悪食娘コンチータ 第二章 コンチータの館(パート1)
夏も半ばを過ぎて、それまで肌を刺すような暑さも幾分かは和らいだこの時期に、避暑という名目で王都を離れる貴族は通例ならば存在してはいなかった。ただ今年に限っては、唯一の例外として、少人数ながら精鋭の護衛を引き連れたバニカ夫人だけがコンチータ男爵領へと旅立っていった。一応、本人からの申し出と言う形式にはなっているものの、それが真実であったかについてはその当時から巷を騒がせていたように、実際は実父であるマーガレット伯爵が特別の便宜を図ったということが一番正しい見解であっただろう。
コンチータ男爵領は黄の国王都から見て南東の方角、大陸中央を走る山脈のふもとにある、自然豊かな場所であった。標高は王都に比べるとやや高く、中心部にあたるエソンヌの街の標高はおよそ五百メートル。また主要街道からも逸れた奥地に位置しているため、人の訪れも少なく、しかも王都よりも涼しい環境であるため、ゆったりと静養するには最適の場所であるとも言えた。
そのエソンヌの街にバニカが到達したのは八月も二十日を過ぎたころであった。それまで泣き喚いていた蝉の声も幾分落ち着き始めており、代わりとばかりに、夜になると羽虫が心地のよい音楽を歌い始める、秋の初めを感じさせる風の中で、バニカはそれまで腰を落としていた馬車から降りると、何も成す気力も失った様子でただ呆然と、これから住まうことになる館を眺めていた。
「バニカ様、お荷物をお運びいたします。」
今回の旅における衛兵隊長を務めた中年の兵士が、バニカに向かってそう声をかけた。この兵士達は正確にはコンチータ男爵の手兵ではない。本来貴族ともなれば数十名から数百名の手兵を抱えているものではあったが、コンチータ男爵の死後、直属兵は規定に則り、既に解散して別の貴族へと再編成を済ませている。だからこの兵士達は、マーガレット伯爵が特別に用意した連中であった。無論、バニカが顔見知りの兵士など、一人として存在していない。
その兵士に対して、バニカは無表情のままでこくり、と頷いた。そのまま、秋を空想させる風にその身を任せる。館は王都のそれよりは老朽化していたものの、思っていたよりはしっかりとした造りをしていた。当面過ごす分には問題がないだろう、とバニカは考え、ふらり、とその一歩を踏み出した。まるで軽い、綿毛の様な足取りで館の正門へと到達したバニカはしかし、そこで予想もしていなかった二人の人物の姿を目の当たりにすることになる。
「お帰りなさいませ、バニカ様。」
「長らく、お待ちしておりました、バニカ様。」
双子なのだろうか、一目には見分けることにも苦労するような、まだ十代も前半に見える、見事な金髪を持つ少年少女が、直立のままで正門に落ち着き、訓練された様子でバニカに向かって一礼したのである。
「貴方達は?」
久しく主体的に言葉を発していなかったバニカではあったが、予定をしていない人物の登場に面食らうようにそう訊ねた。
「これから、バニカ様にお使えさせて頂く者です。」
右側に位置する、少年がそう口を開いた。
「マーガレット伯爵から、光栄にも直々の指名を受けた者です。」
続けて、左側にいた少女が言葉を続けた。どうやら、父親は先に召使とメイドを用意していたらしい。バニカはそう考えると、安堵したように頷いた。
「私、レヴィンと申します。よろしくお願いいたします。」
そう名乗ったのは少年。
「私はリリスと申します。よろしくお願いいたします。」
続けて、少女がそう答えた。
「何なりと、ご命令くださいませ。」
最後の一言は、さすが双子と思わせる、まるで申し合わせていたかのように完璧にタイミングを合わせた、二人分の言葉であった。その自然発生したステレオ音質にバニカは軽い感動を覚える。久方に楽しい感情を思い起こしたバニカは、もう忘れたと感じていた微笑を二人に向けながら、こう答えた。
「では、食事の準備をお願い・・。とびきり、美味しい物を。」
料理人としてレヴィンから紹介された人物は、いかにも田舎臭い、料理よりも畑仕事の方がよほど向いているのでは無いかと思わせる人物であった。王都にはまず存在そのものを許されないような、古臭い白衣を纏った料理人の名前をバニカは記憶することが出来なかった。どうにも、興味が無い人物であったから。そして出された料理を見て、バニカは口にする前からげんなりとした気分を味わう。鶏肉らしきソテーは単に焼いただけにしか見えないし、小麦の材質が悪いのか、発酵が中途半端なパンは見るからに硬質で、ふくよかな歯ざわりなど期待すらも出来そうにない。だがそれでも、バニカが形ばかりナイフとフォークを手にしたのは、どんな料理であっても食べてみなければ分からない、というかつて美食家と呼ばれた自身の信念を曲げたくはないという理由であった。
そのまま、ナイフを鶏肉へと突き刺し、フォークで抑える。じゅ、とあふれ出た肉汁を見て、バニカは或いは、と考える。焼き方は粗野ではあるが、素材の上手さが生きているかも知れない、と考えながら、静かに、すっと、ナイフを手元に引き寄せる。皿面に位置していた鳥皮がナイフに引っかかり、一度に切り取ることが出来なかった点は大幅なマイナス評価ではあるが、焼き加減に関して言えば丁度ベストのタイミングであったと言うべきだろう。そのまま、切り取った肉片をバニカは口に運び、一度咀嚼して、みるみる内にその表情を曇らせた。
やはり、何の味もしない。
おかしいとは思っていた。塩味も、甘味も、それどころか苦味すらも感じ取ることが出来ない。それまで美味だと言って食べていたもの全てが、そう、妹の手作り菓子に対してすらも、まるで紙を咀嚼しているかのような無機質な感覚しか感じ取ることが出来なかったのである。少し変わった料理が出たものだから、つい何かを期待してしまった自分自身に嫌悪するように、バニカはやや乱暴に、音を立てながらフォークを陶器の皿へと落とした。甲高い金属音だけが、むなしくバニカの耳に届く。
「バニカ様、いかがなさいましたか?」
レヴィンが即座に、バニカに向かってそう訊ねた。その表情には、少年らしい不安の色。だがバニカは、レヴィンの姿を視界に納めることなく、唇を噛み締めるように、そして唸るようにこう言った。
「味が、全然しない・・。」
「味が薄かったのかしら?」
続いて、首をかしげながらそう言ったのはリリスであった。その言葉に、バニカはまるで救いの手を差し伸べられた遭難者のように、顔を上げた。
「そうよ、そうね、確かにそうだわ。」
何度も納得するよに、バニカはそう言った。そのまま、興奮を隠しきれないという様子で、やや早口に、ことの成り行きを恐縮しながら見守っていた料理人に向けて言葉を放つ。
「料理人、今すぐ塩を持ってきなさい。一瓶、早くなさい!」
バニカが鋭く、そう指示を出すと、料理人はびくん、と肩を引きつらせ、そのまま180度見事なターンで回転すると、礼儀も気品も感じられない、ばたばたといした足音を響かせながら食堂から立ち去っていった。その後姿を虫けらでも眺めるように一瞥したレヴィンは、バニカに向かって恐縮しきりという様子で一礼をすると、侘びの言葉とばかりに口を開いた。
「申し訳ございません、バニカ様。料理人は近いうちに入れ替えておきましょう。」
その言葉に、そうね、とバニカは頷いた。料理人はこちらに来る前の数日間だけ雇った別の人間がいたから、今の料理人は今年12人目になるのか。我ながらよくここまでころころと料理人を変えたものだと感心しながらも、それ以上に今は塩味に対する憧憬の方が遥かに深い。料理人をクビにするのは後回しでよいとして、とにかく今はこのチキンソテーを無事に食べきりたい。
「塩を、お持ち、致しました。」
息を切らせた料理人が食堂へと戻ってきたのはそれから数分程度の時間が経過した頃合であった。その瓶をバニカはひったくるように奪い取り、そして丁寧にソテーへと振りかける。そうして、もう一度、口に含んだ。
ほんの少し、味がした、気がした。
もう少し、もう少し、塩味が欲しい。
バニカはそう考えて、先程よりも大げさに、そして大量に塩を振りかけた。チキンソテーの上に、うっすらと白い、塩の幕が敷かれてゆく。そして、もう一度、咀嚼。
先程よりも明確に、だがまだ弱々しい塩味を、バニカはその舌で的確に感じ取った。
もっと、まだ足りない、もっと、塩を沢山。
更に振りかけて、バニカはだんだんと苛立ちを覚えたことを自覚した。塩の瓶から振り掛けるやり方では、ほんの少しずつしか塩を振り掛けることが出来ない。既に様子を伺っていたレヴィン、リリス、そして料理人の三名はバニカがまるで何かに取り付かれたかのように振り続ける塩の量を見て、同情と言うよりは既に半ば嫌悪が込められた視線でバニカの様子を観察してはいたが、塩瓶を振ることに集中しているバニカは、その視線に気付く様子すらも見せなかった。それよりも、まだ、まだ塩が足りない。もっと、もっと。
バニカは三度目の咀嚼を終えて、再びそう考えた。そうして、もう一度、塩を振る。既にチキンソテーはその全面が遠目からでも分かる程度にはっきりと、塩のカーテンに包まれていた。にも関わらず、バニカの手は止まらない。もっと塩が必要だった。もっと早く、大量に。バニカはそう考え、とうとう我慢の限界を迎えたかのように力強く、両手で瓶を掴むと、威勢良くその中蓋を毟り取った。そして、そのまま、中蓋による加減調整を受けることなく直接に、塩をソテーへと振り掛けた。いや、それでは表現が適切ではなく、また不足していると言わざるを得ないだろう。瓶詰めされた塩を一気に全て、ソテー皿の上に流しこんだと言ったほうがよほど的確である。流石のバニカもそこで、バニカ以外の三名が息を押さえ込んだ空気には気が付いたが、咎める事も、それどころか視線を向けることもなく、塩まみれになった鶏肉をその口に放り込んだ。そして、恍惚をもらすような口ぶりで、バニカは言った。
「ああ、ああ、味がする!なんて、なんて美味なんだろう!」
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wanita
ご意見・ご感想
ありがとう♪来週は物語本編も頑張るw
2011/08/07 23:42:51
wanita
ご意見・ご感想
今週も面白かった!つぎも楽しみにしています☆
2011/08/07 22:54:26
レイジ
ありがとう☆
頑張って書くね♪
それよりわにちゃんのイラスト可愛いw
2011/08/07 22:57:05