 駈けろ駈けろ。と世界中が囁いているような気がした。
この腕に抱きしめるぬくもりを守るために。このぬくもりをもう手放すことが無いように。もう無力さを嘆いて泣くことが無いように。
生きるために。駈けろ。そう世界中から囁かれているような気がしていた。
 真っ暗い闇の中をただひたすらカイトが駈けていると、頭上に灯りが点り始めた。建物の軒先や朽ちかけたビルの屋上から、そこに住む人々が灯りの点った提灯を吊り下げ始めたのだ。
 赤青黄色、緑に桃色とまるで2人の行く先を照らすように、あちこちに点り始めた灯りに目をやり、カイトはこっちだ。と歩を進めた。
「赤い灯の方へ進めって言われてるんだ。」
そう言って路地に入り込み、階段を上り、段差を飛び越える。
「居たぞ。こっちだ。」
脇道から不意に現われた追っ手に驚いた瞬間、追っ手の横の建物ががらがらと崩れ落ちた。
落ちてくる瓦礫を避けようと、目的を忘れて逃げだす追っ手。建物崩壊のあまりのタイミングのよさに、何が起こったのか。と思わずカイトが足を止めると、頭上から、走れ。と怒声が響いた。
「カイト、走れ。」
「ほら給水だ。」
言葉の通り、ぽおん、と水の入った筒が投げ落ちてきた。それを受け止めてカイトが見上げると、建物の窓から果尾を出した双子が手を振っていた。どうやら先ほどの建物崩壊も双子がやったようだ。
「ありがとう。」
そう言ってカイトは再びメイコを抱きかかえようとしたが、メイコがそれを制して、はいていた草履を脱ぎ着物の裾をたくし上げた。
「はし、れる。」
そう言ってメイコは地面を蹴った。
闇の中、メイコが着ている着物の紅い袖がひらひらと蝶々のように舞う。メイコの足も意外と速く、それを追いかけるようにカイトは前へと駈けた。
「こっちだ、追え。」
先ほどの建物崩壊の音で仲間が駆けつけたのだろう。背後から再び声が響いてきた。なんてしつこい。とカイトが思った瞬間、頭上から奇妙な殺気を感じた。
 危険を察知したカイトが走る速度を上げた瞬間、どさどさ。と何か生臭いものが真後ろに落っこちてきた。振り返ると、血にまみれたそれはどうやら魚のはらわたのようだった。そういえば、昨夜のご飯、ルカさんがお魚焼いてくれたなぁ。とカイトはぼんやり思った。
「あら失敗、ちょっと遅かったかしら。」
案の定、ルカの声が頭上から聞こえてきた。
「違うよルカ姉ちゃん。カイトじゃなくてあの追っ手に落っことすの。ほら来た。」
そうミクが横で訂正し、ルカは、ああそうだったわね。と再び魚のはらわたが入ったバケツを追っ手の上へぶちまけた。
 頭上から降ってきた、生臭い、どろどろとした得体の知れないものに、ぎゃあ。と男たちの野太い悲鳴が上がる。背後で繰り広げられた阿鼻驚嘆に、敵ながら同情しつつ走っていると、横に並んだメイコが楽しげにくすくすと笑っていた。
 メイコの笑顔に、反射的にカイトも笑顔になる。増築を重ねたた為にまるで迷路のように入り組んだ下町の道を、カイトとメイコは赤い灯の道しるべだけを頼りにひた走った。

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QBK・16~野良犬疾走日和~

閲覧数:272

投稿日:2009/09/27 23:04:51

文字数:1,955文字

カテゴリ:小説

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