3. 愚かなる願い
一日に少しずつしか進んでいなかった塀も、新しいが魔法が完成してからは一気に進んだ。自分の身長ぶんしか積み上げられなかったレンガも、倍以上の高さにまで伸ばすことができた。
そうして完成したのは、扉などない、高い高い塀。
塀が完成してからも、ミクは庭の改良のために昼間は基本的に外に出ているが、出来上がった塀を見上げるたびに、何とも言えない気持ちになる。
胸がきゅうっと重たくなるような、反対に胸ががらんと軽くなるような、マーブル模様のこころ。
ミクは、理解しきれないそれを理解することは早々に諦めて、箱に入れて意識の奥にしまいこんだ。いつしか埃を被って、存在すら忘れてしまえるように。
次に取り掛かったのは、庭の改造だった。しかし、からからのミクの庭は、どれだけ水を与えても潤うことが無い。
また今日も失敗だった、と小さくため息をつきながら、夕暮れの庭を歩いていく。その足取りは、少しだけ重い。
水の性状を変えてみたり、特別配合した土を蒔いてみたりしたが、いずれも上手くはいかなかった。
庭の土壌自体を大きく入れ替えるようなことをしなければ、無理なのかもしれない。しかし、この庭の土は魔法への耐性が強いため、あまりうまくいきそうな気がしない。
庭の土をそのまま使ってレンガを作ろうとしてことごとく失敗した経験は、長い長いミクの記憶の中にも、しっかりと残っている。
あの時は、一度土を採取してレグの実やキツィの根などと一緒に調合し、さらには魔法をかけて熟成の時間を短縮するという手間までかけてやっと、まともにレンガを作れたくらいだ。その後魔法を徐々に改良していったためにずいぶん楽に作れるようにはなったが――いずれにせよ、ミクの庭の土は使い勝手が非常に悪いのだ。
でも、それが嫌なわけではない。永遠にも等しきミクの時間、簡単にクリアできるようなものに挑戦していてもつまらない。
城に戻り玄関のところで、泥だらけの手をぱんぱんと叩いて土を落とす。また美味しくないご飯でも作るか、と考えながら中に足を踏み入れた所で、玄関ホールの高い天井から、ちりんちりん……と鈴の音が降った。
その音に思わず顔を顰めて、深く深くため息をつく。口の中で早口で呪文を唱えると玄関横にぞんざいに放られていた水晶玉が鈍く点滅した。
数秒の後に転がっていた水晶がふわりと浮かび、ミクの元へと寄ってくる。水晶は複雑な文様をいくつか映し出した後、北の国の国旗が浮かび上がらせ、ノイズ混じりの音を吐き出し始める。
『いらっしゃるだろうか、盟約の賢者殿。地と書と王の契約において、貴殿の智慧をお借りしたい』
雑音が入りすぎて聞き取りづらいことこの上ない音声に、盛大に顔を顰めた。ここへの回線をろくに繋げもしない相手に視線を寄こす気にもなれず、音声のみを開く。
「いる。用件は?」
『この度わが国において発生した伝染病の、治療法を探していただきたい』
食欲を無くしキッチンではなく書庫へと向かおうとした足がぴたりと止まった。額に寄っていた皺が消えて、代わりに浮かぶのは仮面のような無表情だった。
ため息すら出ない。湧き上がる思いは無く、静寂だけが広がった。
「私は医師ではない。私は、智慧を喰らう獣。失われゆく書の番人。ただの司書に貴国に蔓延する病を直接見る術は無く、治療を施すために差し伸べる手も無い。必要な書があるならば、提供しよう。だが、治療法は貴国の医師達に求めることだな」
何度呟いたか分からない言葉を淡々と吐きだして、回線を切ろうとすると縋りつくような声が響いた。
『待たれよ!我が国を見捨てるというのか……っ!王が倒れ、王子が倒れ、国中に病が広がる中、最後の頼みの綱が貴殿だというのに!』
「知らぬ。智慧を求めるならば、望む書を言うがいい。ただ救いが欲しいだけなら、神か悪魔に祈れ」
それ以上相手の声を聞く気にもなれず、問答無用で通信を断ち切った。水晶玉はそれでもしつこく何度か点滅したが、ミクが一撫ですると同時に光を失い、地面にごとりと落ちて転がった。
沈黙した水晶玉を一瞥してから、3秒間だけ、目を瞑る。黙祷にも似たこの沈黙が何を意味しているのか、ミク自身にもよく分からない。
胸の奥に広がるのは空虚感だけ。たとえこのまま北の国が病により滅びていったとしても、自分が欠片も揺るがないだろう。
何もできないことなど、これまでの時間で既に分かっていることだ。
原因も分からぬ病を、この城に居てどうやって治療しろというのか。直接患者を診ることも、治療を試行錯誤することもできず、ただ聞きかじった情報だけを元に、奇跡のように病が治る薬を開発するなどできるはずが無い。
智慧は、それを求める人間の血反吐を吐くような努力の上に積み重なる物。だからミクは書庫に収められた書全てに尊敬の念を抱いている。
同時に、何百年何千年と書を蓄え続けてきたこの城の書庫でさえ、完全でないことをミクは知っている。
完璧なものなどないのだ、どこにも。
だから望むだけで与えられるような救いも存在しない。
それは完璧なものだから。
己の無知を知らぬ人間たちは、いつまで経ってもそれに気付かない。欲を吐いて、ありもしない幻想にしがみ付いて、そうして滅びて行くのだろう。何度も、生まれ、消え――後に遺るのはほんの一握りの人間の、悲しいまでの努力の残り渣。
ミクはそれを食べて生きている。大嫌いな人間の、輝くばかりの生き足掻いた証を。
数年か数十年か、よく分からないがしばらく時間が経って、ミクは書庫の壁にかけられているタペストリーの模様が変わっていることに気付いた。世界地図を描いたそれは、現在の国土と国名、国旗がリアルタイムに移り変わるようになっている。
北の国の国旗が消え、その場所に変わりに二つほど新たな国旗が描かれていたそれを無感動に見つめ、ミクはため息を一つだけついた。
3秒間だけ目を瞑り、そして目を開けた時には北の国の名前すら忘れてしまう。
ふと開いた史実書に、伝染病の詳細と王の対応について事細かに書かれているのを見つけたのは、さらにずっと後になってからで、その時やっと国の名前を思い出したけれど、すぐに興味を無くして本を閉じてしまった。
ただ、閉じ際に網膜に焼きついた幾つのか文字は、人間の愚かさしか謳っていなかった。
『昔から国内にあった伝染病』
『王宮内にまで広がるまで、対策を施さなかった王家』
『病にかかった村を次々焼き払い――』
(こんな文字を、何度目にしたことだろう?)
The Beast. 3. 愚かなる願い
スペクタクルPのオリジナル曲「The Beast.」の二次創作。
書きたいこと盛りだくさん過ぎて未だに原曲部分に入れません。まだまだ入れません。
書庫の設定とか城の設定とかいろいろあるので、それもぼちぼちと書いていけたらいいなと思います。
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