「マスター?」
「………」
横から声を掛けてみる。
「マ・ス・タ―――?」
「………」
背中をツンツンとつついてみる。
それでもマスターは全然反応してくれない。
というより気付いてない……。
「マスターってば!!」
「うわぁっ!!?」
後ろから思いっきり抱きつくとようやく気付いてくれた。
「ミクか……驚くじゃないか」
抱きついた勢いでずれたヘッドホンを直しながら、ミクの方を見るマスター。
「『ミクか……』ってひどいです!!
さっきからずっとマスターを呼んでいたのに全然気付いてくれないもん」
マスターに抱きついたままブーと頬を膨らましてみる。
「え、そうなの? そりゃ悪かったよ」
マスターは慌てて頭を下げる。
「でも、ギター持ってる時に抱きついたら危ないだろ?」
「む~~それはミクの心配ですか? ギターの心配ですか?」
「えーっと……両方」
マスターはニコッと笑って誤魔化したけど、ミクの機嫌はますます悪くなっていきます。
マスターは曲作りに没頭するといつもこうだから困っちゃう。
片手にギター、頭にはパソコンに繋いだヘッドホン、
空いた手はパソコンのキーボードを叩いたり、ノートにガリガリと音符を書き込んだりする。
そんな状態が一日中続く時もあるからミクは心底呆れます。
マスターはお友達とバンドを組んでいて、作詞作曲は主にマスターの仕事なの。
(ちなみにミクもバンドのメンバーでボーカル担当だよ)
だから、今は次のライブ用の新曲を必死になって作成中。
そして、この有様なのです。
ご飯も睡眠もろくに取らず、作曲に夢中になっています。
ミクは体に良くないと口が酸っぱくなるほど言ってます。
でも、この有様なのです。
なかなか理想のメロディーに辿り着けないみたい。
さっきから弾いては、首を傾げてまたもう一回同じ箇所を弾くを繰り返してばかり。
思い通りにいかずすごく苦い顔をしてるけど、やっぱり作曲は楽しいみたい。
マスター曰く『上手く曲が作れない時の方が燃えるんだ。苦を乗り越えた時の達成感はすごいんだよ』だそうです。
マスターは『マゾ』だとミクは判断します。
音楽に夢中なマスターはキラキラと輝いていてミクは大好き。
でも、ミクにあまり構ってくれなくなるからちょっと寂しい。
「マスター。もうお昼ですぅ」
「ほんとだ。もうそんな時間か」
「マスター曲作りに没頭しすぎです。少しは気をつけないと体に触りますよ?」
「全くその通りだね、気をつけるよ。ははは」
頭を掻いて苦笑いするけど、あまり反省の色が見られませーん。
その証拠に同じような会話を昨日もしました。
「曲作りを一旦お休みして、十分な休憩を挟む事をミクはお勧めしまーす」
「う~ん。でも、あともうちょっとで何か浮かびそうなんだよ」
「ミクは曲作りをお休みする事をお勧めしまーす」
「もしかして……怒ってる?」
「さぁ? どうでしょうね」
「……じゃあ、休憩するか」
マスターはパソコンの電源を切って、大きく伸びをする。
マスターの関節がすごい音を鳴らすから、思わずびっくりしちゃった。
だってボキボキってなんか思いっきり折れる音みたいだったから、
マスターが骨折しちゃったのかと思った。
「ちょっと無理な姿勢しすぎたかな……?」
他人事のように呑気に呟く。
やっぱりマスター曲作りに対して熱心になりすぎです。
いつか体壊してもミクは知りませんからね!!
「腹も空いたし、久々に外食するかな。ミクも一緒に行く?」
「外食ですか!? 行きます、行きます!!」
ミクはぴょんぴょんと跳ねる。
だって嬉しいから。マスターと外でお食事なんて本当に久しぶりなんだもん。
「ミクは行きたい所ある? そういえば最近ネギ専門の料理屋が出来たらしいよ」
ネギ……すっごく魅力的だけど、
せっかくマスターと一緒なんだもん。もうちょっとオシャレなとこが良いな。
「ミクはオシャレなレストランを要望します」
「はいはい、了解しました」
「えへへ、外食楽しみですね?」
ミクはマスターの腕にぴったりとくっつく。
「そうだね」って言ってマスターはミクの頭を優しく撫でてくれる。
ミク、とっても嬉しいな。
……と思ってたけど、前言撤回します。
だってマスターたらミクと一緒に歩いてる時も、レストランに居る時も
いつも持ち歩いてる手帳にブツブツ言いながら曲の事を書き込んでいるんだもん!!
周りの景色をキョロキョロと見ながら、ずっと新曲のことばかり考えてる!!
曲作りを休むって言ったのに。
マスターの馬鹿! 嘘つき!!
レストランを出てもまだマスターは手帳と睨めっこしてる。
ミクはその隣を不貞腐れながら歩くしかありません。
「ねぇ、マスター」
「ん? って、すごい顔してるな、どうした?」
よっぽどミクがひどい顔してたみたい。
マスターはギョッと目を見開く。
「誰のせいですか、誰の」
「???」
マスターはキョトンとしてる。
ふんだ、どうせマスターはミクの事これぽっちもわかってないんだから。
ミクは何としてもマスターの気を惹かせたくて言ってみた。
「マスター、ミクとデュエットしませんか?」
「デュエット?」
ライブの時はほとんどミクが歌を歌うんだけど、
時々マスターが歌う時もあるの。
マスターの声は優しいテノール。
しかも、すっごく歌うの上手くてカッコイイの。だからミクすごくドキドキしちゃう。
でも、マスターは『自分は下手だから』って言ってあんまり歌いたがらないの。
謙遜すぎると嫌味になるってなんでわかんないのかな。
……本人は悪気はないんだろうけど。
ミクはマスターの歌が聞きたいの。
でも、嫌がるからデュエットって事にすれば歌ってくれるかなっと思ったけど、
「う~ん。でもな……」
渋い顔をする。
「してくれなきゃ、ミクもライブで歌いませんからね」
「それは困るな……」
頬を掻いてマスターは苦笑いする。
ミクは本当にマスターを困らせてる。
ワガママな自分に胸がチクチクと痛むけど、
どうしてもマスターの歌が聞きたい、マスターにもっと構ってもらいたい。
「マスターが自分に自信が持てないなら、ミク練習にお付き合いしますから」
「………」
ミクはじっとマスターを見る。
きっと懇願の目で見てる。
どうせなら一緒にミクの気持ちも伝わって。
「……わかった。そこまで言うなら歌うよ」
優しく微笑んでポンポンと軽くミクの頭を触る。
「……本当ですか?」
「本当」
「ほんとに本当?」
「ほんとの本当でマジだよ」
マスターはミクがびっくりしているのがおかしいのかクスクスと笑みを零す。
ミクも自然とほっぺが緩んじゃう。
まさかあっさりOKしてくれるなんて思わなかったもん。
前に『歌って』って何度もお願いしても歌ってくれなかったのに。
ミク嬉しくなってマスターの手を握ろうとしたら、
マスターの手がさっと上に移動する。
手を追って見ると、その手はマスターの顎に置かれていた。
「デュエット? そうか……それだ!!」
嬉しそうに手をポンと叩く。
「なにかが足りないと思ったら……高音だ!」
「えっえっ?」
ミクは何が何だか分からずポカンとする。
それを余所にマスターはうんうんと頷いて一人納得する。
「シリアスな曲だからって低音に重点を置きすぎてた。
もっと高音を織り交ぜるべきだったんだ」
え? ……もしかしてまた曲作りですか?
マスターの頭の中はもう曲の事で一杯みたい。
ミクのことなんてもう気にしてない……みたい。
「ありがとうミク、良い曲が出来そうだ!! さっ、早く帰ろう!」
マスターはミクの手を引いて走り出す。
ミクは手を引かれるがままに走る、走る、走る
涙なんて出ないはずなのに、視界がぼやける。
故障……かな?
すごくモヤモヤして気持ち悪いよ……
……マスターの音楽馬鹿!
ミクの事なんてどうでもいいんだ……
家に着くなりマスターは自分の部屋に駆け込む。
ミクは玄関に立ちつくす。
マスターの背中を見送りながらミクはきゅっと自分の手を握りしめた。
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