最終章 白ノ娘 パート4
後の再会をガクポと誓い合ったロックバードは、そのままの足で自宅へと戻ることにした。ロックバードの自宅は南大通沿いにある、ゴールデンシティが創立された当時からある旧家である。黄の国の崩壊の直前は浮浪者で満ちていた南大通に、現在は流民の姿は見えない。ミルドガルド帝国の施策により、流民は農村へ戻され、身寄りのない女子供は一時的に帝国の療養所へと収容されていたのである。だが、経済状況が順調かというと、決してそんなことはない。飢饉と戦で打撃を受け過ぎたゴールデンシティは、その嫌味に満ちた名前とは異なり、経済力はかなりの底辺に位置していると表現せざるを得ない。店に並ぶ品は少なく、ルータオから輸入される海外の産物は高価過ぎて購入に叶わず、ゴールデンシティを素通りしてそのまま旧青の国王都、現在のミルドガルド帝国帝都へと流されてゆくのである。この街が以前の様な、ミルドガルド一の大都市へとその権力を戻すのはいつになるのか。鮮やかな煉瓦造りの街並みと、石畳で覆われた大通を歩きながらロックバード伯爵がそう考えた時、一人の子供の姿がロックバードの視界に映った。年の頃は十あたりだろうか。その子供は、南大通の隅で自身の膝を抱きかかえるような格好で地べたに腰かけ、質素と表現するには不足しているような汚れた服を身に着けていた。髪はぼさぼさで、日に当たりすぎたのか、その肌は薄黒く濁っていた。だが、その瞳は。その瞳に宿る狂気を以前に感じたことがあるような気分に陥り、ロックバードは思わずその足を止めると、その子供に向かってこう声をかけた。
「童、そこで何をしている?」
流民の様だが、流民は既に全員が養護施設に収容されているはずだった。第一、身につけているその服は帝国が用意したものではないのか。そう考え、ロックバードは不信に感じたのである。その言葉に、僅かに瞳を持ち上げた子供は、少し苛立った様子でこう答えた。
「童じゃない。あたしは、女だ。」
その言葉にロックバードは面食らった様に一つ、瞬きをした。成程、まだ成熟すら始まっていないが、柔らかな体つきは確かに少女らしく見えなくもない。そう考え、ロックバードはこう答えた。
「それは済まぬことをした。それで、君はここで何をしているのだ?」
重ねて問いを述べたロックバードに向かって、少女は興味深げにその瞳でロックバードの瞳を眺めた。こんな自分に言葉をかける人間がいるなど、とても信じられないとでも言いたげに。だが、狂気に満ちたその瞳が少しだけふわりと和らいだ時、少女は再び口を開いた。
「金髪の少年を、待っているの。」
「金髪の少年?」
ロックバードのその問いに、少女は小さく頷くと、続けてこう言った。
「あたしに、パンをくれた。あたしが拒んでも、あたしのすえた臭いも、あたしの汚れた身体も気にすることなく、あたしにパンをくれた。瞳は狂っていたけど、でも多分、何かを守ろうとしていたのだと思う。軍服に身を包んだ、金髪蒼眼の少年だった。」
金髪蒼眼の少年。その姿形に該当する人物はロックバードの脳内には一人しか存在しない。よもや、生きていたのか。そう考え、ロックバードは自身の鼓動が速くなっていることを自覚しながらこう尋ねた。
「その少年がパンを施したのは、いつのことだ。」
或いは、昨日か。ならば、今日もこの場所に訪れるのではないか。そう考えたのである。だが、そのロックバードに対して少女は寂しげに首を振ると、こう言った。
「大分前。この場所で反乱が起こるよりも以前のこと。」
「そうか。」
そう上手くいくものでもあるまいに。ロックバードは自身の落胆を隠す様にそう考えたが、それでも溜息は漏れる。反乱よりも以前ということは、自分達が略奪を働いていた頃か。レンが流民達に施しを与えていたことは初耳だったが、あのレンならばその程度の行為は行うやも知れぬ。だが、この少女は。その時のレンと同じ、狂気に満ちた瞳をしている。リン女王の為に全ての行為を許容したレンと同じように、自身が生きるために全ての行為を許容するような意志の強さを。或いは、これも運命か、とロックバードは考えた。結局子宝に恵まれなかった自身にとっては、レンもまた息子の様に考えていたのかも知れぬ、と思い起こし、そしてその少女に向かってこう言った。
「儂は元黄の国軍務大臣のロックバード。レンの話、感謝する。」
ロックバードのその言葉に、少女は僅かに笑みを漏らした。長年の謎が解けた様なすっきりとした表情で、こう述べる。
「そっか、あの少年はレンと言うのか。」
「名乗らなかったのか?」
意外、という表情でロックバードはそう告げた。その言葉に、少女は一つ頷く。
「彼は何も語らなかった。ただ、自身の責務としているように、無造作にパンをくれたの。」
その時、レンはどのような心境でパンを配っていたのだろうか。今はいずこに向かったやも知れぬ少年の姿を思い起こしながら、更にロックバード伯爵はその少女に訊ねた。
「君は、それからずっとここで待っていたのか?」
その問いに、少女はもう一度頷く。
「待っていた。どうしても、訊ねたくて。」
「訊ねたい?」
そう、とその少女は前置きをして、更に言葉を紡ぐ。
「彼が、何を守りたかったのか。」
何を、か。その言葉に、ロックバードは重い嘆息を漏らした。彼が守りたかった少女は既にこの世には存在しない。その中で、レンはまだその生命を長らえさえているのだろうか。或いは、人知れず自らの命を絶ったのかも知れない。だが、それでも、儂はレンにすがるしかない。自身が生きる理由は、もう他には存在しないのだから。そう考えて、ロックバードは少女に向かってこう言った。
「名は、なんと言う?」
その問いに対して、少女は悲しげに俯くと、小さくこう言った。
「無い。あたしは、ずっと一人だったから。」
その言葉に、ふむ、とロックバードは思考を巡らせた。名が無いとは不都合だろう。では、儂が良い名前を与えてやろう、と考え、そしてロックバードはその少女にこう言った。
「ならば、今後はセリスと名乗ると良い。」
その言葉に、少女は驚いた様な顔でロックバードを見上げた。不思議な響きだった。それまで、他者を関わることなどないと考えていたのである。そのあたしに、この男は名を与えてくれるという。
「セリス。」
少女は、何かを確かめる様に初めて与えられた名前を呟いた。あたしの、名前?不確かで、何かの拍子に消え去ってしまいそうな自分と言う小さくて弱い存在が唐突に世界に向かって形作られ、そして存在を現した様な感覚を覚えたのである。
「セリス。あたしの、名前・・。」
消えないように、無くならないように、大切な宝石を扱う様に、セリスはもう一度その名を呟やいた。綺麗な響きだと感じた。あたしに似合う名なのだろうか、という不安も覚えた。だが、それ以上に、嬉しかった。
「セリス、儂の養子にならぬか?」
僅かに頬を上気させた少女に向かって、ロックバードはそう告げた。
「あなたが、あたしの親になるの?」
その言葉に、ロックバードは強く頷いた。そして、こう告げる。
「そうだ。儂には子供がいない。妻も喜ぶはずだ。」
その優しい言葉に、セリスはふわりと自身の狂気が溶けて行く様な感覚を覚えた。あの少年、レンに感じた感情とは違う、ただ、慈愛に満ちたその言葉に、セリスは嬉しそうな笑顔を見せた。その笑顔につられるように目元を緩ませたロックバードは、続けてこう言った。
「儂の家はすぐそこだ。ついてきなさい。」
ハルジオン76 【小説版 悪ノ娘・白ノ娘】
みのり「第七十六弾です!」
満「まずはセリスについて。」
みのり「このキャラクターは以前sunny_m様が手掛けられた『ハルジオン』のサイドストーリである『悪事を働く獣』で登場した子供のことです!」
満「あの素晴らしい作品を読んで、レイジの脳内に唐突に沸いたストーリーです。今回は無理なお願いを聞いて頂き、本当にありがとうございました。」
みのり「重ね重ね、御礼申し上げます。しかもこちらが勝手に名付けたセリスという名前にも快く使用許可を出して頂き、本当にありがとうございました。」
満「ということで、次回もセリスが活躍します。」
みのり「なんか本来の作品とかけ離れてない?と思いの方もいらっしゃるかと思いますが・・。」
満「わざと離れさせています。ご了承ください。」
みのり「ということで次回分は既に書きあがっています。暫くお待ちくださいませ☆」
suuny_m様の『悪事を働く獣』
http://piapro.jp/content/o4ffsaiky6akmgn3
sunny_m様、この度は私の我儘を聞いて頂き、本当にありがとうございました!
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