ノクターン
後から考えても、一体その店の事をどうすれば形容できるかノシュには分からなかった。
青い髪の男に誘われるままにガラスの扉を押しあけて入った店の名前は、「ノクターン」。
最初に目に入ったのは、乱雑としか言いようがないほどぐちゃぐちゃに散らかった本の山に、テーブルの上に投げ出されている数多くの時計。
ぐるりと壁を囲んでいるのは、どれも高そうな時計だった。
いつかは邸宅の時を刻んでいたような時計が、数え切れないほど壁に張り付いてる光景も気持ち悪かった。
けれど、それ以上に気味が悪かったのはそれらの時計が一秒の狂いもなくそろって時を刻んでいるところだった。
店全体が広場から入る夕日をウィンドーから取り込んで、鈍く明るかった。
勿論、瞬間的にそんな事を考えられる事はなく、全部ノシュが後に思い返してつけた説明だった。
実際は、
「座って座って。紅茶で良い?」
と半ば強引に男にテーブルの横にうずもれていた所を発掘された椅子に座らされた。
椅子は赤い布張りで、ふかふかしていて、手の触れるところ全てがすべすべしていた。
つまりが、到底民家などに置いてあったり近所の家具屋で売られているようなものではなかった。
金持ちが工場で働いてる技術者の1年分の給料を軽く超える金を出して買うような、そんな品物だった。
明らかにオーダーメイドで、向かいにあるもう1脚と対になっていた。
とんでもない金持なのかもしれない。
改めてノシュは突然現れた男を見る。青い髪に、室内には不釣り合いな燕尾服。
パーティーにでも呼ばれるような出で立ちだ。
男は、テーブル――これも良く見れば、ひどく高価な物しか持てない特有の光沢をもっていた――の上の時計をわきに押しやって紅茶を入れていた。
全体的に高価な物しか置いてないはずだが、どうも片づけていないせいか部屋自体は少しも高級ではなかった。
まとめると、とにかく奇妙な店だった。
「ミルクは?砂糖は?」
男は少しもこちらを見ずに、手際良く紅茶を注いでいる。
「要りません」
「あれ、口利くんだ。」
普通此処に最初に来た人は、あんまりしゃべんないのになあ。
笑いながら嫌味のようにこれでもかとミルクと砂糖を溶かしこんだ紅茶を、ノシュの目の前に滑らせた。
一滴も、こぼさずに、滑らかに。
「さて、お客様」
横目で紅茶をちらりと見てから男は、何事もなかったかのように話しだす。
「お客様?」
「うん。まあ、この店に一歩入った時点でお客様。」
それは僕の意志には関係ないのか。ぐるぐるとかき混ぜてもいないのに紅茶の表面にクリームが渦を巻く。
今日は変なことばかりだ。疲れて、もう理性的に考える力も残っていない。
ノシュは今まで極力付けないようにしていた椅子の背もたれに、体を預けて、カップを手に取った。
男は目の前で、ノシュの存在をまるで空気か何かだと思っているように完璧に視点をずらしながら話す。
「この店は、あなたの失われた時間を売る店です。あなたには、買い戻したい時間はありますか?」
ようやく目線を合わせて、にっこりと男は笑う。
青い目がどうも胡散臭くて、視線を今度はノシュが逸らす。
「買い戻したい、時間?」
「いや、本当はこういうのが規則なんだけど、君は別。」
「何のことですか。」
「君は、気付いてないだけだよ。」
意味不明。
そろそろ困ったノシュは、逃げる準備でもしようかと靴ひもがほどけてないのを確かめる。
「靴ひも、ほどけてない?」
読まれていた。何なんだこいつ。
考えてみれば変だ。突然何もなかった所に道が現れて、進んでみたら、店があった。なんて。
なんでずっとこんなところにいるんだろう。
早く帰らなきゃいけない。
義務感に似た強迫観念が一瞬でノシュの頭の中に湧き上がる。
「あの、もうそろそろ」
「まだだよ。僕の話が終わってない。」
「話って何ですか」
「君の将来にかかわる事だから聞いておいた方が良いよ?」
「失礼ですけど、あなたは一体、何なんですか。」
誰、というより目の前の存在は「何」と聞いた方がしっくりくる。
人間と言うより、等身大の人形とでも話しているようだ。
無機質な、感情の無い声。
「僕は、ただの時計屋の店主だよ。ただ、人より少し物知りなだけで。」
時計屋の店主はそう言いながらノシュの目の前に置かれた、紅茶に指をつける。
紅茶がまたひとりでに渦巻き、時計回り、逆周り、ぐるぐるぐるぐる。
何故か目が離せないで、その回転を目で追う。
気分が悪くなって、平衡感覚が段々となくなっていくのが自分でも分かるようになった頃、うっすらと表面がさざ波だった。
「何か話してもきいてくれなそうだから、見せる事にするね。」
プラスチックの板を通したようなくぐもった声が、耳元で響いた。
今はもう、紅茶の表面は不思議と大きく広がり、視界一杯に広がっていた。
紅茶色のスクリーンの上をミルクの白が流れて、店主の声がナレーションを入れる。
自分が、途方もなくこの空間とは無関係だと、ノシュは理解した。
スクリーンの上にミルクが文字を描く。
【双子の物語】
「ウェルツで有名な物と言えば、美しい街並みと町の中央に位置する広場に建つ時計塔。
けれど、それ以上にウェルツは双子の町として有名だった。
人口の3割強が双子と言う世にも珍しいこの街では、どこに行っても双子がいる。
双子はこの街では幸福の象徴とされてて、実際、ウェルツの双子は揃って幸福そうに長生きしてる。」
【双子は、1つの魂を分け合っているものだから】
柔らかく輪郭が溶け合う二つの命が、まじりあって一つの卵に戻り、そこからまた二人が生まれる様子を、ミルクが描く。
「歴史あるウェルツでは、双子は同じような人生を歩み、同じように生きていた。
そもそも何故、ウェルツで双子が多く生まれるようになったのか。
まず、この街にある時計塔が生まれた頃の話までさかのぼって辿ってみよう。」
【600年前】
荒れ地にところどころ、街の残骸だろうか。
城や家の土台らしき頑丈そうな煉瓦の基礎。
戦いの炎で焼かれたのであろう、黒く焦げた木々、そして布の切れ端が風にはためいているのが見えた。
その風景を一人、進む、その光景に不釣り合いな燕尾服の男。
「これだけじゃ、恐らく分からないだろうからもっとずっと辿ってみようか。」
【800年前】
素朴な石造りの街に、今では見た事もないような服を着た人々が住んでいる。
そこにいるのは、双子ばかり。
人々は気付いていないようだが、燕尾服の男がその様子を一軒の家の屋根から見ていた。
人々は、協力して何かの土台を作っていた。丁度今で言うと、広場の中央に当たる位置だ。
ノシュは双子だらけの、異様な光景に生理的な拒絶を覚えて、自分の身体を抱きしめようとした。
けれど、その体も紅茶の世界でははっきりせずに、手の間から流れ出してしまった。
【1000年前】
そこには、村さえなく人が集まっているようさえ見えない、ただの野原が広がっていた。
燕尾服の男がスキップを踏みながら、一人背の高い草をかき分けて歩いている。
やがて、野原の中で落ちくぼんでいる湖の前で男は立ち止った。
水の表面がゆらりと揺れたかと思うと、湖の表面一杯にそっくりだけど決定的に「ナニカ」が違う世界が映った。
見慣れたそれが、現在の時計塔の姿だと気がつくのに、しばらく時間がかかった。
ノシュがその意味を汲み取る前に、ミルクはさっと溶けてしまった。
そこに、燕尾服の店主の声が流れる。
「最後に見た光景の意味を説明するとすれば、ウェルツの広場の中心。
時計塔の真下にはこことは別な世界が広がっている。
どこから来たのか分からないけれど、そこは時空がねじ曲がっていて、全く別の世界が広がっている。
何でか、とか理由は聞かないでね。」
「ともかく、ウェルツは別の世界と繋がってる入口にあたる部分に時計塔を据えてしまったから、時間が2つ存在している特別な街なんだ。
勿論、一つの世界に二つも時間があったら大変だから、こっちの世界で使わない時間は、別な世界に押し込めてある。
それの調整をしてるのがこの店とこの辺り一帯。
ここら辺はもう、「あっちの時間」で動いてる。だから、違和感を覚えたんだと思うよ。」
「話を戻すと、時空がねじ曲がっているあっちの世界の分の命もこっちに流れ込んできているから、双子が多いんだ。
最近双子が減ってきているのは、あっちの世界の住人が少なくなったって事。
元々一つの予定だった命に、割り込む形で生まれてくるから、この街の双子は同じような人生を歩む。
運命も、命も分割してるものだからね。」
噛んで含めるように優しく、どこか馬鹿にしたように店主は話し続ける。
とりあえず、時空がねじ曲がっているだの、異世界がどうのこうのだの。
ちっとも現実的な問題には結び付けられないような事ばかり、立てつづけに言われたノシュの頭は疑問符で埋まりかける。
全く、何が言いたいんだ。
とか、変人の戯言には付き合ってられない。
とか、思う気持ちが無いでもない。というか、早い話がそんな気持ちが90%超。
けれど、目の前で流れ続ける紅茶の空間とか、ミルクが文字を描いてるだとか、自分の存在がはっきりしないだとか。
既に非日常に取り込まれている僕には、多分こんな馬鹿げた話でも拒否権はないんだないんだろう。
「だから、この街では双子が全く違う生き方をするとか、別々に死ぬことはなかったんだ。」
一瞬、悲しげに店主の声が途切れる。
嫌な予感しか、しない。
「だけど、」
低い声が先を言うのをためらったせいか、ミルクが後をつないだ。
【けれど、この街でただ一人だけ双子として生まれるはずだった子供がいた。】
その子供の片割れは、生まれてきた時にすでに息をしていなかった。
その子供は今14歳。名前をノシュと言う。
「君の事だよ。」
唐突に出てきた自分の名前に、驚かないでいられるほど理性的だったわけじゃない。
ノシュがはっとして、ぼんやりしていた意識を集中させたその時と同化するように、紅茶の世界は終わった。
すっと視界から霧が晴れるように元の、時計屋の乱雑な風景に戻る。
差し込んでいた西日はとっくに温かみを失って、日が落ちていた。
「紅茶、お代わりいる?」
店主の声と、張り付いた笑顔を上の空で認識しながら、ノシュの手は紅茶のカップを無意識に握りしめていた。
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