<色は匂へど 散りぬるを>

倶利府の国は北の奥。

隣国の伊田寝との国境にも近いそこは、急峻な山々が軒を連ねる峠道であった。

山の谷あいには倶利府の側から谷川が流れ、それはやがて伊田寝に至り海へと流れ込んでいく。

峠道はこの谷川の沿いに細い道を伸ばしていた。

しかし険しい峠も一つ越せばそこは国と国を結ぶ街道、狭い谷間に張り付くようにして宿場が開かれ、旅籠が看板を下げていた。

その数ある宿場のなかのひとつに、加賀見屋という旅籠があった。

そこは山深い峠の中途にある旅籠であった。

柱も天井も、黒く燻された太い丸太が飾り気も無く豪胆に組み合わされた、背の高い合掌造り。

暦は晩秋。

山々を彩る紅葉も盛りを過ぎてやや色あせ、山間を吹き抜ける身を切る様な風が、枯れた葉を谷川へと散らしていく。

すっきりと晴れた高い空は、地表の熱を日に日に奪い去り、朝晩には氷さえ帯びる、そんな時期。



日あしも山の端に傾いた時分、ある男たちの一団が加賀見屋の暖簾を潜った。

いずれも深網傘を目深にかぶり、手甲に旅脚絆、白装束に経帷子を纏い、手には金剛杖の六人。

一見すれば巡礼の者どもである。

「いらっせい」

山なまり強い、頬骨の這った四角い顔の番頭がひょいと顔を出した。

「お知らせをうけまして、ええ、用意は整っとりますんで、さぁさ、こちらへ……」

番頭は急な階段をよじ登るように、六人を三階へ案内した。

番頭の後を、傘を脱いだ六人が、傘を左手に、杖を右手に持ったまま、急こう配の階段を音も無くスルスルと登っていく。

上がった先、そこからさらに奥まった座敷の前まで来て

「こちらに」

脇に控えた番頭が促す。

先頭に居た一人の男が、傘と杖を番頭に渡し、閉じられた襖に手をかけた。

襖をあけると、そこは十畳敷。

ひろい間取りのその中央に、艶やかな華がしとねに横たわっているのを見て、男は思わず息を呑んだ。

敷布団の綿もあたたかに、熊の皮の見事なのが敷いてあるそこに、一人の少女が横たわっていた。

藍鼠の生地に散らされた椿紋様の小袖は、乱れ、剥き出しの肩、胸元は開かれ、薄い胸に桜色の蕾がかすかに覗く。

朱鷺色と白のいち松のくっきりとした伊達巻が乳の下をくびれるばかりに巻き付き、それで消えそうなその弱腰に、裾模様が軽くなびいて、爪先に友禅がほんのりとかかり、その脚先は、内また気味に力無く、かすかに左右に開かれている。

裳裾がわずかにはだけ、浅黄の長襦袢の裏と、そこからこぼれるほっそりとした両太ももの、夜明けの雪のように白い肌。

両の袖は背中にまわされ、わずかに横にかしいだまま横たわった上体のその後ろ手に、手首と手首を荒縄できつく縛られ、雪の様な柔肌に痛々しく紅が滲んでいた。

何よりもその少女の小造りな顔、鼻筋はとおって、控えめな唇は赤く、あばた一つ無い頬の白さは凄いよう………

……しかしその両の眼は赤い帯にて隠されている。

かくも淫靡でなまめかしく、嗜虐的な少女の寝姿。

男はじっと少女を見つめ、

「見事…」

厳しい声でぽつりと言った。

「神威の小倅め……美しき花を育てたものよ。して、この花。いずこにて摘んだ?」

男の問いに、番頭が答えた。

「へい、五日前の晩、ひとつ隣りの宿場にて。みすぼらしい身なりの浪人が、一晩の宿と引き換えに差し出した娘にごぜえます」

「神威か」

「人相、風体から恐らく。報せを受けてすぐさま討ち手を放ちましたが、残念ながらあと一歩のところで山へ逃げ込まれまして」

「しかし、娘は捕えた訳だ」

「へい、娘を売るほど困窮しておったということでしょう。売られた娘も、五日前は痩せさらばえ、目玉ばかりぎょろぎょろ動かす餓鬼にごぜえました。師匠に捨てられたというに、目の前の飯欲しさに大人しく縄に懸かった畜生にごぜえます」

「もはや誇りも捨てたか。神威も長くはあるまい」

「いずれ谷川のいずこかに奴の遺骸も上がりましょう」

「されば、大殿の悩みの種も消える。………この娘、彼奴の居場所を吐いたか」

「いえ、ひとことも。だからこそ、お頭においで願った訳で」

番頭の答えに、男はその顔に、冷たい薄い笑みを浮かべた。

男が背後に控える他の者どもに目を向けると、男たちは心得たように階下へと、影のように消えて行った。

「では、あっしも」

男の背後で、番頭が座敷の外から襖を閉めた。

広い座敷には、男と、目隠しをされ両腕を縛られたまま横たわる少女だけが残された。

薬でもかがされているのか、少女は弱い呼吸のまま、身動き一つしなかった。

座敷には、窓のすぐ外を流れる谷川の瀬の音が、轟々と低くうなりをあげるのみ。

男は改めて少女を見た。

年の頃は十三、四。

自分のために着飾らせたであろうその華美な着物の下の身体は、長く過酷な逃避行のためか、柳枝のごとく痩せている。

この五日で多少の精を取り戻しただろうが、あまり激しく攻めれば、容易く命を落とすに違いない。

しかし、これほどの上玉、力任せに手折るにはあまりに惜しい。

じっくり時間をかけて、己の花にするも悪くない。と、男は思った。

何よりも彼奴の方から捨てた娘だ。この娘とて未練はあるまい。ならばすぐに手中に落ちよう。

男は少女の傍に座ると、その裾を割って太ももに手を触れた。

さほど肉が付いていない割に、吸いつくような肌の感触。

少女の口から、寝息とは違う、短い息が漏れた。

想像以上の感触の良さに、男はいきり立った。

帯に手をかけ、その身体に押しかかり、膝で少女の両脚を割った。

少女の細い首がはね、その唇から甘い息が漏れた。

少女が身をよじらせ、それで少女の目隠しがずれた。

赤い眼隠しの帯の下から長いまつげをもったまぶたが現れ、それがゆっくりと開かれて淡い緑色の輝きを発した。

じん、と男の脳裏に甘美な痺れが走った。

男は少女の唇に吸いつき、その吐息を貪った。

吹き込まれた少女の吐息が、胸の内で凶暴な熱となり、男の意識を焼き尽くした。

男は少女の口をはなし、おおきく上体をのけぞらせて喘ぐように息を吐いた。

見上げた天井が、ひどく酔ったときのように、グルグルと回っていた。


――なんだこの感覚は!?


酒に酔ったときとも、女に酔ったときともまるで違う感覚。

平衡感覚がマヒし、天井だけでなく座敷全体が大きく回った。

男は、上体を起こし続けていることさえできずに、組みしいた少女の上に覆いかぶさるように倒れ込んだ。


――しまった!?


男が気が付いた時にはすでに遅かった。

「むふぅっ」

男の腰ががくがくと震えたかと思うと、その瞬間、鮮やかな色彩が男を包みこんだ。

かと思うと、その色彩は渦となって天井近くまで跳ね上がり、太い梁の上を飛び越して座敷へと着地した。

色彩の渦と見えたのは、少女が身にまとった艶やかな小袖だった。

目隠しをされ、後ろ手に縛られ、男に組み敷かれていた少女は、その状態から男の身体を抱え込み、天井の梁を飛び越えて見せたのだ。

座敷の中央、熊の敷物に乱れ衣で立つ少女にもはや目隠しは無く、その手にも、もはや荒縄は無かった。

その二つは、いまや男の方に絡みついていた。

男は高い梁から、荒縄で両手両足を縛られて吊るされていた。その口には少女の眼隠しが、さるぐつわとして噛まされている。

少女は、あの一瞬で縄抜け、相手の縄縛り、そして梁へと吊るして見せたのである。

十三、四の少女の、いや、常人のできる事では無い。


――おのれ、くのいちか…!


目隠しを外した少女の眼が、喜悦の色浮かべて男を見た。

猫のように丸い、そして妖艶な瞳。しかしなにより、その目の色に、男はゾッとする。

翡翠の様な澄みとおった瞳の色。


――そうか、この娘、魔眼か。


翡翠の猫目の少女の背後から、座敷の襖がスッと引かれ、番頭が姿を現した。

「お頭、首尾はいかがでごぜえますか」

首尾も何もあったどころでは無い。大の男が、年端もいかない少女を前にして吊るしあげられ、声も出せないのだ。

だが番頭は、その様子を目の当たりにしているにもかかわらず、その四角い顔を上げてにんがりと微笑んだ。

「これは、首尾よくやった」


――こやつっ!?


男は気づいた。

これは番頭では無い。いや、番頭として潜り込ませていた、己の配下では無い。

番頭は、己の顔に両の手を当て、二、三度、強くこすり降ろした。

その手を離したとき、そこにはあの頬骨の這った四角い顔が嘘のように消えていた。

代わりに現れたのは、面長の、ノミで削ったような掘りの深い顔立ちの若い男の顔だった。

ライセンス

  • 非営利目的に限ります

ボカロ イメージ小説~いろは唄~ 色は匂えど散りぬるを(1)

原曲「いろは唄」(作詞作曲、銀サク様)を基にした時代劇小説です。

一族の敵を討たんとする忍び・楽歩と、彼に拾われた少女・凛の物語。

閲覧数:319

投稿日:2015/10/12 19:34:35

文字数:3,607文字

カテゴリ:小説

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