ザーザーという音が聞こえる。
擬音だけ見ればそれは雨にも思える。
けれどもそれは波の音。潮の匂い、砂の感触、それらを交えて推理すると海、にいるのだろう。
休息のための旅行、とはいえ、企画したのは彼女であり、私はどこに連れてこられたのかわからない。
「ニャー」
左の方で猫の鳴き声。
「おいで、宵闇」
それは猫の宵闇。いつの間にかそばにいた。そんな猫。
「おまたせしましたー!ホテルの予約取れましたよ!」
「…旅行というものは、まず先にホテルを予約するべきでは?」
「行き当たりばったりも面白いかと思いまして…すみません、先生」
「……」
ほっといて宵闇とじゃれる。
「と、とりあえずホテルに行きましょうよ!」
「…もう少しだけ」
「宵闇ちゃん…ですか?」
「ああ」
「…わかりました。じゃ、私は砂のお城作ってきます!」
足音が離れていった。
「ニャー」
「……」
顔を擦りつけてくる宵闇、波の音を聞きながら、回想に入る。海藻だけに…いや、なんでもない。
私は生まれつき目が見えない。それでも絵を描くのが好きだった。
そんなある日、私の絵は天才的だと誰かが言った。ただ感情を描きなぐっただけなのに。
そしていつしか、私の絵は売られるようになり、目の見えない天才画家と言われるようになった。まるで『目が見えない』ということを、売り物にしているようにも思えた。
両親は私の絵の利益に関しての意見の不一致で離婚、私の絵を金のなる木としか思っていない母親と過ごしていた。
けれどもそんな関係は、ある程度私の貯蓄が溜まった時に終わった。高価な家と札束を母親に渡し、私は画商の方の家に住み込みで絵を描くようになった。
「好きなように暮らして、自分の好きな絵を好きな時に好きなだけ描けばいい」、そう言ってくれた画商は、絵の買い取り以外はほとんど私の部屋兼アトリエには来なかった。
食事は画商が運んでくれてはいたが、私は描くのに夢中で気づかなかった。
そんなすれ違いの日が続いたある日、猫が鳴いた。
「……猫?」
「は?どこに?」
「いや…猫の声が聞こえたんだけど…」
「それはない。この部屋は俺の部屋を経由しないと行けない、そして俺は猫アレルギーの猫嫌い。俺くしゃみしていないだろ?猫の鳴き声なんて気のせいだ」
「……そっか」
けれどもその日から、猫の鳴き声は聞こえた。
私は恐る恐るその猫を呼んでみた。すると、「ニャー」と鳴いて近寄ってきた。
ふわっとした毛並み、三角の耳、プニプニの肉球、それは紛れもない猫。
「ニャー」
「…不思議なやつだな」
きっとそれは私の空想上のものなんだろう。でも、確かにそこにいる。
「ニャー」
「……おいで、宵闇」
闇の中から現れた猫、だから宵闇。まあ、私が黒猫好きということもあるのだけれど。
その日から、宵闇は私の支えとなった。けれどもそれは画商の不安の種でもあった。
自分には見えない猫と触れ合う私は、彼から見れば異常なのだろう。
彼は、「気分転換に旅行でも行ったらどうだ?」と言った。たまには、と思って私は賛成した。けれど、
「はじめまして!先生のファンです!えっと、あの人は急用とか言って、代わりに私が来たってわけです。よろしくお願いします!」
「…こんな私でよければよろしく」
「男性なのに一人称が私とは素敵ですね!」
「……」
初めて会ったその女性の第一印象は、とても元気で声が大きくうるさい、だった。
まあ、そんな感じで今に至るわけだ。
ホテルの一室、ベッドはそれなりにふかふか。宵闇も居心地がいいのか、ウトウトしている。気がする。
「どうですか?この部屋」
「…絵が描きたい」
「そう言うと思って用意してあります!どうぞ!」
渡されたのはスケッチブックと鉛筆、まあ、仕方ない…か。
シャッシャッと言う音が部屋に響く。
「……あ」
「ど、どうしましたか!?」
「いや、宵闇が膝の上で寝た」
「あ…なるほど……」
「……君は私が異常だと思うか?」
「いえ、全然」
私は描く手を止めた。
「…私が目が見えない。つまり世界が見えないということだ」
「はい」
「ここはホテルだと言った。その前は海」
「はい」
「けれどもそこが本当にそうだとは限らない」
「はい?」
「例えばここが精神病院で、私は画家だと思い込んでいるただのイカレタ精神患者という可能性もある」
「でも場所が…」
「病室に砂と潮の香り、あとは波の音を用意すればそこを海だと錯覚する。目が見えない私はなおさら、な」
「……」
宵闇を軽くなでる。
「疑わしき点はあと2つ、私がホテルの部屋に着く前誰とも出会わなかったこと、そして君は宵闇が見えないこと。はっきり言おう、君は私の妄想か?」
「…私は、生きてますよ」
「それはどちらともとらえられるだろ」
「すみません…」
「……私は暗闇が嫌いだ。周りの様子がわからないし、一人じゃなくても一人のような気がする」
「えっと…」
「つまり、君の声は大きいが落ち着くからそばにいろ、妄想でも現実でももうどちらでもいい」
「はい!」
「私は目が見えない。本当は今どこにいるのか、時間すらわからない。嫌でも他人の言葉に耳を傾けるしかないんだ」
「私は馬鹿正直なので大丈夫ですよ!」
「…だろうな」
「ひ、ひどいですよ!もう!」
私にしか聞こえない宵闇の声姿、彼女もそうなのだろうか。画商もそうなのだろうか。
真実は何もわからない。これら全てが私の妄想だという可能性もある。
「あ、そういや宵闇ちゃんの餌買ってきましたよ!食べるかわかりませんが…」
「…ははっ」
「別に笑わなくても…って笑った!しゃ、写真を!」
「うるさい」
「あう…」
この世界は実に不確かだ。
それでも私は、まだこの世界に居たいと思う。
この世界で
まだもうちょい続きますよー。
あと2話か3話くらい。
歌詞化などご自由に。
年齢イメージ
画家 30代後半から40代前半
画商 20代後半から30代前半
女性 20代前半
続き http://piapro.jp/t/9EYB
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