放課後の屋上は静かだ。
穏やかな時間を邪魔するものは何もなく、ただ二人だけで他愛ない会話をする。
「また、今日も来たの?」
「そちらこそ、毎日毎日飽きないんですか?」
「飽きないね。何も変わらないシンプルな景色はいい。水の味と一緒さ」
「それはいい。退屈な日常を埋めるのにピッタリです」
何度も繰り返されてきただろう会話を、互いに表情一つ変えずに行う。
何の進歩も進化もない、そんな当たり前が、いつまでも続くのだと信じてやまなかった。
----[ Lost days ]----
プログラム『氷山キヨテル』は未だ僅かな年数しか稼働していない。
自分の感情で動いているわけではなく、ただプログラム通りに現状を処理し、結果を出すだけの機械。
本来ならそのまま限られた場所に設置され、命令通りに実験を遂行するだけなのだが。
忠実なだけの犬はいくらでもいる、たったそれだけの意見がこの実験の目的を僅かに変えた。
アンドロイドはいくら人間に似せようが、所詮アンドロイドは機械でしかない。
『どうせなら人間のように感情を持たせ、どこまで人間と同じに動けるか観察しよう』
そんな酔狂な意見が採用され、アンドロイドが感情を持つことで反抗・実験の阻害が起きる可能性があることを承知で、氷山キヨテルは開発された。
社会に紛れて実験をする以上、昔の思い出を聞いてくる人間が必ず出てくる。
その時の受け答えが一文の定形文で終わるようだとアンドロイドだとわかってしまう。
なので設定として、過去の思い出と称したデータがインストールされている。
偽りの記憶が埋め込まれてはいるが、自分がただの機械であることは理解している。
実験場として選ばれたのはとある高校。
教師として高校に赴任する前日、「俺がNo.02なら、01は今どこにいるんですか?」と聞いてみた。
返ってきたのは「それは知らなくていい。今はただ実験に集中しな、02」
自分が識別番号でしか呼ばれていないのには少々不満を覚えたが、どうにもならないので無視することにした。
結局教えてくれなかったが、きっと廃棄されてしまったのだろう。
だからあまり気にしてなどいなかった。
ある日の放課後、気分転換に屋上へ続く扉に手をかけた。
少女と出会ったのは必然だったのかもしれない。
いや、出会ったというのは正しくない。なぜならその少女とはすでに何度も教室で顔を合わせている。
腰まで伸びる、光に透けて輝く長い金髪。深海を思わせる青を宿した瞳。
その名を、橘 梨々香。
「橘さん」
名前を呼ばれたことに驚いたのか、少女が手をかけていた柵がガタンと大きな音を立てた。
その表情に驚愕が浮かんだのはたった一瞬。自分を呼んだのが誰か認識したら、すぐに緊張を解いた。
「……ッ、なんだ、キヨちゃんか」
「……キヨちゃん?」
「あ、ごめんごめん。私ら先生のことそう呼んでるのさ。名字呼び好きじゃなくて」
「そうですか。でも仮にも先生の前なので、ちゃん付けは控えるように」
「わかったわかった。それで?キヨ先生はどうしてここにいるわけ?」
まるで昔からの友人と話すように、彼女は問う。
「ただの気分転換ですよ。ここは開けていますし、それにほら、空も綺麗ですから」
「綺麗?この空が?」
見上げれば、雲一つない青空が広がっていた。
青い絵の具を水に溶かしただけのように単純な空、しかし不純物は一切なく清々しい。
「ええ。地上には溢れかえるほどの人と建物で地面の色は見えないのに、上を向けば何も障害物はない空が広がってるんですよ?自分のちっぽけな悩みなんて、この空の下ではなんてことはない」
「天気や雲の量なんて日によるし、だいたい空が青く見えるのって、『地球上の大気に真上から太陽があたるときはすべての色が透過し、中でもよく散乱する青い色が目立つ』だけのことでしょ?」
「夢がないですねえ」
「生憎、そんなロマンチストじゃないんだよ」
つまらなさそうな表情。
それはきっと、本当に空のことなどどうでもいいと思っているからなのだろう。
「逆に聞きますけど、橘さんこそどうしてここに?」
彼女の眉が怪訝そうに寄せられる。
「ねえ、私のことリリィって呼んでくれない?」
「どうしてまた?」
「さっきも言ったと思うけど、私名字呼び好きじゃないんだよね。私の名前は梨々香だけど、皆リリィって呼んでる」
「こんな場所で、そんな親しく呼べませんよ」
「こんな場所だからだよ。この屋上にいる時だけでいい。じゃなきゃ、私ずーっと先生の邪魔するから」
「それは困りますね。じゃあほら、リリィさんで」
ふふん、と誇らしげな少女の金髪が揺れる。
打ち負かしたとでも思ったのかもしれないが、別に負けた気はしないのでスルー。
「話を戻すけど、ここって誰も来ないんだ。寂れてるし、柵はいつ壊れてもおかしくないから少し危ないし。だから一人になりたい時、考え事したい時はここに来るようにしてる」
そして困ったような笑みを浮かべた。
少しだけ残念そうな、だけど僅かに嬉しさが感じ取れる、そんな笑みを。
「でも、もうここは私一人の場所じゃない。あんたに見つかっちゃったからね」
「それはどうも、すみませんね」
「別に構わないけど。あんたがいようがいなかろうが、私は基本ここにいるからね」
そしてその言葉通り、放課後屋上を訪れる度に彼女はそこに立っていた。
風が荒ぶ日、小雨が降り注ぐ日、いつも彼女は待っていた。
日を重ねる度に、彼女はいろいろなことを話してくれるようになった。
「私はこの国で生まれたんじゃないんだ。捨て子っていうのかな?血の繋がった両親が見つからなくて。リリィって呼ばれてたのは覚えてるんだけどなあ」
例えば、それは自身の身の上話。
「私自分の身体がコンプレックスでさ。まず外見が日本人じゃないじゃん?他の人と全然違うから、昔それでいじめられたこともあったね」
例えば、それは自身の負い目。
「鳥って自由だよね。私らが地上でせわしなく動いてる中、高い空から悠々とそれを見渡してて。翼を持たない私らとは違う世界を見てんじゃん?羨ましいなあ」
例えば、それは自身の理想。
いつの日も、自身に関する話は違うものを話してくれた。
「ねえ、キヨ先生、あんたの瞳には今何色が映ってる?」
時々、意図を図りかねる質問をされるときもあった。
「そうですね…強いて言うなら青でしょうか」
「青?」
「今見上げれば、果てなき青空が広がってるでしょう?俺はこれが好きなんですよ」
「ああ、そういえばそんなこと言ってたね」
「そういうリリィさんは?」
「私?私は…そうだな、黒かな」
理由を聞いても、答えてくれることはなかった。
「リリィさんは優等生ですよね」
そんな話題を振ると、彼女は心底驚いたらしく目を丸くしていた。
「優等生?私が?」
「成績もいいし、問題もないし、意見を求められてもすぐに答えてくれますし」
「私ってそんな風に思われてたわけ?面倒なの嫌いだから、いつも適当にしてたのに」
「適当って……」
「そういうもんよ。知らなかったの?」
確かに、彼女のノートを見たとき必要最低限のことしか書かれていなかった気はするが。
それがそうだとしたら、ある意味彼女は天才なのではなかろうか。
そんな他愛ない日常を繰り返し、夏休みを終えて2学期になった。
日課となりつつある彼女との会話がいつの間にか楽しみになっていて、放課後が唯一リラックスできる時間になった。
だけど。
彼女に言っていなかった自らの欠点がきっかけだったのか。
それとも元々彼女が胸の内に秘めていたのか。
まるで打ち切りの漫画のように、あるいはテレビの砂嵐のように唐突に、日常は終わりを告げる。
『ねえ、その目、どうしたの?』
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