02
その部屋の壁ひとつに、モニターがついた。
ワイド画面のPCくらいの。
その画面には、いつも一人の笑顔が映りこんでいる。
外部スピーカーからは、穏やかな声が響くのだけれど、少し違和感がある。
「カイト、そこのキー、すこしつらい?」
「いえ。違和感でましたか?」
「ちょっと弄りましょうか」
「え、大丈夫です、練習すれば…」
「無理をさせたいわけじゃないわよ。
いい音をみつけるのも、私の仕事だわ」
自分のためだった作曲部屋は、辺り一面に「私のため」ではない譜面が散らかっていた。
捨てる時間も惜しいくらい、彼のための歌を紡ぐ。
歌うために生まれたといわれたカイトだったけれど、彼はまだ子供の歌い方しかできない。
咽喉の振るわせ方や音の変わり方。
「咽喉」を持たない彼は、人との感覚の差異を埋めようと、いつも笑顔だけれど、内心ではおそらく躍起になっている。
無自覚のあせりを感じさせまいとしてくれるけれど、私には零れ落ちた無茶がいとおしい。
私の歌を愛してくれている事実。
それに答えるために、私も施行を繰り返し、錯誤する。
そうやって、歌は「私たちのもの」になっていく。
「♪~… こんな感じですか?」
「うぅん、ちょっと・・・
えっとここは・・・ ♪~ っていう感じっ、が、げぼっ、けほっ」
「マスター!」
失敗した。
ほとんど無意識に行った反応が、咽喉を焼く。
画面越しの声が不安にあふれる。
それがひどく、罪悪感をこみ上げさせて。
「ごめん、だいじょ、うぶ・・けほっ、けほっ」
「マスター!ごめんなさい、僕が」
「大丈夫、私が失敗した、だけ、だから…、くほっ」
「ごめんなさいっ、ごめんなさいっ」
「あやまらない、で。カイト・・・
ちょっと、待ってて、ね」
なおも言葉を重ねようとするカレを抑えて、部屋の隅にある冷蔵庫、の冷凍庫からアイスを取り出す。
バニラのなのは、不純物が一番すくなさそう、というどうでもいい理由だった。
咽喉の手術跡はずいぶん落ち着いたのだけれど、こういう風に不用意に咽喉を鳴らすと途端ダメージを受ける。
食も正直、ちゃんと噛んで細かくしてからじゃないと飲み込んでも痛いから、咽喉に滑りやすい、ゼリーやアイスばかり食べるようになった。
体・・・っていうかおなかに悪いのはわかっているけれど、薬よりはマシだと自分に言い訳する。
冷たいバニラを咽喉に流し込んでいると、画面越しのカイトがじぃ、とこちらを見ていた。
「なぁに?」
「マスターが食べてるの、おいしそうだなって」
「・・・・味覚、ないでしょう?」
というか「食事」という概念がなさそうなのにというと、当人はぽやっとした笑顔で言葉を返してきた。
「でも、マスターが幸せそうだから」
「そう?」
後から考えれば皮肉にしかならない言葉にすら、彼は幸せそうで。
つられるように私も微笑んで、それから頭を切り替えた。
「それより、さっきのキー、覚えた?」
「あ、はい。 ♪~ こんな感じですか?」
「OK。じゃぁ一度流しましょう」
「はい!」
歌を。
なんの憂いもなく、心から歌うことができる存在。
一回のチェックで、彼は大きく変わり、美しく歌えるようになっている。
悔しいと、そう感じてはいけないのだろうか?
「・・・・・マスター」
「ん?なぁに、カイト」
今日はそろそろいいかな、と思ったところで、不意に声がかけられた。
それはひどく、不可解な言葉。
「僕ね。ちゃんとした歌で評価されたら、アイス食べられるようになるんです」
「は?」
・・・・・・・・・・なにをいってるのかしら?この子は。
そう考える私の目線を全く気にせず、当人は自分の言葉を自分の感情のままに紡ぐ。
こちらの混乱など、目にも入らない様子で。
「だから、がんばります。
一緒に食べましょうね!」
混乱を精神力で押さえ込みまくり、今日のところは終了ときった後、部屋をでた私はとりあえずカイトの「とーさん」・・・社長へと連絡をとった。
この言葉の解読をできるのは、彼だけしかいないとの確信ゆえだが、実際返ってきたのは頭痛すら伴うような説明といってよかった。
「・・・・・・・どゆことですか?社長」
「うん。カイトへのご褒美。
歌手として成功できたら、アンドロイドのボディをあげるっていう」
「・・・・・はいぃい?!」
「すごいだろ」
多分、電話越しに胸張ってる。
秘密基地でも見せびらかせようかとしている、子供そのもの。
っていうか、アンドロイドの技術なんて、そんなもの、この世界の「最先端」のずっと向こうにあるはずなのに。
「っていうか、そんなのできるんですか」
「一般公開されているのが技術の最先端なんてのは幻想なんだぜ、海久」
私の思考を読んだように、そんなことを嘯く本人は不敵という言葉がよく似合う。
それにしても。
「しゃちょー…」
「俺の会社の技術は世界一」
「・・・・・はぁ」
もうだめだ。何いっても無理だ。
それが説明に対してなのか考え直してほしいということに対してなのか、自分でもわからない。
そんなぐったりした私の精神に、恐ろしいほどのタイミングで清流水が流れてきた。
「それで、カイトのデビューのさせ方なんだけどな」
「え?」
っていか、社長。
その唐突な話題ふり、いい加減自粛してください。
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