第四章 ガクポの反乱 パート2

 それから四日程度の時間が過ぎた、四月二十四日、太陽が中天からほんの少し西へと傾いた昼過ぎに、リリィはいつまでも果てなく続く林道をただ一人、パール湖へと向けて北上していた。汗ばむ程度の陽気ではあるが、日光を遮る木立のおかげで、寧ろ心地の良い涼しさを味わうことが出来る。かつて位の高い人物が初夏を迎えると、互いの贅を競いながら訪れた、緑の国ご用達であるパール湖畔の別荘地帯がこの先には存在している。そして今リリィが歩む道は、パール湖街道と呼ばれる、以前ならば貴族階級の人間かその従者しか通過することを許されなかった街道であった。元より使用頻度が相当に限られた街道であったが故に、緑の国の崩壊以降は街道を整備する者も存在せず、この五年程度の間に街道は荒れ果て、本来目的とされる用途を果たせない程度にまで木々が街道へと侵食を始めてはいたが、それでも最低限人が通過できる程度の整備がなされているのは、未だにこの街道を利用している人物が間違いなく存在しているという証であるとも言えるだろう。
 その街道を利用し、木立の切れ目にまで到達したリリィは、眼前に広がる、かつては丁寧な運用がなされていたのだろう、複数の木造建築を見つけて思わずという様子で溜息を漏らした。かつて最も栄えた頃のパール湖の様相をリリィは勿論、目撃したことは無かったが、それでも随分と寂れているという印象を与えるには十分な景色がそこには広がっていた。壁はところどころ汚れ、外壁の塗装は至るところで剥がれ落ちている。まともに整備する人間が存在していないことは一目瞭然であった。
 「盛者必衰とは、よく言ったものね。」
 周囲に漂う寂れの空気を的確に読み取りながら、リリィは呟くようにそう言った。だが、キヨテルの情報が確かならばこの近辺にガクポが身を隠しているという。見渡す限り人の姿は見えないが、所々に何物かが住まいを置いているのだろう名残りは残されていた。例えば、貴族の別荘の脇にあり、周囲の景観を遠慮なく崩している、どう見ても素人作りの山小屋とか。
 「誰だ?」
 まずは捜索と考え、別荘地帯へと足を踏み入れたリリィが暫くの散策を行った後に、唐突に投げ渡された背後からの野太い声に対して、リリィは思わずその両肩を緊迫させた。そして慎重に背後を振り向く。明らかに身分の卑しい、二人組の男だった。その腰には丈夫さだけが取り柄であるような、数打ちの剣。
 「女一人・・ですぜ?」
 二人組のうち、より年若に見える二十歳前後の男が、もう一人に尋ねるようにそう言った。その口調には獰猛なまでに隠し様のない、異性に対する興味が見え隠れしている。
 「ふむ。」
 もう一人、中年程度の年齢に見える男は、二十歳の男よりは年を重ねた程度の落ち着きを持ち合わせているらしい。突然現れた妙齢の女性に対して意外、という表情こそ見せたものの、それ以上の色は表に出さずに、務めて冷静にリリィに向かってこう訊ねた。
 「女子、ここに何の用だ。」
 「人探しよ。」
 中年の男はまだ話が分かるらしい、と考え、それでも警戒心を解かぬままでリリィはそう答えた。
 「いずれにせよ、女一人で来る様な場所ではないな。」
 「探し人が見つかれば、すぐに帰るわ。」
 二十歳の男が、小さく舌なめずりをした。まるで獲物を見つけたばかりの肉食獣のように、嫌らしく。汚らわしい、とリリィはその様子を視界の端で無視しながら、中年の男に向かって続けてこう言った。
 「ガクポ殿が、このあたりにいると聞いて来たのだけど。」
 「お頭にか?」
 中年の男は、そういうと物事を考えるように、まるで熊のような剛毛が生えた掌をその口元に添えた。やがて、暫くの沈黙の後に、こう答える。
 「一応お頭に聞いてみよう。女子、名前は?」
 「リリィと言うわ。」
 「お頭の知り合いか?」
 続けて、中年の男がそう尋ねる。
 「いいえ。ただ、ロックバード卿からの使いと言ってもらえれば。」
 「なら、付いてくるといい。」
 中年の男はそう言うと、リリィを先導するように歩き出した。ゆったりとした動作ではあったが、その雰囲気から警戒心が消える様子は見えない。本職の傭兵なのだろう、自分以外の人間に対して、特に初対面の人間に対してはたとえ女であっても油断しないという癖が身についているその男の背後から歩みながら、リリィは男に向かってこう訊ねた。
 「ところで、貴殿の名を伺っていないわ。」
 「俺はダオス。そっちの若いのはヴェネトだ。」
 「ダオス殿。ご協力痛み入ります。」
 「別に、協力というほどではない。判断するのはお頭だ。」
 リリィを振り返ることも無くそう答えたダオスは、そこで言葉を区切るとただ責務を果たすことだけを目的としたように黙したまま歩き始めた。リリィの背後からはヴェネトも付いてきている。リリィにとっては寧ろ今にも若さゆえの衝動に駆られかねないヴェネトの方に注意を向けたいところであったが、余計なトラブルは極力避けたいということもまた本音であった。ただ、自身の胸のあたりや腰周りに執拗に注がれる視線に対しては多少なりとも辟易を感じたけれども。
 三人はやがてパール湖畔へと到達すると、ダオスは道案内を続けながら、砂浜が形成されている湖畔を周回するように歩き出した。野鳥が心地よい程度に鳴き、嫌味にならない程度の水臭さと湖から吹く風がリリィの髪を小さく揺らした。風光明媚とは噂されているパール湖を実際に目撃するのはリリィにとっては始めての経験である。成程、真珠の湖とは良く言ったものだ、とリリィは透明度が高く、透き通るような水面に照らされる陽光の反射に感動を覚えながらその様に考えた。そうして歩くこと三十分程度、ダオスは湖畔から逸れて獣道程度の広さしかない小さな林道を歩き始めた。やがてその奥に、館というよりは小振りな砦にも見える建物がリリィの視界に写る。
 「ここがお頭の屋敷だ。」
 暫くぶりにダオスはそう口を開くと、門番をしているらしい、ダオスと同じような傭兵二人組に向かって一言二言言葉を交わした。一体、ガクポをお頭と認めるこの傭兵軍団がどのような組織であるのか、今のリリィには全く想像も付かなかったが、少なくともダオスはこの集団の中でもそれなりの地位を持つ人物であるらしい。何事も無かったかのように門扉を通過したダオスに続いて屋敷へと足を踏み入れたリリィはそこで意外、という様子で瞳を瞬きさせた。
 中庭と呼称すべきだろう、館と門扉の間に広がる場所には、丁寧に飢えられた草花が今や盛りとばかりに咲き誇っていたのである。これまで蝶よ花よ、という気配を全く感じなかった中で、この中庭は異質に際立っている印象をどうしても、訪問者に与えてしまう。
 「お頭の師匠が整備されたという中庭だ。余計なところには立ち入るな。」
 ダオスが、それまでとは違い厳しい口調でそう言った。言われなくても、常識のある人間ならばここまで整備が行き届いた庭園に足を踏み入れるという暴挙に出るはずが無いが、やはり荒くれ者が集う場所ではあるのだろう。真剣とう表現そのものの口調でそう言ったダオスに対してリリィもまた、温度感を合せる様に真剣な表情で頷く。その様子に安堵した様子でダオスはほんの少しだけ口元を緩めると、再び口を黙し、館へと向けて歩き出した。
 「運がいいな。お頭はすぐに面会するとのことだ。」
 館に入り、玄関ロビーで数分の時を過ごしたリリィに対して、先に館へと入っていたダオスはリリィの元に戻るなりそう言った。続けて、こう告げる。
 「お頭は二階の中央の部屋にいる。粗相の無いように。」
 「ありがとう、ダオス殿。」
 まるで王侯貴族のような扱いね、と考えながらもリリィは素直にそう答え、そしてダオスに指示されたままに、玄関ロビーから二階へと伸びる階段を登っていった。二階に到達すると、そこには個室が合計五部屋、そのちょうど中央に位置する扉をリリィは丁寧にノックする。
 「どうぞ。」
 扉の向こうから返された、思った以上に華奢な口調にリリィは戸惑ったように瞳を瞬きさせた。大陸一の剣士だというから、もっと男くさい、野太い声を期待していたのに。
 「失礼致します。」
 少しの緊張を感じながら、リリィは丁寧な手つきでその扉を開けた。リリィを待ち構えていたのは、柔らかな笑顔を見せる、紫がかった長い髪を一くくりにした青年であった。一瞬、女性にも見える美青年である。
 「初めまして、リリィ殿。私がガクポと申します。」
 予想を大幅に裏切った、線の細い男であった。リリィはその姿に、別の意味での緊張を味わいながら、静かにこう答えた。
 「初めまして、ガクポ殿。お会いできて光栄ですわ。」

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい

ハーツストーリー 62

みのり「続けて第六十二弾です!」
満「今日は調子がいいみたいだな。」
みのり「そうね。久しぶりにガクポも復帰だしね。」
満「ハルジオンの時に置いたフラグはどんどん回収されていくから、そのあたりも楽しんで欲しい。」
みのり「ということで、次回も宜しくね☆」

閲覧数:177

投稿日:2011/06/12 12:49:47

文字数:3,604文字

カテゴリ:小説

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