緑の国に侵攻を開始してから約二ヶ月後、緑の国の王都防衛線は崩壊し、王宮は黄の国王国軍の管轄に入った。
緑の国から奪った技術の存在を知るものを生かしておくわけにはいかず、王宮内に居た王族はもちろんのこと、全ての重臣たちは処刑するように命じ、更には緑の国王宮内の全ての書類も焼却させた。
研究施設に至っては、焼却どころか発破をかけて跡形もなく消し飛ばすように指示した。
その後は王宮を含めた全施設を即時放棄させ、帰還命令を出した。
ヴィンセントはレンの命令を忠実にこなし、次の日に帰国した。
労いの意味でも、手紙では不足している情報を聞くためにも、レンは直ぐに彼を部屋に呼び出した。
「ヴィンセント=フォルトゥナ ルクソール男爵、ただいま帰着致しました」
忠臣よろしく跪き頭を垂れる軍事最高司令官に、二カ月に渡る戦地での活動の疲れは窺えなかった。
「本当にお疲れ様でした。お疲れの所をお呼びしてすみません」
「いえ、情報統合の必要性は理解しているつもりでございます」
「貴女の寛大さに心から感謝します。一応確認しますが、正規軍は言うに及ばず、農民出の兵士達にも緑の国内で略奪行為などはさせていませんね?」
全てが終わった時、どうあっても黄の国の国民たちは被害者でなければならない。トップの指示は残虐非道で問題ないが、一介の兵士に後世で反感を買うようなことはしてはいけなかった。
「もちろんでございます。不届きな輩は私自ら処分いたしました。無論、殿下の指示通りに情報の処理も抜かりなくこなして参りました」
嘘偽りの一切感じられない自信ありげな返答に、レンは満足して頷いた。
「心配はしていませんでしたが、よくやってくれました。非正規兵士の流出も、戦地からの報告通りでしたら後々十分な効果となるでしょう」
当然だが、決して愉快な記憶ではなかったのだろう。ヴィンセントの顔に影が落ちた。
「は、特に味方を餌にした火薬兵器の使用後ですが、脱走兵が続出いたしました。他にも、戦闘中に行方不明になったまま、遺体を確認できない者もかなりの数になります」
「そうですか、それも予定通りですね。正規軍の消耗はどの程度でしょう?」
「王都防衛線の撃破と王宮内の制圧に、若干名の死者を出しましたが、全く問題ありません。今も国境沿いの警戒と王宮警備に回しております」
烏合の衆とはいえ、圧倒的な物量で傾れかかるように攻め込んだのだ。王都防衛線も、補給の望めない以上は時とともに消耗することは必然で、結局は正規軍の到着以前に決着は着いていたのだろう。
緑の国精鋭たる王宮直属軍相手に、頭数でいえば相手以上に削られたのは確かだろうが。
「多少のリスクはありますが、国境警備は当分必要最低限に抑えてください。これからは国内の反乱分子の相手をしないといけません」
「は」
反乱分子、と聞いてヴィンセントは複雑そうに端正な眉を顰めた。
王宮に住む者としては、決して他人ごとではない深刻な内容であるにもかかわらず、この時のレンから漂う雰囲気は今まで以上に穏やかだ。
緑の国に侵攻を開始してから、農民を主軸とした反政府活動は激しさを増すばかりだった。ヴィンセントが残してくれた直属の部下と、それに率いられた精鋭たちがなんとか抑えているが、いずれ鎮圧という次元ではなくなってくるはずだ。
日に日に膨れ上がる為政者に対する不満、それに比例して巨大化する反政府組織。もうこの頃には、その組織の中心人物となっている赤毛の少年の存在も、レンの耳に入っていた。
もう耳を澄ませば、怒れる国民たちの聞こえてくるようだった。
『悪ノ娘』を倒せ。
最初に報告を受けた時には、思わず笑ってしまった。事実関係はともかくとして、率直ながらも極めて適切な表現だったからだ。
窓の外から枯れつつある王都を眺めつつ、レンは心の中で語りかける。
イル、本当に君は僕の期待を何一つ裏切らないんだね。君は今すぐにでも『悪ノ娘』を倒したいんだろうけれど、まだそれには舞台が整っていない。
広がっているといっても、未だに彼らの活動は王都とその周辺に限られるし、まだまだ片田舎では『悪ノ娘』の悪行も広まりきっていない。
国民の全てに、次の指導者が君であることを知らしめなければ意味がない。例え今君が『悪ノ娘』を公衆の面前でギロチンにかけたところで、まだまだ黄の国全体から見れば認知度は低い。
加えて、まだ品種改良の技術も確立まではもう少しかかるし、緑の国の研究者達が生きているうちにリンが学ぶべきこともまだまだある。
時間が必要だった。
すべての条件が満たされるまでは、今の政権が倒れるわけにはいかない。
「もう少し付き合ってもらうよ、イル」
まるで待ち焦がれるように窓に手をかけながら、レンは細く小さな声で呟いた。
「殿下?」
内容を聞き取るまでには至らなかったのだろう。急に背を向けて黙り込んだレンを気遣うように、ヴィンセントが声をかけた。
「いえ、ただの独り言です」
「イル=ハウスウォードのことをお考えですか?」
図星を刺され、けれど動揺することなく視線だけで肯定する。
「今はイル=ネルソンですよ。ハウスウォードなんて、彼には相応しくない」
養父母のことを言っているわけではなかった。今の彼にとって、レンと同じ名など不必要どころか邪魔でしかない。
「彼は、殿下のお考えは知らないのですか?」
ヴィンセントらしい考えだが、思わず苦笑いした。
「当たり前ですよ。もしイルが僕の考えを知っていたなら、レジスタンスなんて作るわけがないじゃないですか」
「殿下のご指示かと」
ああ、なるほどね。
「ヴィンセント、貴方は僕のことを理解している割には、イルのことはご存知ないようですね」
嫌味でもなんでもなく、純粋に不思議だった。
「あの優しいイルが、嘘偽りの義憤で無辜の人々を戦いに巻き込めると思いますか? というかそれ以前に、彼に人を騙すことなどできません」
レンに言われて過去を思い返しているのか、しばらく思案した後にヴィンセントは口を開いた。その声は苦しげで、後悔すら覗えるものだった。
「確かに、殿下のおっしゃることはもっともでしょう。彼ならあの幼さでも民の信頼を集め、己の正しいと思う道を進みます。この王宮にいる貴方が、それを誰よりも望んでいるなど毛先ほどにも疑うこともないでしょうね」
「当たり前です。僕は誰よりもイルを知っています。イルが誰よりも僕を知っていることも含めて。イルは必ず来ます。『悪ノ娘』を倒し、この国を救うために」
晴れやかな声が出る。レンは年相応に、無邪気に微笑んでいた。
その揺らぐことない圧倒的な信頼。ヴィンセントはそれでも問わずにはいられなかった。
「『悪ノ娘』とは、一体何なのですか?」
それを聞いたレンの目に、毒々しい色が混じる。皮肉気に唇を吊り上げながら、冗談混じりに答えた。
「国民の認識から言えば、『リンネア=リヴェ=アリアンロード』じゃないでしょうかね?」
ヴィンセントにとって、到底納得できるようなものではなかっただろう。それでもレンは敢えて口には出さなかった。
「帰国して早々、報告お疲れ様でした。部屋に戻ってしっかりと身体を休めてください。下がってくださって結構です」
これ以上話すことはなかった。ヴィンセントもそれ以上の追及は無駄だと悟ったらしく、敬礼をした後に部屋を辞した。
「『悪ノ娘』なんていう人物は、存在しないよ」
足音も聞こえなくなり、完全に一人になってからようやくベッドに突っ伏し、レンは疲れたように呟いた。
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