窓の外に浮かぶ月は満月になる数段階手前。
その形に名前があるのだろうか?
ほんの少し足りない月を何で満たせば気持ちの良い真円になるのだろうか? リンが一生懸命話してる最中なのは分かっていたが、ミクはそんな事をぼんやり考えていた。
「―――原稿も用意できましたし、選挙活動の段取りも打ち合わせ済みですし―――、後は本番だけですね」
リンは大学ノートに書きとめた原稿に目を通しミクに渡すとパラパラとノートを素読みして彼女は頷く。
薄暗く誰も居ない教室でリンとミクは机越に向かい合わせで座り選挙の打ち合わせをしている内に気がつくと、窓の外はもうすっかりと日が暮れてしまい先程、校内を見回っていた重音先生が二人に「あまり遅くならないようにねー」と声をかけていた。
「―――すっかり遅くなっちゃったね」
申し訳なさそうにリンに言うと、少し微笑んで首を左右に振る。
ミクは席を立ち、教室の窓に歩み寄る。
窓の外を眺める横顔は僅かばかりの月明かりが彼女の顔の輪郭を青白く浮かび上がらせていた。
白く柔らかそうな肌、小ぶりだが筋の通った鼻、自然で長いまつげ。リンは改めてミクが可憐な容姿であるこに気がつかされる。
「ねえ―――」
ミクはリンに尋ねた。
「リン君はさ・・・レン君の事、どう思ってるの?」
問いかけの意味がわからずリンは一瞬固まったが、すぐにミクに答えた。
「いや、親友ですよ。ちょっと頼りないけど・・・・・・いい奴なんです」
「ふ~ん・・・でもきっと、それは違うと思うな」
「どういう―――意味でしょうか?」
「最近、気づいたの私。君達を見ていて」
ミクは窓の外を見ている。欠けた月が夜空に白く浮かぶ。
「・・・君のレン君に対する気持ちは限りなく”恋”に似ていると思う」
ミクの言葉に、二人しかいない教室の静けさの中、胸が騒わぎだす。
リンは一瞬戸惑ったが、風船の膨らむ緊張感に針を刺さすように笑い声で沈黙を破る。
「―――ははは!いや、急に何を言い出すかと思えば・・・」
わざとらしく滑稽に笑い、ごまかすしかなかった。
リンがずっと胸に秘めていた『レンの側に居たい』という気持ちを見透かされたのだ。そんな事、他人に悟られたくは無いし、なにより自分が一番もてあましている感情なのだ。笑って惚けるしかない。
しかし何故、ミクがその事に気づいたのかをリンは疑問に思った。
ミクは夜空を眺めながら話を続ける。
「わたし、ず―――っと、見ていたの。リン君を。最初は嫉み・・・だったの。だって私が必死になって作り上げた学園の人気を横取りされそうで怖かったから・・・・・・。だから、リン君の何か弱みを握ってやろうと考えていたの。馬鹿・・・・・・だよね、こんな事を本気で考えていたなて。みんなからチヤホヤされるのが私の生きがいで、その為に色んな努力をしたわ。でも―――」
リンの正面に向かい、ミクは話を続けた。
「君は皆にチヤホヤされても、全然浮かれないし、そんな事、興味も無いみたい。そんなリン君が唯一、見つめているのはあの妙ちくりんなレン君。正直、腹が立ったわ! なんでアイツなのって! そして、気づいたの・・・・・・私」
リンは只、ミクの言葉を聞く事しか出来なかった。
夜はゆっくりとその青さを深めてゆく。
「いつの間にか・・・私も君しか―――見えていなくなっていたの」
先程まで照らしていたわずかな月明かりは雲に隠れ、ミクの顔の輪郭を夜が溶かす。
「私は・・・リン君が好き・・・・・・」
感情を込めずにミクは告白したが、声の端は小さく震えていた。
その言葉は空気の塊のようにゆっくりと、そして鈍く、リンの頭の天辺から喉の気道を通り、胸を詰らせる。感情を混乱させる上に、手も足も動かせない。
「あ・・・」
辛うじてリンの喉から出た言葉は一音。
「突然ごめん・・・今日は先に帰る・・・」
カバンに選挙用のノートを慌てて詰め込みカーディガンを腕に抱えて
ミクは足早に教室を出ようとした時、ミクの鼻を啜る音が聞こえた。
ミクを追いかける事も、引き止める事も出来ない。
突然の告白とはいえ、リンは自分の不甲斐なさが情けなかった。なぜなら自分でもレンに対する気持ちの正体はまだつかめてはいない。それは恋愛のようで、また、友情のようで―――とても掴み処がないのだから。
幼い頃、レンが言った言葉。
『男の子の友達とキャッチボールがしたいわん』
その願いを叶える為に男に成りすまして、リンはレンの前に現れた。
男の子になり、キャッチボールをしていればずっとレンの側にレンの近くにいられると思ったからだ。
でも、それは友情であって恋愛的な意味からどんどん離れてゆく。
抱きしめたい、触れていたい、好きだという言葉を交わしたい。そんな要求がリンの中で日増し膨れてくるとは思いもしなかったのだ。
言い訳の背理法など、何も証明できない。頭を振り、リンはとりあえずどんな顔をして明日、ミクと朝の言葉を交わせば良いのかと考える。
窓辺に行き、夜空を眺め、少し欠けた月を見ながらリンは、自分の胸を押さえた。
そうしなければ、自分の心がますます欠けてしまうかもしれないと思ったのだ。
街灯の照らす夜の路を足早にミクは家に向かっていた。
早く家に帰って、家族に顔を合わせず速やかに部屋に入りベットに突っ伏したかった。半泣き、というか、もう既に溢してる大粒の涙と鼻の下をどんどん降りてゆく鼻水を当然、誰にも見られたくないからだ。
なんであのタイミングで、あんな告白をしてしまったのか
自分でも驚いている。きっと、リンが転校する事を聞いて焦ってしまったんだろう。ミクはそう思った。
恥ずかしい、みっともない、惨め。
そんな感情が今、全て、自分にあてはまると思うと情けなくて涙がますます止まらない。唸りに近い泣き声を堪えつつ足早に家に向かうのだが、こういう時に限って、意外な人物と出くわす。
「ちょっとまて、ミク」
聞き覚えのある大人の、男性の声だった。
「おまえ、鬼瓦のような形相だぞ。けけけっ!」
半笑いで少し馬鹿にしたようなニュアンスで声をかけたのはボカロ学園の教師、キヨテル先生だった。
キヨテルは学園では人気のある先生だが女子には厳しい。反対に、何故か男子生徒には甘く、優しい。キヨテルに正面から鬼瓦などと言われミクの感情の限界値は決壊。
情けなさにミクはその場で「びえーーーん!」と壊れたシャワーヘッドのようにその場で泣きわめいた。
それまで半笑いでいたキヨテルはミクの突然の本気泣きに焦ってしまいアタフタしてミクの手を強引に引き、近くの公園のベンチまで引き連れて行った。
「馬鹿か! お前は!! あんな夜道で男性教師を前にJKにマジ泣きされてみろっ!! 誰かに見られたら―――俺の教師生命が破滅するわ!!!!」
「だって、だって・・・・・・びえぇぇぇぇーん!」
彼女も自身ビックリするような泣き声だった。公園のベンチにミクを座らせるとキヨテルは舌打ちをし、公園の飲み物の自動販売機に行きコインを入れた。
「ん? なんだ? アイスソーダー茶? 誰が飲むんだこんなもの?」
自動販売機に並ぶサンプルを見て眉をしかめ、暖かいブラックコーヒーとミルクココアのボタンを押した。
「ほらよ、どっちを飲むんだ?」
コーヒーとココアを差し出すとミクは聞き返した。
「・・・先生は、どっちがいいの・・・・・・」
キヨテルは舌打ちをした。
「だから女ってやつは・・・・・・俺が先にきいてるんだろ!」
少しイラついてるキヨテルにミクは怯えながらブラックコーヒーを指差した。
「はぁ? お前ブラックが飲めんのか!? 女は甘いモノしか口にしないと思っていたわ」
「砂糖とか太るし、慣れたらブラックの方が美味しいもん・・・・・・」
「ふぅん・・・・・・まあいいや、ほら」
キヨテルはブラックコーヒーをミクに渡した。
「それ飲んで落ち着いたら、寄り道しないで帰るんだぞ」
「・・・先生は普段厳しいけど・・・・・・優しい時もあるんだね」
「馬鹿なの! 俺は優しいと評判なんだぞっ!(男子から)」
両手を添えて、ミクはコーヒーを啜った。それを見て、キヨテルもココアを飲む。
「どーせ、恋愛絡みで泣いてんだろう」
「なんでわかったのっ!」
ミクは目を見開き、キヨテルに聞いた。
「バカ・・・・・・女子がワンワン泣いてる理由なんて恋愛以外にあるかよ。
あ、先に言っとくけど、子供の恋愛相談は俺、興味無いからパスな」
「だ、誰が先生なんかに相談するか・・・・・・」
「ふん、上等だ。それぐらい生意気な口があるのなら大丈夫だな。それにしても―――学園の女王様が、恋の悩みで大泣きとはな」
「私だって・・・普通の女の子だし・・・・・・」
「はぁ? 笑わせんなって! お前は大したタマだよ。上手く皆に好かれる演技して、立ち振る舞ってチヤホヤされてんだろう?」
演技という言葉にミクの顔から血の気が引いた。
「一種の自己顕示欲ってやつかな。人気者でいたいって気持ちを持つのはさ・・・」
キヨテルはミクの顔をちらりと覗う。
「・・・・・・」
「大人は・・・そういうの気づくんだよ。先生舐めんな」
「・・・」
「でもな、そういうの悪い事じゃ無いんだ。なりたい自分になる為に努力してるんならそれ、貫き通せばいい」
「私、皆を騙してるつもり無いよ・・・」
「そういう論点じゃない。俺が言いたいのは―――」
ミルクココアの甘さが喉に引っかかるのがどうも気に入らないようだが
キヨテルは仕方なしに飲み込み、話を続けた。
「お前はある意味、誰よりも純粋なんだ。欲や理想に対してな。お前が、なりたいカタチになる為に努力してんのは、そんな悪い事じゃない。むしろ・・・・・・何もしてない連中より余程良い。俺はそう思うね」
ミクは頭上の月を見上げた。満月になりそこねた月を。
「・・・先生。あの月って、何か名前があるのかな?三日月とか、満月とかみたいに?」
「家でググれ」
「え―――・・・」
とても残念そうな顔でミクは言うのを見て缶に残るミルクココアを飲み込むと、キヨテルはめんどくさそうに答えた。
「十六夜じゃねーの。未練というか”ためらう”って意味もある」
「うわ・・・・・・なんか今の私っぽいかも」
「ばーか。お前がそんな大それたモノかよ。でもな、あの月は朝方まで見えるんだ。次の満月になるまでゆっくりと形を変えて―――」
キヨテルは最後に何か言ったのかもしれないがミクの耳には聞こえていなかった。そのとき気づいたのだ。完全な形なんて一時だけで不完全なカタチこそ普通なのだと。ミクはそんな事を考えながら、キヨテルからもらった苦い缶コーヒーを口に運ぶのだった。
「苦いけど・・・暖かいや」
【つづく】
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