第五章 祖国奪回 パート1

 もう、一年も経ったのか。
 バラートを連れて、久しぶりにお忍びで帝都市街へと赴いたアクは、不意にそう思うとその足取りを止めた。
 「皇妃様?」
 怪訝そうに、バラートが訊ねる。
 「もう、一年も経った。」
 ぽつりと、アクは言った。一年。悪夢のようなルーシア遠征へと出立したのは、丁度一年前の今日だった。あの時はすぐに戦が終わらないかと、心の底から切に願っていたけれど。
 「酷い戦いでございました。本当に、皇帝様も、皇妃様も、ご無事に戻られて。」
 心痛を表わすように、バラートは言った。彼女の夫は、ルーシアの大地で帰らぬ人となっている。
 「・・迷惑を、かけた。」
 十万という大軍の中にバラートの夫が参加していたと知ったのは帰国してからの事であった。バラートは私情で余計な手間を掛けさせる訳にはいかないと、戦に出るまでアクには一言も話さなかったのだ。
 「いいえ、皇妃様をお守りして、きっと満足したと思います。」
 しっかりとした口調で、バラートは言った。第一軍にいたというから、或いはどこかで顔を合わせているかも知れない。
 そもそも、公式にはバラートの夫は行方不明者の中にリストアップされている。記録を手繰ればサンクブルグ撤退の日まではその生存が確認できているから、恐らくあの地獄の猛吹雪の最中で力尽き、無念の最期を迎えたのだろう。
 「あれから、街の様子が変わった。」
 続けて、アクはそう言った。死者、行方不明者九万五千名。とても隠し通せる数字ではない。膨れ上がった軍には当然庶民から参戦している者も多数存在していた。本来なら、身分の貴賎を問わず、戦死者の遺族には手厚い手当金が支払われるはずである。
 しかし、そもそも資金不足を理由として開始された戦争に敗北し、軍の立て直しに手一杯であったミルドガルド帝国に報償を求めるなど、土台無理な相談であると言うべきであろう。結果として手当金の不払い問題が発生し、それまで帝国の恩恵を受けていた帝都市民の間でも、帝国に対する怨嗟と疑惑が少しずつ醸造されていたのである。
 「何ら変わりませんわ、皇妃様。」
 アクを安心させるように、少しの強がりを見せながらバラートは言った。
 「・・そうだといい。」
 呟くように、答える。
 「さあ、皇妃様、皇妃様がそのようでは皇帝様もお心を痛められますわ。」
 空元気を見せるように、バラートは言った。うん、とアクは小さく頷き、王宮への帰路を歩みだした。

 王宮へと戻ったアクを迎えたのは、まだ昼間だというのに強い酒を煽っているカイトの姿であった。元々、嗜む程度にしか酒を味わっていなかったカイトは、ルーシア遠征の後誰が見ても分かるほどに酒量が増加していた。それでも、真昼間から酒に溺れる姿は珍しい光景であったけれど。
 「カイト、どうしたの?」
 皇帝夫妻と皇帝直属の従者であるジョセフのみに入室が許された広い部屋の中央で、カイトはすでに頬を真っ赤に染め、傍目から見ても相当に酔っている様子が見て取れた。アクでなくても、不安を覚える光景で会っただろう。
 「・・嫌な知らせだ、どいつもこいつも、使えない!」
 アルコールに混じった怒声を上げて、カイトは言った。
 「嫌な知らせ?」
 アクはそう言いながら、カイトの向かいに腰を下ろす。ああ、とカイトは荒々しく頷いた。
 「グリーンシティが落ちた。」
 まさか、とアクは思って目を見開いた。
 「ルワールの反乱軍?」
 そう尋ねる。ハンザ中佐によるルワール攻撃が失敗したという報告は、一月ほど前に帝都にもたらされていた。
 「違う、はは、俺は本当に甘い、あの時殺しておけば・・。」
 「ロックバードのこと?」
 「ガクポだ。ガクポが傘下の傭兵軍団を率いて、グリーンシティを陥落させた。」
 ガクポが。
 その言葉に、アクは少なくない衝撃を覚えた。自らの父親の親友であり、アク自身もどこか兄のように慕っていた男である。
 「ハンブルク将軍は?」
 「戦死した模様だ。尤も、のこのこと帰ってきたところで居場所はないがな!」
 そこでカイトは苛立ちの限界を迎えたように、手にしたグラスを床に叩きつけた。鋭い音が響き、職人がその技術の粋を注ぎ込んで作り上げたグラスがいとも簡単に砕け散る。
 「落ち着いて、カイト。」
 言いながらアクは立ち上がり、手で拾える程度の大きな破片を手に取った。
 「これで落ち着いていられるか!」
 アクはその言葉に、びくりと肩を震わせた。ここまでの怒りに支配されたカイトを、アクはこれまで一度たりとも目撃したことはない。
 「大丈夫、反乱軍と言っても数は少ない、一つずつ当たれば必ず勝てる。」
 数個のガラス片を机の上に拾い上げてから、アクは言った。
 「カイトが望むなら、今すぐ軍を率いて私が鎮圧に向かう。きっとすぐに片がつく。」
 「・・すぐに動かせる軍があるのなら、な。」
 その言葉に、アクは静かに唇を閉ざした。今はとにかく時期が悪い。殆どの兵糧をルーシアで失っている為に、今年の収穫まではまともな糧食すら用意できない状態であったのだ。
 「せめて秋まで耐えられれば、俺自ら反乱軍を攻め滅ぼしてくれる!」
 続けて、カイトは言った。
 「大丈夫、シューマッハ元帥は優秀。」
 カイトに掛ける言葉を失って、アクはどうにか、ゴールデンシティを守るシューマッハの名を挙げた。
 だけど、とアクは思う。
 今年の春に発布された農地改革令を始めとする一連の税法改革は、果たして期待通りの成果を上げるものだろうか。
 内政に関して詳しくはなくとも、要は増税であることには変わりない。実際、ルワールが反旗を翻したのは農地改革令に反対したからであるという。ガクポの動機も同一線上にあると見ておいた方がいい。否、むしろルワール軍とどこかで繋がっていると考えた方が余程自然であると言えるだろう。
 そうなると、少しばかり厄介だ。
 だが、今のカイトに冷静な判断を求めることは難しいだろう。アクはそう思い、ただこれだけをカイトに伝えた。
 「硝子を片付けなければ。ジョセフを呼んでくる。」

 「皇妃様、先ほど何か物音が聞こえましたが。」
 部屋から出ると、心配そうな表情をした少年が待ち構えていた。従者のジョゼフである。
 「誤ってグラスを落としてしまった。掃除をお願いしたい。」
 伝えると、分かりました、とジョゼフは言い、そこで何かに気付いた様子で瞳を瞬かせた。
 「皇妃様、お手は?」
 言われて、右手を見る。先ほど硝子で切ったのだろう、小さな傷がそこにはできていた。
 「硝子で切っただけ。大したことはない。」
 そう言った。強がりではなく、戦に慣れているアクにしてみれば、本当に大したことがなかっただけである。だが、
 「いけません、すぐに手当をしなければ。」
 「大丈夫、放っておけばすぐに治る。」
 「駄目です、皇妃様。すぐに手当の道具を。」
 ジョセフはそう言うと、その場から立ち去ろうとした。それは困る。先に硝子を片づけてもらわなければ。
 アクはそう思い、わかった、とジョゼフに言った。
 「治療はバラートにしてもらう。ジョゼフは部屋の片付けを。」
 そう言うと、ジョゼフは漸く納得した様子で、分かりました、と頷いた。

 「そうですか、グリーンシティが・・。」
 アクの簡単な消毒を終えて、一息ついたところでバラートは溜息混じりにそう言った。
 「予想より、事は深刻。」
 アクもまた、バラートと同じように溜息を洩らす。
 「また、戦争になるのでしょうか。」
 不安そうに、バラートが言う。わからない、とアクは答えた。
 「話し合いの余地があるのならそれが一番。だけど。」
 相手にその用意があっても、カイトはきっと和平交渉を飲まないだろう。意地になっても、反乱軍を戦で潰そうとするはずだった。
 それがカイトの性格だから。
 だが、それが本当にカイトの為になるのだろうか。
 アクは自問した。否、ルーシア遠征の頃からずっと考えていることであった。
 あの時、サンクブルクへの進軍の会議の席で。
 もし、私の心の通りに、進軍の反対をしていれば。カイトがどんなに悲しもうとも、強硬に反対してさえいれば。
 あれほどの敗北を味わうことはなかっただろう。夏の間に帝国軍は撤退し、多少の被害を残した程度で、今年また再度の進軍を試みたはずだった。今度は、戦線の長期化を見込んで、しっかりとした冬装備も用意して。
 何しろ、敗北したとはいえ、ルーシア王国の傷跡も軽くはない。警戒こそ怠ってはいないが、王都を全面的に炎上させたルーシア王国はその復興が未だに途上にあるという。当面は、ルーシア王国との小競り合いも発生しえないはずであった。
 とにかく、軍を動かすだけの資金があれば、反乱軍に対して適切な対処ができるのに。
 アクはそう思い、ふとクローゼットに陳列されている沢山の衣装を視界に納めた。
 「バラート、あの衣装、売ればお金になる?」
 「それは勿論・・ですが、それはいけませんわ。」
 バラートは突然のアクの申し出に、驚いた様子でそう言った。
 「でも、帝国にはお金がない。」
 「ですが、あれは皇妃様の為の衣類です。皇妃様のお美しさを際立たせるための、大切なものですわ。」
 綺麗なもの。
 それを失うのは、確かに惜しいけれど。
 「お洒落なら、お金をかけなくてもできる。町娘でも、可愛らしい服の人がいた。」
 アクは言った。
 「だから、今は、お金が必要。カイトに報告しなくてもいい。お金はバラートが管理して。いつかどうしても必要になった時に、役に立つのは服ではなくてお金。」
 「皇妃様・・。」
 決意が固いことを知ったのか、バラートは苦渋の色をみせた。
 「今度、バラートと一緒に洋服店に行きたい。」
 少し笑いながら、アクはそう言った。
 「バラートに、もう少し安くて、綺麗な服を選んで貰いたい。」
 アクがそう言うと、バラートはただ、はい、はい、とだけ答えて、そっと目の端を指先で押さえた。

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい

ハーツストーリー 71

みのり「あ、続きが出た。」
満「良かったな。」
みのり「書けるときに書けるだけ書くそうなので、のんびりお待ちくださいませ。」
満「毎週更新は難しいかもしれん・・。」
みのり「どうも本当にすみません、ではでは続きも宜しくお願いします!」

舞台裏(追記)
みのり「今気付いたけど連載止まって一年以上経ってたのね・・。」
満「時間が過ぎるのは早い・・。」

閲覧数:315

投稿日:2012/10/07 21:22:53

文字数:4,155文字

カテゴリ:小説

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  • matatab1

    matatab1

    ご意見・ご感想

     こんばんは、お久しぶりです。
     
     新着のテキスト欄を眺めていたら『ハーツストーリー』の文字が目に入り、本編を読んだ後に番外編があったのに気が付いて二重に驚きました。

     敗北続きで荒れるカイトと、割と落ち着いているアクの差が凄いですね。リンへの接し方で違いが出ている気が……。裏切って戦った人と、戦いにはなったけど話を聞いた人と言う感じで。

     自分のペースでやっていくのが第一で良いと思います。続きは気長に待ちますので。

    2012/10/08 22:29:27

    • レイジ

      レイジ

      お久しぶりです?

      色々お待たせしました。漸く書く気力が湧いてきましたよw
      『ハルジオン』時代と比べるとカイトの凋落ぶりが大きくなってきて書いていても哀れに感じます。
      単純な勧善懲悪にはならない作品になると思いますが宜しくお付き合いくださいませ。

      お言葉に甘えて(笑)、のんびりやらせていただこうと思います。
      ではでは今後ともよろしく!

      2012/10/09 21:15:20

  • lilum

    lilum

    ご意見・ご感想

    こんにちは。こちらではお久しぶりですね。

    連続投稿お疲れ様です。番外編が来ただけでも嬉しいのに、まさかハーツストーリーの続きまで来るとは思っていなかったので嬉しいです! しかも連続で来たので思わず声を上げて喜んでしまいました!w

    本編、アクさんが健気で泣けました・・・(´;ω;`)

    書ける時に書くペースで良いと思いますよ。ただ、近頃急に冷え込んできたりしていて体調を崩しやすそうなので、無理してまで更新はなさらないで下さいね。
    ゆったりのんびり、お待ちしてますから。


    応募の方、良い結果が出る事をお祈りしてます。それでは(^-^)/

    2012/10/08 16:22:55

    • レイジ

      レイジ

      ひさしぶりー
      早速コメントありがとう!

      自分で久しぶりに読み返したら自分で続きが気になったので書いてみた。どこまで気力が持つかは不明。
      番外編はハーツストーリー70を書いているうちにふっと頭に浮かんだ情景をそのまま書いています。

      とりあえずのんびりがんばります。

      アクちゃんのシーンは構想段階では入れない予定だった。(ずっとリン視点で書くつもりだった。)書いて良かったよw

      応募がんばりますー
      プロになれたらいいなぁ・・w

      2012/10/08 20:07:52

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