悪食娘コンチータ 第一章 王宮にて(パート6)

 コンチータ男爵の葬儀以来だろうか。暫くぶりに見るバニカ夫人の姿は、オルスにとっては少なからず衝撃を与える姿であった。簡易的な食堂にも使用できる、木目が美しい、樫の一本木で作られたテーブルの上座に腰かけているバニカ夫人の、かつて美しく整えられていた肌はどんよりと落ち込み、その瞳には生気らしき力を感じとることができない。視線もどこかあやふやで、どこを見ているものか、どうにも推測ができなかった。ただそれでも、フレアとオルスの姿を見ると、少しは懐かしく感じたのか、まるで羽虫のような弱々しい笑顔を見せた。
 「お姉さま、ご機嫌はいかがですか?」
 「変わらずよ、フレア。」
 まるで急激に老けたような、強い疲れと汚泥を漏らすような口ぶりで、バニカ夫人はそう言った。
 「オルスも、久しぶりね。」
 「多少でも、慰みになればと思いまして。」
 ほとんど無表情に、口の端だけでそう言ったバニカ夫人に対して、オルスは丁重に、先ほど購入した花束をバニカ夫人へと差し出した。その動作に対してバニカ夫人は小さく頷く。どうやら、受け取る気分ではないらしい、とオルスは考え、両手を余らせるように花束を僅かに空に揺らせてみせた。
 「私もお花を持ってきたの。どうしてか、オルスと一緒の花束になってしまったけれど。」
 苦笑するように、フレアはそう言った。
 「素敵ね。」
 その意味が、オルスとフレアの妙な偶然のことを指しているのか、それとも花束そのもののことを指しているのか、それはオルスにはわからなかった。その言葉には、感情らしきものがまるで感じられなかったから。それはフレアも同様であった様子で、困り果てたように眉をしかめながら、フレアはこう言った。
 「後で、花瓶に挿しておきますわ。」
 その言葉にも、バニカ夫人はただ頷くばかり。まるで操り人形のように、意思を感じない、儀礼的な動作ばかりであった。
 「それよりも、お姉さま。」
 瞬間詰まった会話の間を埋めるように、フレアが無理に明るい、少し声高な口調でそう言った。そのまま、言葉を続ける。
 「最近、お食事をちゃんと取られていないと耳にしたわ。」
 フレアがそう告げると、バニカ夫人は一層疲れ果てた様子で、瞳を細めさせた。まるで瞳を開けているという動作すら億劫、という様子で。
 「最近、食事が美味しくなくて。」
 「でも、何か食べなければ。」
 フレアがそう答えると、バニカ夫人は溜息混じりの吐息を漏らした。その音が、妙に重たく響き渡る。
 「それでね、お姉さま、今日は私がお菓子を作ろうと思って。」
 両手を軽く合わせながら、無理に場を盛り上げるように、フレアはそう言った。だが、それでもバニカ夫人の反応は薄い。
 「お姉さまが美味しいってお褒め頂いた、クリームチーズのタルトを作ろうと思って。」
 続けて、フレアはそう言いながら、ちらりとバニカ夫人の横顔を覗き込んだ。僅かな反応でも見逃さない、と言いたげに。その言葉に反応したのか、それともフレアの強い視線を感じ取ったのか、バニカ夫人はそこで漸くフレアに向けて視線を動かすと、先程と変わらず、夜光虫の鳴き音のような口調で答えた。
 「ええ、それは、楽しみね。」
 「ええ、急いで作ってくるわ。厨房を借りてもよろしくて?」
 フレアがそう訊ねると、バニカ夫人は小さく頷いた。その姿を見て、フレアは柔らかな笑顔を見せると、席を立ってその部屋から退出した。その後姿を、オルスは僅かな驚きと共に見送る。この時代、貴族が自らの手を汚してまで調理を行うという例は非常に珍しかったのである。少なくとも、オルスが知る限りでは、軍務で必要な戦闘糧食の調理以外で、貴族ながら料理を得意としているという人間は存在していない。そのまま、オルスはどうしようか、と考えた。結局そのまま残ることを決めたのは、そこまで時間がかからないだろうという楽観的な推測と、個人的にフレアの料理に興味を持ったという二点に尽きる。その後も、オルスはバニカ夫人に声をかけ、近況を報告するという行為を試みたものの、耳に入っているのか、いないのか。バニカ夫人の反応がことごとく薄いせいで、どうにも分からない。昔は良く話されたお方だったのに、とオルスは考え、やはりコンチータ男爵の死が強いストレスを与えているのだろうか、と鎮痛の思いを味わうことになった。結局、フレアが退出してから三十分も経過する頃にはオルスの語彙はついに尽き果て、さて、この後どうするべきか、と未だに所在の決まっていない花束を揺らしながら、沈黙の時間を過ごす羽目になったのである。
 「お待たせ、お姉さま。」
 だから、丁度三十分と少しが過ぎた頃に現れたフレアの姿を見て、オルスは心から安堵した。漸く、重苦しい沈黙から解放された、と考えたのである。だが。
 「あなた、まだいたの?」
 呆れたようにフレアはオルスに向かってそう言った。相変わらず、口調が厳しい。
 「・・バニカ夫人と、話を。」
 していたのだろうか。自分自身で疑問を呈したくなる時間の過ごし方であったが、他に何をやったかというと、何も行っていない。自らの疑問に思わず首を傾げたオルスに対して、フレアはふん、と気嫌うように顔を背けた。そのままバニカ夫人へと視線を移し、笑顔を作りながら、バニカ夫人にこう言った。
 「お姉さま、クリームタルトをお持ちしましたわ。」
 そう言いながら、フレアは両手で掴んだトレイを丁寧にテーブルの上に下ろした。成程、確かに非常に食欲をそそられる香りがふんだんに立ち上っている。人の空腹を直撃するような、見事な香りであった。その香りに触発されて、オルスは思わず、昼食がまだであったことを思い出す。見た目も、シンプルながら美しく整えられていた。ホールケーキとほぼ同じサイズに焼き上げられたのタルトの中央には、贅沢に、たっぷりと使われたクリームチーズが均等にまるで、専門の職人が作り上げたような造形で作り上げられていた。まだほんのりと温かいそのタルトに、フレアは慣れた手つきでナイフを入れ始める。そのまま、フレアは文句のつけようが無いほどに均等に、八等分に切り分けた。
 「お姉さま、どうぞ。」
 そのひと切れを小皿に分けると、フレアはすっ、とバニカ夫人の目の前にタルトを差し出した。そのタルトを、バニカ夫人はどこかぼんやりとした視線で、呆然と眺めている。
 「上手く出来たつもりですけど・・。」
 不安そうに、フレアはそう言った。そのフレアに、バニカ夫人は小さく頷くと、億劫そうな動作で、それでも小皿に添えられたフォークを手に取る。その様子を見て安堵したのか、フレアはもう一切れを切り分けると、その一つをオルスに向かって差し出した。
 「え?」
 驚いたのはオルスであった。まさか、自分に分け前が回ってくるとは思わなかったのである。
 「仕方ないから、あげる。」
 義理も義理、という様子で、フレアはそう言った。その言い回しには辟易したが、いかにも美味そうなタルトを目の前にしてみすみす見逃す理由を、オルスは持ち合わせてはいない。
 「ありがとう。」
 素直にオルスはそう言うと、早速とばかりにタルトの頂点部分をフォークで切り取った。そのまま、口に含む。
 美味であった。クリームの甘さが程よく、しっかりと残るチーズの酸味と競合するでもなく、寧ろお互いを高めあう様に舌先で踊る。タルト台の硬さも、硬すぎず、軟すぎず、咀嚼と言う行為を丁度楽しめる歯ごたえに仕上がっていた。これはどうやら、そのあたりにいる貴族ご用達の料理人よりも何倍も腕前があるのかも知れない、とオルスが考え、もう一切れを楽しもうとしたとき、甲高い金属音が小部屋に鳴り響いた。
 その音にびくりと肩を震わせたオルスは、食べる手を止めるとすぐに音の方向へと振り返った。その視界に入ったのは、フォークを取り落としたらしい、バニカ夫人の姿。そのまま、バニカ夫人は肩を震わせ、どん、と空に浮いていた右腕をテーブルに叩き付けた。
 「お姉さま・・?」
 フレアが、引きつった口調でそう訊ねた。その直後。
 「不味い・・まるで紙でも食べているみたい・・。」
 あのタルトを?オルスは瞬時にそう考えた。どう考えてもあのタルトは最上級に旨い。オルスがそう考えて異議申し立ての一つでも述べようと考えた直後、それまでの生気の無い、全身から立ち上る疲労感が嘘であったかのように、バニカ夫人はかっ、と瞳を見開くと、オルスが現実を疑う行為を行った。
 右手を大きく振り上げ、テーブルから皿ごと、タルトを床へと叩き落としたのである。まるでスロー映像でも見ているかのように、ゆっくりと、白磁の皿が、そしてそこから飛び出したタルトが落下していく。そのまま、重力に任せるままに、垂直に床へと到達して。
 陶器が弾ける音が、決して小さくはない小部屋の中に鳴り響いた。まるで大きく、何かの銃撃でも起こったかのように鋭い音を立てて。
 「不味い、不味い、不味い。」
 呻くように、バニカ夫人はそういうと、無造作に自らの髪を両手で掻き毟った。半ば腰を浮かせたオルスが、フレアがバニカ夫人のその姿を見て動きを硬直させる。その二人の様子を知って知らずか、バニカ夫人はまるでヒステリーでも起こしたように叫んだ。
 「出て行って!出て行って!一人にさせて!」
 直後に、フレアが自らの顔を両手で覆った。声を抑えるような、小さな嗚咽が響く。直後に、フレアは何も述べず、何もかもを置いて小部屋から飛び出した。オルスは未だ髪を毟りながら唸るバニカ夫人を哀れむように一瞥すると、フレアを追うように部屋を飛び出した。

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい

小説版 悪食娘コンチータ 第一章(パート6)

みのり「ということで第六弾です!」
満「なんでバニカが悪食に走ったのかということだけど。」
みのり「いわゆる味覚障害を想定して書いています。通常は亜鉛不足と言われているけど、強いストレスでも味覚障害を起こすことがあるみたいで。」
満「まぁ、ひどいストレスは万病の元だから。」
みのり「原因にするには楽と言えば楽だけど。」
満「それから、タルトって30分程度でできるものなのか?」
みのり「クック○ッド見るとできるみたいな雰囲気?」
満「みのりは料理しないの?」
みのり「・・・。」
満「ごめんなさい。」
みのり「ということで次回も宜しくね☆私だって卵焼きは得意なんだから!」

閲覧数:257

投稿日:2011/07/24 11:13:56

文字数:3,988文字

カテゴリ:小説

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  • sunny_m

    sunny_m

    ご意見・ご感想

    みのりさん、フレアさん。美味しく作ろうと思ったら、このタルトだともっと時間がかかりますよ~。

    と、美味しいものが大好きな人なので、思わずつっこみを入れてしまいました、すみません(笑)

    美味しいもの好きな人が、ある日、何を食べてもまずかったら…と考えると、本当に切ないです。
    そりゃあ狂気に拍車がかかるよ!と。 もだもだしています!!
    美味しいごはんを食べてほしいけど…でもコンチータ様だから…。
    なんとまあ言葉にならない!!と、やっぱりもだもだ中です。

    続きが楽しみなような、恐ろしいような。
    でも楽しみにしていますので~!
    ではでは

    2011/07/24 13:34:27

    • レイジ

      レイジ

      やっぱり三十分だと短か過ぎましたかorz

      お菓子をまともに作った事が無くて。。
      勉強しますぜ><

      自分も食べるのが大好きなので、食べられない苦しみはもう・・想像を絶するものがありますね。
      まだ物語の全体の中では穏やかなほうなので、今後の展開も楽しみにしていただけると幸いです!

      ではでは、読んでいただき&コメント本当にありがとうございました☆

      2011/07/24 17:34:18

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