「商談入ったから、フロアよろしくね!」
店員について店の中に入ると、その男は近くにいた店内のスタッフにそう声をかけてから奥に続く別室へと沙羅を案内した。どうもただの店員にしては軽い印象の人物だとは思ったが、どうやらこの男はここの店長らしい。アンドロイドというのは新しい分野のため、若い世代が突出してくるのも不思議ではないが、その店長はまた一際若い気がする。理知的な印象と軽いしゃべり方が少々チグハグな感じは受けるが、それでも沙羅と大して年齢は変わらないように感じる。信用しきれない思いが消えなくて難しい表情の消えない沙羅に店長は苦笑した。
「うー…仕方ないとはいえ、バリバリ警戒されちゃってるね。本当は雑談から入りたいところだけど逆効果になりそうだから直ぐに本題入るよ。」
スタッフルームの一つらしく、中には軽く休憩をとるためのスペースが確保されていた。きっちり座れば6人程度で使用できそうな机。隅に積み上げられた椅子。一台のパソコンくらいがざっと目に入った。
沙羅がすすめられた椅子に腰掛けるのを確認すると、店長は店の隅に歩み寄っていく。シルクのような上質な布が被せられている何かがそこにはあった。それが何かなんて、布を取らなくても予想することは容易かった。伸ばされた手が、思いのほか優しく布を持ち上げる。丁寧に、そっと覆いを取り除かれると、そこにいたのはやはりKAITOだった。椅子に腰掛けた姿勢で僅かに俯いており、その瞳は閉じられている。太腿に乗せられている緩く握った両手も、ぴくりとも動く気配はない。
「電源、入ってないんだ。今のこの子に意識はないよ。」
そう言いながら、男がぽんぽんとKAITOの頭を撫でる。その表情が、何とも優しげだった。
「そのKAITOは…?」
「これね、えーっと、平たく言えば“中古品”って感じ。」
「そうだったんですか……あ、だからお金がない人向けってことだったんですね。」
「あーうん。まぁね…。」
一瞬納得しかけた沙羅だったが、どうも店長の方に発言のキレがない。不思議に思って首を傾げる。
「違うんですか?」
「や、違わないよ。確かにこいつは中古品。安くで売ろうとしているのも事実。理由は分からないけど、以前の持ち主から返品されてデータもリセットされてる。ボディに損傷があるわけでもないしメンテナンスの結果システム的にも異常はない。ただ何ていうか…。」
そこで言い淀んだ店長は、じっと瞼を閉じたまま眠るように座っているKAITOを見つめる。
「感情のプログラムがちょっと、おかしくなっちゃってるみたいでね。」
ぽつりとつぶやかれた言葉が部屋に何とも言えない哀愁のような気配を放ち始める。歌唱を売りとしたアンドロイドであるVOCALOIDには感情がある。しかし彼らがアンドロイドである以上、それらは全てプログラムだ。
「…嘘はだめだな。ちょっとじゃない。だいぶ、おかしくなってるんだ。」
「壊れて、るんですか?」
「壊れてないよ。」
今度のそれははっきりと響いた。自信に満ちた、強い声。守ろうとしているのだ。電源の入っていない彼の、プライドとか、人格とか、存在そのものとか、そういったもの全てを。
「壊れてない。メンテナンスの結果、ちゃんと感情プログラムも正常に作動してる。さすがにここが壊れてたら本部からの処分しろコールを無視できなかったけど。今は、稼働させずスタッフルームの隅に置いとくってとこで何とかなってる。最初はスタッフとして僕が雇っちゃうのもいいかと思ったんだけど、その、おかしくなってる感情プログラムのせいで接客のスキルがダメダメでね。」
「…そうだったんですか。」
さらりと流されたけれど沙羅は聞き逃さなかった。処分しろ、と。このKAITOはそう言われているのだ。どこも、壊れているわけではないのに。席を立って、眠っているかのように目を閉じている彼の傍まで歩み寄る。
「処分だなんて、ひどい。」
相手が目を閉じているのは知っていたけど、目線を合わせるように屈み込む。電源が入っていないということは、人間で言えば眠っているようなものと同じだろうか。それにしては姿勢よく座っていて崩れる様子がないのがさすがアンドロイドといったところだ。知らなければ、ちょっと考え事をしていて目を閉じているだけのようにも見える。今にも、不躾にじろじろと顔を覗き込む輩に迷惑そうな視線を返されてもおかしくないと思ってしまう。そんな彼を“処分”だなんて、おぞましい事に思えた。
「ほんっと、ひどい話でしょ。」
苦々しく言ったのは店長だ。忌々しい相手の顔でも思い浮かべているのか、虚空を睨みつけながら言葉を続ける。
「あいつらは何か勘違いしてるんだ。確かにKAITOを含め彼らVOCALOIDは僕たちにとっては商売道具だ。だから当然、商品には責任を持たないといけないし、不良品と言われても仕方がない状態のものを平然と客に売るわけにはいかない。でも彼らは物じゃないんだ!自分達が作り出したものだからって、相手が機械だからって…これだから直接関わってないやつは嫌なんだ!!」
徐々に語り口に熱が篭もり独白調になってきている。相槌すら打ちにくい空気になってきたため、沙羅は大人しく聞き入ることにした。声をかけられた時は心底怪しいと感じてしまったが、こうして話を聞いていると、この店長は心からVOCALOID達のことを大切にして可愛がっているのだと分かる。その想いが、この中古品のKAITOのためにここまでさせているのだろう。
「自分で考えて行動して、色んなものに触れて様々なことを感じ取って、そこから成長していく。彼らは初回起動の直後こそ、ほぼ同一のパーソナリティを備えているけれど、それぞれの主人のもとで経験を積んでいくことで個々に変化していくんだ。そりゃそうだ!考えられて、覚えられて、行動できて、感じることができるんだから、変わっていかない方がおかしい。そうやって日々変わっていくことを“生きてる”って言うんじゃないの?」
これはそろそろ、本当に沙羅のことを忘れているような気がする。今度こそそーっと出ていけば逃げ出せる可能性が高かったが、もうそんなことをしようという気にはならなかった。爛々と光る目で忌々しい幻影を睨みながらしゃべり続けるその人を、沙羅は意外と冷静に見つめることができた。激しいとは思ったが、言っていることは至極正しいと感じたからだ。
「どうして彼らを物と同一に考えられるのか、僕には皆目分からない!彼らと僕らの違いなんて、どうやって生まれたのか、どうやって、なにで動いているのかが違うくらいだろ?!あんなの僕に言わせれば、性格が気に入らないから殺せって言ってるのと何ら変わりない。ペットでもそんな扱い受けやしな、っあああぁ!!」
「え、なんですか?」
突如、なんの前触れもなく素っ頓狂な声を上げた店長に目を丸くすると、目の前の彼は、ははは、と乾いた笑い声をあげて複雑に崩れた笑顔らしきものを浮かべた。
「普通にごめん。調子に乗って僕ばっかり変なこと喋っちゃって。」
「変なことではなかったと思います。」
「あ、そ、そう?なんか君って…意外と肝が据わってるよね…。」
「そうですか?」
もしそうなのだとしたら、多分真優のおかげだなと思い、沙羅は頭の中に思い浮かべた親友に「おかげで肝が据わりました」と手を合わせておいた。冷静さを取り戻した店長に何か聞きたいことはあるか、と問われ改めて視線をKAITOへ向ける。
「あの…この子を動かしてもらうことって、できませんか?」
「ん、できるよ。ただ、ちょっと待ってもらうことになるけど。」
沙羅の言葉に、妙に嬉しそうな声が返ってくる。完全に放電してるから動ける状態になるまで少々時間がかかる、と傍にあった棚からケーブルを取り出しながら説明される。そのケーブルも、携帯電話や音楽プレイヤーの充電器と比べると随分立派な太さがあるのは、ものの規模と性能を鑑みれば当然のことか。
「ちなみに、今のところみんな充電式。日常生活程度の稼働状況なら40時間くらいは保つからね。結構優秀じゃない?運動量、歌唱時間によって結構変動するけど。…まぁこっちが気にしなくても本人たちが一番気にしてるから、そんなに心配しなくても大丈夫。それでも気になるっていう心配性なご主人様には補助バッテリーの購入をおすすめするよ。」
慣れた口調でそう説明しながら、充電プラグらしきものをコンセントに差し込みKAITOの首にゆるく巻かれた状態だったマフラーを外す。
「KAITOの場合、充電ポートは首の後ろね。コートの襟より少し上、マフラーの下にあるから一応この部分は大事にしないといけない。まぁ人間でもこんなところは打たないように重々気をつけないといけない場所だけど。」
コネクターがポートに挿し込まれると「ピピピ」という電子音が聞こえた。妙にこもって聞こえたのは、それがKAITOの内部に搭載されている機器から発せられた音だからだろう。そんなところを見ると、なるほど確かに機械なんだと改めて感心してしまった。
「さて、それじゃ、KAITOくんがお目覚めになるまで、僕らはちょっと一服するとしよう。」
沙羅が返事をする前に、コーヒー淹れてくるからと言ってスタッフルームから出て行ってしまった店長を見送り、仕方なく最初に勧められた席に再び腰掛けた。
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