十二月の二十八日、俺は自分の部屋で掃除をしていた。いわゆる、年末の大掃除、という奴である。普段から掃除はしているんだが、家具を動かしてみると、見たくないぐらい埃は溜まっていた。誰でもいいから、埃が溜まらない装置とかを発明してほしい。
「レン~、捨てる本くくって出しといて~」
下から母さんの叫ぶ声が聞こえてきた。はいはい、わかってますよ。束ねた古雑誌を、階下に下ろす。
「あ、そうだ、レン。あんた、お正月はどうするの?」
「どうって……別に」
「彼女できたんでしょ? 初詣でも行ってくれば?」
……そういや中三の正月は、ユイと一緒に初詣に行ったんだよな。二人で神社で合格祈願をしたんだっけ。なんだか、もうずいぶん昔のことのように思える。
でも、リンはお正月は動きが取れないって言っていた。家にお父さんの仕事関係にお客さんがたくさん来るので、挨拶やら何やらをしなくちゃいけないからと。
「向こうが忙しいんだよ、色々と」
俺はそう答えて、自分の部屋に戻った。……雑巾を手に、拭き掃除に戻る。だが、なんだか掃除の続きをする気になれない。
……冬休みの間、ずっとリンの顔が見れないなんて拷問に近いぞ。なんとか、リンを連れ出せないもんだろうか。
とはいえ、初音さんでもない限り、あの状態のリンを引きずり出すのは難しいだろう。そして初音さんは、家族旅行で今、日本にいない。クオも実家に帰っちゃってるし……。
その時、ふっと俺にある考えが閃いた。……いやいや、幾らなんでも無理があるぞ。大体、あいつをぶつけたら余計恐ろしいことになるかもしれないじゃないか。
でもなあ……駄目元って言葉もあるし……。
悩んだ末、俺は携帯を取り出して、ある番号にかけた。しばらくして、向こうが出る。
「は~い、こちらはグミですっ!」
グミに頼み事をするのは正直気が進まないが、こういう「エネルギーだけはありあまっている」奴なら、もしかして状況の打開が図れるかもしれない。
「鏡音先輩がかけてくるなんて珍しいですねえ。あたしに何か用ですか?」
「あ、えーと、その……」
俺はとりあえず、前提となる事情を話した。要するに、リンとつきあうことになったということだ。電話口の向こうで、グミが笑い出す。
「あっはっは、やっぱりそうなったんですか」
「なんだよその『やっぱり』ってのは」
「だって傍から見てバレバレでしたも~ん、鏡音先輩がリン先輩のこと気にしてたの。気づいてないのはコウ君ぐらいなものですよ」
こいつの頭はどうなっているんだろうか。
「良かったですね鏡音先輩。リン先輩とお幸せに」
……俺らは結婚するわけじゃないっ! はあ、本当に、こいつはわからん。
「じゃ、あたしはこれで」
「切るなっ! 本題はこれからだっ!」
思わず叫ぶ。電話口の向こうから、グミのきょとんとした声が聞こえて来た。
「え? 何です?」
「あ~……、つまり……」
俺はグミに、リンの家の事情を話した。家が死ぬほど厳しくて、異性とのつきあいも禁止されているという話だ。
「ああ、だからリン先輩、自分は恋愛とは縁遠いなんてよくわかんないこと、言ってたんですね」
……いつそういう話をしたんだ? グミって、不思議と同性受けがいいんだよな。演劇部でも可愛がられてるし。
「で、それとあたしがどう繋がるんです?」
「後数日で正月だろ。グミ、お前、正月にリンを外に連れ出せないか?」
「ええ? あたしがですか!? あたし、そこまで親しくないですよ!?」
親しくないって……お前、リンのこと下の名前で呼んでるじゃないか。お前が名前呼びにしてる先輩は、演劇部でもグミヤだけだぞ。
「そういうの頼むんなら、ミク先輩の方がいいと思いますけど」
「初音さんは家族旅行で家にいないんだよ」
グミはしばらくの間、電話の向こうで黙り込んだ。
「……鏡音先輩」
「何だ?」
「それをやったら、あたしの頼みもきいてもらえます?」
う……何を言い出す気だ、こいつは。ろくでもないことじゃないといいんだが……。
「俺にできることなら。……後、法に触れるようなことは駄目だぞ」
悪魔に魂売る人間って、こういう心境なんだろうか。そんな気持ちで俺はそう言ったが、グミは電話口でまた笑い出した。
「あははは、心配しなくても、そんな大げさなことじゃないですから。大体、犯罪なんか頼んであたしに何のメリットがあるっていうんです?」
……そりゃそうだ。警戒しすぎたか。
「で、頼みってのは何だ?」
「あ~、それなんですけどね。来年の学祭の公演の演目、あたしとグミヤ先輩のラヴストーリーにしてほしいんです。多分また鏡音先輩が決めるんでしょうから」
うげ……グミの頼みってのはそれかい。どうしたもんかなあ……。
「悲劇でもいいか?」
幸せな結末にこだわると、選択肢が限られてくる。悲劇も勘定にいれれば、もう少し候補を広げられるだろう。
「ハッピーエンドが第一志望ですけど、無いんなら悲劇でもいいですよ。舞台の上でグミヤ先輩と愛を叫べれば」
すまんグミヤ。次の学祭で、またちょっと恥ずかしい思いをしてくれ。
「わかった、引き受けよう。ただし! 成功報酬だぞ」
やってはみたけど駄目でした、でもこっちのお願いはきいてくださいね、なんてのはごめんだ。
「わかってますよ。あ、鏡音先輩。リン先輩の連絡先と住所、教えてくれません?」
「わかった、後でまとめてメールでそっちに送る」
「はいわかりました。それじゃ、お正月を楽しみにしていてくださいねっ!」
そう言って、グミは電話を切った。……あらためて、自分のしたことは正しかったんだろうかという懸念が湧いてくる。
とはいえ、頼んじまったもんは仕方がない。グミが上手にやってくれることを祈ろう。ものすごく不安だけど。
そして正月。俺が指定された神社の境内で、不安な気持ちでいると、グミからメールが入った。「作戦成功しました。今から向かいますから、そのまま早緑神社の境内で待っててください」か。なかなか返事が来ないから心配していたんだが、どうやら、上手くいったらしい。
「グミからか?」
「ああ、上手く行ったって。ありがとうな、グミヤ」
俺がグミに頼みごとをしなかったら、グミヤはグミと二人で初詣に行ってたんだろうし。
「なーに、大したことじゃないさ、俺にはな。それより、後でグミに礼を言ってやってくれ」
そのまま二人でしばらく待っていると、お馴染みのでかい声が聞こえてきた。
「あ、いたいた! こっちです、こっち~っ!」
そっちを見ると、グミとリンが並んで立っていた。あ……二人とも着物姿だ。リンは緑に黄色い花柄の、グミは赤に水仙柄の着物を着ている。……女の子って、着るものでずいぶん感じが変わるんだな。とはいえ、グミはあの格好で手をぶんぶん振っているので、少しもおしとやかそうには見えなかったりするけど。
「レン君!?」
リンがびっくりしている。……ごめん、事前に連絡取る方法思いつかなかったんだよ。
「鏡音先輩に頼まれたんです。リン先輩を、連れて来てくれって」
グミが横からそう説明している。俺はリンの手を取った。リンはまだ驚いた顔をしている。
「折角の正月なんだから、一緒に出かけたかったんだよ」
リンは顔を赤くして、下を向いてしまった。着物を着ているせいか、普段より一層大人しく見える。
「……ありがとう」
かろうじて聞き取れるくらいの声で、リンはそう言った。顔をあげて、少し無理した感じの笑顔を浮かべる。でも、喜んでくれていることは、確かだった。
俺たちは、揃って神社に参拝した。お賽銭を入れて、一年を無事に過ごせたことへの感謝をして――リンとつきあえるようになったことにも、感謝した方がいいだろう――それから願い事をする。
お願いか……ここはやっぱり「リンとこの先も一緒に過ごせますように」しかないだろうな。できれば来年も、こうやって一緒に初詣に行きたいし。
ちらっと隣のリンの様子を伺うと、真剣な表情で瞳を閉じて手をあわせていた。不意に、その表情が翳る。あれ、どうしたんだ。
「リン?」
俺が声をかけると、リンははっとなってこっちを見た。困ったような表情をしている。
「お願いって……一つじゃないと、駄目なのかな」
お願いが複数? あ、リンは多分、自分のことを願うのか、それとも他の人のことを願うのかで悩んでいるんだな。
リンは自分の幸せを願っていいと思う。それを願ったって、バチなんて当たらないよ。
「おめでたい日なんだし、思いつくかぎりのお願いをしてもいいんじゃない? それでバチを当てるほど、神様だって心が狭くないと思う」
とはいえ、それを言うとまた悩みそうなので、俺はこう口にした。リンはたくさんの願い事をしたっていいと思う。
「う、うん……ありがとう」
リンはもう一度瞳を閉じると、手をあわせてお願いを始めた。……俺ももう少し願い事をしておくか。いや、いいや。
願い事をするより、願い事をしているリンを眺めていたい。
おみくじを引いたり、境内を散歩したり、行きかう人を眺めたり、そういうことをしてその日は過ごした。なんか……神社に来るのも久しぶりだな。ちなみにここはグミの家から近い神社で、観光名所とかじゃない、こじんまりした神社だ。それでも今日は正月なので人出が多い。
残念ながら、リンはそのうちに帰らなくてはならなくなってしまった。グミも借りた着物――グミの着物は、リンが貸してくれたんだそうだ――を返さないといけないので、一緒に戻ることになる。交換条件のことはあれだが、グミが手を貸してくれて今回は助かった。戯曲の選定については、またリンと相談しよう。
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