かつて大都市だった名残の、舗装された道を走る。
時折肩が人にぶつかっても、謝りもせずに、ただ、前を見据えて走り続ける。
『待って』
息切れしそうになりながらも、ずんずん進んでいく大きな背中を呼んだ。
それでもこちらを向いてくれない事がもどかしくて、頑張ってスピードを上げようとしたけれど。
『こら!どこに行く気だ!』
急に大人2人に止められて、転びそうになった。
はっと気付くと、目の前には、地下の通路に続く穴。
子供の僕は、この先に行く事は許されない。
諦めきれなくて、大人たちに押さえられながらも、穴を下りようとするその人に手を伸ばした。
『行かないで、 』
~箱庭にて~
一章
目が覚めると、もう昼だった。
まるで、今の今まで本当に走っていたみたいに、全身汗だくだ。
「夢…か…」
随分と懐かしい夢だった。
物心ついてすぐ、父が兵として軍に連れていかれた記憶。
昔の事すぎて、僕に父がいた事すら忘れていた。
どうして忘れていたんだろう。どうして今、思い出したんだろう。
…解らない。
「…魁斗ー?生きてんのー?」
屋外から聞こえてきた声に、苦い気持ちになる。
生きてんのー?とは、これはまた失礼な訊き方だ。
窓を開けて見下ろすと…ほら、やっぱりいた、仕事仲間の芽衣子だ。
「生きてるよ!ちょっと待ってて、着替えてすぐ行くから!」
「はぁ?あんたまだ寝てたわけ?」
馬鹿にしたような声を無視して、部屋に引っ込む。
戦前は僕の母がこの家に住んでいたらしいが、かなり前から、僕1人きりだ。
本来の家の主である母は、僕を産んですぐに亡くなったと聞かされている。
医療設備がそれほど整っていない箱庭では、そう珍しい事じゃない。
僕だって、体はそれほど丈夫とは言えないし。
だからこそ、唯一の家族だった父が"外"に行ってしまった時は、すごくショックで、帰ってからわんわん泣いたような気がする。
今までずっと忘れていたのに、一旦思い出してしまうと、色々覚えていた事に少し驚く。
「…ごめん、お待たせ」
なるべく急いで家の外に出ると、芽衣子にじろりと横目で睨まれた。
「ホント、随分待たされたわ。早く行くわよ、お母さんが待ってるわ」
「解ってるよ」
お母さんというのは、僕みたいな孤児を引き取って、育ててくれているおばさんだ。
おばさんと言うには若い気もするけど、お姉さんと呼ぶにはちょっと…という感じなので、昔の習慣で、お母さんと呼んでいる。
そのお母さんの手伝いが、僕と芽衣子の仕事。
父がいなくなってから、ずっと育ててもらった恩返しになれば…というつもりで、1人暮らしを始めてから今まで、働かせてもらっている。
つまり…芽衣子も僕と同じく、両親がいない。
それでも気丈な彼女を見ていると、本当に元気付けられる。
「何をボーッとしてんのよ。気持ち悪いわね」
まぁ…こういう、どストレートなところもあるんだけど。
まさか、年下だと思って馬鹿にしてるんじゃないだろうな。
…ありそうで怖い。
「気持ち悪いはないだろ、気持ち悪いは」
「いいじゃないの、嘘は言ってないわよ」
「そういう問題じゃ…!」
「あらあら」
笑みを含んだ声に我に返る。
いつの間にか、孤児たちが暮らす建物の前まで来ていた。
かつて"学校"という場所だったらしいその建物の入口で、お母さんが微笑んでいた。
「あ…遅くなってごめんねお母さん。この馬鹿がぐずぐずするから…」
「うっ…ちゃんと起きるつもりだったんだよ?!」
「起きられなかったんだから同じでしょ?」
「ふふ…相変わらず仲がいいのね」
お母さんにそう言われてしまうと、もうそれ以上言い争う気になれない。
不思議な人だ。
「魁斗、体調が悪いわけじゃないのね?」
「うん。ごめん、寝過ごしちゃって」
「いいのよ。私だって1人でやっていけないわけじゃないもの。ただ…」
続きを言おうとしたお母さんの背後から、小さい人影が3つ、飛び出してきた。
そのまま僕と芽衣子に、勢いよくぶつかってくる。
鳩尾に衝撃が走って、息が詰まったが、文句を言うわけにはいかない。
「にーちゃんもねーちゃんも遅い!!」
「遅い!!」
怒ってように見上げてくる3人に、僕らは苦笑するしかなかった。
「こらこら、2人とも忙しいんだから、鈴も錬もそんな事言わないの」
「だってー…」
お母さんにそう言われて、鈴は口を尖らせる。
離れるどころか、ますます強くしがみつかれて、ちょっと苦しい。
「3人だけじゃ退屈なんだもん。ねー、錬、未来ちゃん」
「ねー」
答えた未来の、長い髪が揺れる。
お母さんを真似て2つにくくっているが、髪がくるくるにならないと拗ねていたっけ。
見事なまでに直毛なのは…諦めたのかな。
「はいはい、解ったよ。遅れて悪かった」
かわるがわる頭を撫でてやると、途端に3人とも機嫌が直って、にぱっと笑う。
みんな僕の弟妹みたいなものだから、何というか…可愛いなぁ、もう。
「あぁ…そうだ魁斗、貴方に手紙がきてたわよ」
「僕に?」
手紙とは珍しい。
外界との繋がりは、たった1つ、時々軍が物資を運んでくるための地下道だけだ。
物資と一緒に郵便物が運ばれてくるなんて、そうしょっちゅうある事じゃない。
ましてや、個人に宛てた手紙なんて。
「誰から?」
「さぁ…軍の方が、貴方に渡してくれって…それしか聞いてないわ」
「ふーん…」
封書を受け取って、ひっくり返してみても、何も書かれていない。
興味津々の未来の手をかわしながら、封を切って、紙を広げて…絶句した。
「おにーちゃん、どーしたの?」
無邪気な声にも応えられない。
後ろから覗き込んだ芽衣子が、はっと息を飲んで、僕の肩をぎゅっと掴む。
父が、死んだ。
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