「つまらん!つまらん!つまらあああああああああん!!」
 ルシフェニア王宮、鏡の間。そこに一人の少女の声が響く。その叫びは誰の耳にも届くことなく消えた。
 少女の名前はリリアンヌ=ルシフェン=ドートゥリシュ。この国、ルシフェニア王国を統治する王女である。
 今日は彼女の14歳の誕生日であり、各国の要人が招かれ盛大なパーティーが催される。豪勢な食事に、様々な祝いの品、更に滅多に会うことのできない彼女の想い人も来るという、本来ならリリアンヌにとっては最高の一日だ。
 にもかかわらず彼女の機嫌が悪いのは至極単純。暇なのだ。
 各国の要人が集まるだけあって城の警備や掃除にいつも以上に気を配る必要があり、多くの城の人間がそちらに労力を割かれている。
 それは彼女のお気に入りである王女付きの使用人達も例外ではない。召使いのアレン、そしてメイドのシャルテットとネイ。三人とも準備に忙しく呼び出せる状況ではなかった。
 お気に入りではないがある程度心を許している侍女長や宰相のミニス、そして宮廷魔道師のエルルカもそれぞれの用事があった。
 特にエルルカは弟子の修行のためという名目で留守にしている。実際にはパーティーの手伝いをするのが面倒だからであろうけれど。



 六人以外に彼女が自分から関わろうとする人間はこの国にいなかった。それでも、退屈しのぎに誰かと話せないかと思い自室からこの鏡の間までわざわざ足を運んだ訳だが、どうやら舞踏会が行われるこの部屋は最初に大方の準備を終えたらしく、一人も姿が見えない。
 三時のおやつの時間になれば誰かがおやつを持って来るはずだが、それまで待ってはいられない。
「ふん。おやつ、か……」
 おやつという言葉に触発されたのか、彼女の脳裏に一人の男の顔が思い浮かぶ。『三英雄』の一人にして親衛隊の隊長であるあの男だ。
 自分のする事に毎回異を唱える彼の存在は彼女にとって間違いなく敵であった。つい昨日もあの男と食料庫の食物を民に分ける事について口論したばかりだ。彼は民衆の為に食料が必要だと言ったが、彼女はそうは思わない。パンがなければおやつを食べればいいだけの話だ。おやつは甘くて美味しい。自分ならば喜んで三食全ておやつにするだろう。あの男は民のためなどではなく、自分の食事を貧相にするためにあのような事を言っているのだ。彼女はそう信じて疑わなかった。
 彼の言葉がリリアンヌに届かないのには理由があった。彼女は知っている。彼がかつて自分の母に懸想をしていた事。戦場で味方を殺した事。敵国から赤子を連れ去った事。そして……国家転覆を企てている事。
 その全てが真実かどうかは分からない。けれど、これら全ての情報は自身が信用する人物からもたらされたものだ。何よりあの男の自分に対する態度が全てを物語っているではないか。母の事はうまく騙せていたようだが自分はそうはいかない。決してやつの思い通りになんてならない。そういった感情が彼の忠言に聞く耳を持たせないのだ。



「……あやつの事を思い出したら腹が立ってきた。ムカつく!ほんっとムカつく!」
 先ほどまでの退屈による怒りと相まって彼女は鬼のような形相でそう叫んだ。ここ最近は『ムカつく』という言葉が口癖になりそうなほどの頻度で口をついて出てくる。
 『三英雄』という立場上、仕方がなく今まで何もせずにいたが、いっそ始末してしまおうか。そのような事を考え始めたときだった。
「フフ……」
「……なんじゃ?誰かおるのか?」
 自分以外には誰もいないはずなのに、ふと女性の笑い声のようなものが聞こえてきた気がした。まさか誰かが隠れていて、先ほどの自分の様子を見て笑ったのだろうか。
「隠れておるならわらわの前に出るのじゃ!さもなくば首をはねるぞ!」
 リリアンヌは怒気を含んだ声でそう命じると、彼女の目の前に赤いモヤが集まり始めた。やがてそのモヤは人の形をとり……ドレスを着た女性のような影が現れた。
「お久しぶり……それとも、はじめましてというべきかしら?リリアンヌ」
 女の影はそう語りかけてきた。普通ならこの異常な状況に困惑なり恐怖なりといった反応を示すが、彼女の場合は違った。
「わらわを呼び捨てにするなど……この無礼者!即刻首をはねてやる!」
 怒ったのだ。明らかに人ではない、正体不明の存在に対してである。その言葉を聞いて女の影は楽しげに笑いながら口を開いた。
「フフ、随分と強気なものね。こんな状況でもそんな態度なのは感心するわ」
「お主、今わらわをバカにしたであろう!?わらわを誰だと心得ておる!ルシフェニア王国の王女、この国の主じゃぞ!」
「ええ、もちろん知っているわよ。でも、そうね……せっかく自己紹介をしてもらったんだから、私も自分の素性を明かしましょうか。私は……悪魔よ」
 ますます顔を赤くするリリアンヌの怒号をものともせず、女の影……いや、悪魔はそう答えた。その言葉を聞いてリリアンヌの表情は怒りから訝しげなものへと変わった。
「悪魔じゃと?にわかには信じがたいが……いや、エルルカのような魔道師もおるのじゃ。悪魔がいてもおかしくはないかのう」
 冷静にそう言う彼女に、悪魔は少し驚いたように述べる。
「あら、意外ね。私が悪魔であることを受け入れ、そして目の前にいるというのに騒ぎもしないなんて」
「ふん!お主が何者であろうともわらわには関係ない。わらわを侮辱したお主の首をはねるだけじゃ!」
 自身に物怖じせずそう言い放つリリアンヌに、悪魔は飄々と言葉を返す。
「あらあら、それは恐ろしいわね。それじゃあ偉大なる王女様を怒らせてしまったお詫びとして……私が暇潰しの方法を教えてあげましょう。今のあなた、暇で暇で仕方がないのでしょう?」
 その言葉を聞きリリアンヌは一旦怒りを鎮めることにした。悪魔の提案、というのが気になるが、話くらいは聞いてやろう。
「よかろう。とりあえず言うてみるがいい。最も、わらわが気に入らないものであればすぐに首をはねるがな!」
「フフ、単純よ。城の外に出ればいいの」
 悪魔の提案に、リリアンヌは少し考える素振りをみせたあと、こう言った。
「ふむ、確かに気晴らしに外に出るのもいいかもしれん。じゃが、今日はわらわの誕生日パーティーがあるのだぞ。おいそれと外に出るわけにもいかんじゃろ。何よりもうすぐおやつの時間……」
「もし舞踏会に遅れることがあれば」
 悪魔はリリアンヌの言葉を遮って口を開く。
「その責任を負うのは誰かしら?私が思うに王女の身辺を警護する親衛隊……その隊長だと思うのだけれど?」
 悪魔はニヤリと笑いながらそう問いかけた。それを聞いたリリアンヌも、悪魔と同じように笑みを浮かべた。



「オーホッホッホ!実に清々しい気分じゃ!」
 リリアンヌは愛馬のジョセフィーヌにまたがり森を駆けながら高らかに笑った。
 悪魔の言葉を聞いて、彼女はすぐに行動に移した。まず自身の部屋に戻り、暖炉の裏にある抜け穴から外へ出た。そして馬小屋に向かい愛馬に乗ってここまで来たという訳だ。馬小屋で親衛隊の人間に見つかったが、新入りなのかリリアンヌが少し強気に外に出ると言うとすぐに引き下がった。
「それにしても……何故お主まで一緒に来ておるのじゃ」
「あら、別にいいじゃない」
 リリアンヌは城からずっと着いて来る悪魔に向かって苦言を呈するが、悪魔は特に気にする様子もなく答える。まあいい、なかなか面白い提案をしてくれたのだし、自分に害を為す様子もないのだから放っておこう。そう思うことにした。
「それにしても、この森の中を軽々と駆け抜けるなんて大した馬ね。一体食べたらどんな味がするのかしら」
「食べるじゃと!?わらわのジョセフィーヌに何かしたら許さぬからな!」
「あら、それは残念」
 前言撤回、彼女といると危険かもしれない。
「それで、城を出たのはいいとして、何処か行くあてはあるのかしら?まさか目的もなくこの森に来た訳じゃないんでしょ?」
 リリアンヌの気も知らず悪魔は尋ねる。彼女に言う通り、この迷いの森は理由もなく訪れるような場所ではない。
「……まあな。昔、よく訪れた場所じゃ」
 先程までと違い、幾分か憂いを帯びた表情でそう語る彼女の横顔を悪魔は黙って見ながら後を着いて行った。



 丘の上にある教会から三度鐘の音が鳴る。ここはルシフェニア領の西外れにある名もなき海岸。迷いの森を抜け彼女たちがたどり着いた場所だ。本来なら森を通らずとも来ることが出来るのだが、リリアンヌはその事を知らないため遠回りをする事となった。
「おやつの時間じゃな。お主のせいで食べ損ねてしまった」
 鐘の音を聞きながらリリアンヌは悪魔にそう話かける。それに対し悪魔は笑いながら答えた。
「別にいいじゃない。どうせ舞踏会では豪勢な料理が出されるんでしょ?おやつを食べたせいで食べられないなんて事になったらもったいないじゃない」
「もったいない……?その感覚は分からぬが……まあ、今朝わらわが考案したお菓子の家が食べられなくなるのは困るのう」
 食べ物を残すことに対して無頓着そうなリリアンヌに対して、初めて悪魔は顔をしかめた。
「あら、出された食事は全て食べるべきでしょう?残したら……怒られるわよ」
「ふん、怒られるじゃと?わらわが?」
 悪魔の言葉をリリアンヌは一笑に付した。
「わらわが誰に怒られるというのじゃ。この国のものは全てわらわの物、それをどうこうして何が悪い。誰にも文句を言われる筋合いなどないわ」
 そこまで言ったあと、顔を下げ小さな声で付け加えた。
「……何をしても私の思い通りにならないといけない。お母様のように、私の言う事に誰も逆らわないような強い支配者に、私はならなきゃいけない」
 その言葉を聞いても悪魔は何か言いたげだったが、特に何も言うことなく話題を変えた。
「まあいいわ。それにしても、舞踏会に出される食事はさぞ美味しいのでしょうね。可能なら私も食べてみたいわ。たまには普通の料理も悪くない。そうだ、お酒は何を出すのかしら?私は酒を飲むならブラッド・グレイヴと決めてるのだけれど」
「知らん。そもそも、わらわはあんな苦い汁など飲まんからな」
 酒の話が出た事により、ふと酒好きであるあの男の顔が思い浮かんだ。もし今回の計画が失敗した場合は、酒に何か仕込むのもいいかもしれない。



「……そういえば、さっきここは昔によく訪れたと言っていたけれど、あなた、昔の事をどれくらい覚えているの?」
 唐突に悪魔がそんな事を聞いてきた。
「ほとんど覚えておらぬ。お母様たちから聞いた話では、何らかの事故で昔の記憶を忘れてしまったらしい。覚えておるのはよくここに誰かと一緒に来たことと、その誰かから願いの叶うおまじないを教えてもらった事だけじゃ」
 リリアンヌは遠くの夕日を見ながらぼんやりと答えた。そして更に言葉を続ける。
「あの時一緒にいたあやつも……わらわの前からいなくなってしまった。けれど、わらわは弱音など吐かぬぞ。わらわはひとりぼっちでも、この国を治めよう」
 リリアンヌの言葉を聞き終え、悪魔は軽く息を吐き、こう語り出した。
「あなたは自分を一人だと思っているようだけれど、そんな事はないわ。あなたの側に、ずっと着いている人間がいる。昔も、そして今もね」
「ふん、悪魔が知ったような事を言うでない。第一、会ったばかりのお主がわらわの何を知って……」
 そこまで言うとリリアンヌは何かに気づいたような顔をして悪魔に尋ねた。
「そういえばお主……わらわと会ったとき『久しぶり』と言ったな?まさか、お主とわらわ……昔に会っておるのか?」
 悪魔はリリアンヌの問いには答えず、ただ顔を見て微笑んでいた。
「そうなのじゃな!?ならば、お主ならわらわの過去の事も、あやつの事も知っておるのじゃろう!ならば教えい!お母様もエルルカ達も尋ねても答えてくれなかった。じゃが、お主なら……!」
「残念だけれど、そろそろ時間だわ」
 リリアンヌの言葉を遮りそう言った悪魔の体は、段々と不明瞭になり最初のモヤのような状態へと変化していっていた。
「待て!待たぬか!わらわの問いかけに答えず消えるなど許さん!首をはねるぞ!」
「あら、それは怖いわね。でもその要求には答えられない。さようなら、久しぶりに会えて暇潰しくらいにはなったわ。機会があればまた会いましょう、新たに生まれしイレギュラーの片割れよ……」
 悪魔はそう言い終えるとその姿は霧のように消え去った。後に残ったのは、リリアンヌとジョセフィーヌの姿だけだった。



 赤く輝くグラス。そこが悪魔の居場所だ。器に戻った悪魔は今日の事を思い返す。
 今回、悪魔がリリアンヌに接触した理由の一つは、改めて確かめたい事があったからだ。あの魔道師のいない今日は絶好のチャンスだった。そして、彼女は自分の求める存在ではないと再確認した。悪魔の求める者……『Gretel』。
 数百年前、自身が悪魔に成り代わってからその悪魔の知識を解読してきた結果知ることとなった『墓場の主』という存在。それになるには『Gretel』が必要不可欠なのだ。
 最も、聡明な彼女とはいえ悪魔の知識を全て自分のものにするには膨大な時間が必要だった。『墓場の主』という存在もそれがどういうものであるか完全に理解している訳ではない。だが、彼女の『更なる悪食』のためには必要な事だと彼女は確信している。
 そのためリリアンヌがそうでないか改めて確かめようと思った……というのが、一応の理由である。しかし、それは建前に過ぎなかった。
 彼女もまた暇だったのだ。グラスの中に一人でいてはや数百年。今までの契約者やもう一人の魔道師と話す事はあったが、それでも現在はあまりにも退屈だった。だから気まぐれに彼女の前へ現れたのである。ひとりぼっちの彼女が昔の、そして現在の自身に似ていたから。
「……フフ。いえ、少し違うわね」
 そこまで考えて悪魔は自分の考えを否定した。ひとりぼっちではない。側にいてくれる存在がいるではないか。彼女も、そして自分も。
「久しぶりに外に出たからお腹が空いたわね。そろそろ食事にしましょうか。今日は……そうね、あなたがあの日作ってくれたスープなんてどうかしら?」
 彼女は誰もいない空間で一人言葉を発した。まるでそこに誰かいるように。
 どうせ彼女の魂が自分のものになるのはもうすぐなのだ。今だけは『彼』と二人きりの時間を楽しもう。茶色いポタージュを啜りながら、悪魔は懐かしげに微笑んだ。

この作品にはライセンスが付与されていません。この作品を複製・頒布したいときは、作者に連絡して許諾を得て下さい。

悪ノ娘 橙のアンプロンプチュ

悪ノ娘時代におけるリリアンヌ王女の心情の想像と、あの御方のお話。

公式コラボの応募作品です。

閲覧数:365

投稿日:2018/09/27 13:20:51

文字数:5,987文字

カテゴリ:小説

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