十月三十一日、ハロウィン。
それはかつて古代ケルト人による秋の収穫祭として考えられたお祭りの日。
秋の終わりと冬の始まりを告げるこの夜は、死者が家を訪ねてくるらしい。
魔除けの火を焚いたり宗教的な意味合いが強かったこの海外の祭も、現代のこの国ではお祭り騒ぎの口実として使用されている。

十月に入ればハロウィンをモチーフにしたパッケージの商品が溢れかえり、魔女やお化けなどの仮装グッズもよく店頭で見かける。
さすがに学校では文化祭などの行事でない限り仮装はできない。
だけど無邪気な学生たちは皆、それぞれお菓子を持ち寄って友人同士で交換したりと、限られたハロウィンを楽しんでいる。
それは私だって例外ではない。


「ねえ、準備できた?」
「まだかかりそうだから、自由にしてていいよー!あ、せっかくだから先生を呼んできてよ。今年赴任したばかりだし、多分うちの部の風習を知らないから、呼ばないと来ないと思うよ」
「わかった。ちょっと話をつけてくるよ」


舞台上で、びっしりと文字が書き込まれたノートを片手に他部署と話をしている友人、ルカが私へ指示を飛ばす。
高校二年生、同じクラスで前の席に座る彼女はこの演劇部の部長だ。
前部長の背を追いかけていた彼女は今、後輩たちを導く立派な先輩になりつつある。
そのままの勢いで、思いを寄せていた前部長との仲も上手くいってほしいものだが、意外なところで鈍感な彼女には難しいだろう。

体育館を出て階段を登り、北校舎四階にある数学科準備室へ向かう。
遮光カーテンの引かれたその部屋で横になったその人を認識するや否や、古びた扉を勢いよく引いてばあんと音を響かせると、横になっていた人の体が一瞬びくりと跳ねた。
普段からどんな生徒にも分け隔てなく接し、教師にありがちな上から目線で高圧的な話し方もしない彼は、生徒達に人気がある。
そんな彼が一瞬でも慌てるさまがどこか面白くて、こみ上げる笑いをどうにか抑えて彼に問いかける。


「キヨテル先生、起きた?」
「……僕、表に『静かに開けよう』って貼り紙してませんでしたっけ?」
「床に落ちてたし、しっかり貼り紙してあっても起こすには丁度いいかなって思って。早速で悪いんだけど、顧問の仕事を頼まれてくれない?」
「顧問?わかりました、歩きながら話を聞きましょう」


手探りで机の上の眼鏡を探す彼は、本当に目が良くないらしい。
それは寝起きだからなのか、それとも普段からずっとそんな手つきなのか。
時間がかかるのも癪なので、ぱっと机の上から眼鏡を取り上げて、彼の耳にかけてあげる。


「うおっ……ああ、やっぱりリリィさんでしたか。どうもありがとうございます」
「目が悪いのはわかるけど、せめてどこに置いたかくらいは覚えておきなさいよ」
「いやあお恥ずかしい。それはそうと、顧問の仕事とはなんでしょう?文化祭は先週終わったばかりですよね」
「そうだね。でも十月三十一日は、うちの演劇部はちょっと練習内容が違うの。それを今年の顧問は知らないだろうから教えてあげろ、と現部長のルカが申しておりましたー」
「ハロウィンに関係した何かをやるんですか」
「そうね。元々はバレンタインとかクリスマスとか、イベントがある日にそれに関係した練習をお遊びで始めたらしいんだけど、なぜかそれが伝統として残っちゃったんだって」
「へえ、ではハロウィンに限った話ではなさそうですね」
「いや、ハロウィンだけ残ってる」
「なぜ……」


個人的には、仮装という名目で衣装が着用できるので、テンションが上がって練習が盛り上がるからではないかと思う。事実は当人達にしかわからないことだが。
本気で理解できなさそうな表情の先生を横目に、足早に体育館へ向かう。

明日から十一月と考えれば自然なのだが、それでも上旬の温かさと差がありすぎる。
舞台の下では照明の熱が加わるため、微量の差ではあるものの他の部屋より温かい。
……布団に引きこもり可能な保健室には勝てないけど。


先生を引き連れて体育館の戸を開けると、忙しなく指示をしていたはずのルカの姿が見えない。
誰も立っていない舞台の上で、冬の講演会のための台本だけが残されていた。


「あれ?みんないないな。舞台袖かな?」


舞台に上って視線を左右に投げても、誰の姿もない。
あまりにも静かだ。
舞台袖から階段を昇り、放送室も見てみたけれど、打ち合わせ中のはずの他部署の人さえ見つからない。


「変なの。誰もいないんだけど、どこに行っちゃったんだろう?」
「もしかしたらあそこに見えるの、演劇部じゃないですかね。ほら、あそこ」


窓を開けて彼の指さす先を見ると、離れた校舎二階の窓にルカ達の姿が見えた。


「やっば。入れ違ったかな。下手に動かない方がいいだろうから、小道具の準備でもしてようかな」
「良かったら手伝いますよ。暇ですし」
「先生今はっきり暇って言ったよね?昼寝してたしそういうことなの?ねえそうなの?」
「いや、サボりではないですよ。ただ、体調が優れなくて」
「そ、そう。徹夜明けとか?ホントに先生達って大変そうだね」


そういえば遮光カーテンすら閉め切っていたのだ、相当堪えていたんじゃないだろうか。
先生には舞台袖で休んでいてもらおう、そう提案したけど彼が首を横に振った。
少しでも自分が受け持つ部活のことを知っておきたいと彼は言った。
根が真面目すぎる故に、いつか本当にボーダーを超えて倒れるのではないか。もう少し気を抜けばいいのに。



「うわ……電球が切れかけてない?チカチカしてるんだけど」
「ここ、ちょっと古いんですね。僕の方から話を通しておきますよ」
「ありがと。さーて、ちょっと探しづらいけど何か使えそうなのないかなー」


点滅を繰り返す灯の下、棚に乱雑に置かれた小道具を探る。
小物類がかなり多いから、整理するにはちょっとの勇気と多大な時間がいる。どこに何を置くかのリストを見せられた記憶はあるけど、そのリストもどこかに消えたらしい。
これはまとめるルカも大変だろうな。大掃除の時は片付け係として手助けをしようと心に決めた。


「ところで、リリィさんは仮装しないんですか?」
「なに、見たいの?残念だけど私は来春の大会用の台本を書かなきゃいけないからしませーん」
「それは残念。あれ、この辺には今までの台本もあるんですね。これはきちんと並べられているようですね。見覚えありますよこれ」
「今までのって言っても、その辺りは何年も前の……いや、待って。見覚えがあるってそれ、おかしくない?似た何かと見間違えてるんじゃない?」
「そうですか」


一冊引っこ抜いて中身も見ずに、私にそれを投げ渡した。


「第一章暗転前、『永遠を約束した彼女は死んだ。ヒトならざる者である迷い子は、羽をもがれ地に落ちた。永遠に彼女を探し続ける愚者と成り果てたのだ』」
「この付箋が貼ってあるページのことなら、合ってる……。これ二十年くらい前のやつだよ。ねえ先生、見た目からして今年で二十四くらいでしょう?どうして見覚えがあるなんて言えるの?」
「だってそれを書いたの、僕ですから」
「……は?」


傷みかけたページを捲って最後の項目に目をやると、そこには確かに「演出・脚本 氷山キヨテル」の名前が手書きで刻まれていた。
インクも相当色褪せているのに、この筆跡には見覚えがある。いつも黒板で見慣れている字。


「同姓同名……ではないよね。珍しい名前が被ることなんて早々ないだろうし。でもね、ハロウィンの悪戯にしては冗談が過ぎるよ」
「代わりに君は僕に、お菓子でもくれるんですか」
「残念だけど鞄の中よ。私、疲れてるのかな。……ねえ。キヨテル先生。今、いくつなの?」


台本から顔を上げると、ゆっくりとこちらに倒れこむ彼に驚き、台本をとり落す。
咄嗟に支えるも、彼は頭を抑えて苦しそうな顔をしていた。


「ちょ、ちょっと大丈夫!?相当体調悪いんじゃない、今横になれる場所にはこ、」


言いかけた口が止まったのは、私に寄りかかる彼の口が、私の首筋を捉えていたから。
一瞬何かの刺さったような傷みがした後、彼が呟いた。


「年を数えるのはもうやめました。意味のないことですから。何度巡り合っても、何度も名を変える君を見つけるだけで僕は十分なんです」


彼が何を言っているかわからない。
不敵に笑う彼の口元に、赤い染みが見える。

思わず後ずさると壊れかけた姿見に足が当たり、倒してしまう。
地から全てを映し出すその向こう側の世界に、唯一彼の姿だけが見つからない。


「キヨテル、先生?」
「ある程度耐性がついたとはいえ、やはり日光は僅かながら気力を削ぎますから……血が足りないんですよ。ねえ、リリィさん」


鏡に映らない、日光が苦手。血を欲する存在。
『吸血鬼』。そこの言葉が、今の彼を表す唯一の言葉だった。


「お菓子をくれない悪い子には、どんな悪戯をしましょうか?」
「い、嫌……殺さないで」
「さあ、どうしましょうか。君を永遠に棺に閉じ込めて、壊れないように飾ってあげてもいいんですよ」
「いや、こわい……キヨテル先生!」


ぎゅっと掴むスカートの裾が、緊張で汗ばむ手で濡れる。
だけどいくら待っても何かはやってこない。

恐る恐る目を開けると、黒いスーツの上着が私に投げて寄越される。


「寒いんでしょう。それを着てください」
「……でも、先生が寒くなっちゃう」
「君を襲うかもしれなかった相手を心配してどうするんです?さっきのは冗談が行き過ぎていました。怖がらせてごめんなさい」


足早に立ち去ろうとする先生の手を咄嗟に掴んだ。
驚き振り返ろうとする先生を制止して、その背中にすがりつきシャツ越しに唇を寄せる。


「ねえ。もし本当にそうなら、キヨテル先生はいつまで私を待ち続けるの」
「……多分、世界が終わるまで、ずっとですかね。僕は地に落とされた存在ですから」
「私、あなたに何もしてあげられてない」
「十分ですよ。生きていてくれるだけで」


舞台の方から声が聞こえる。
ルカ達が戻ってきたらしい。

だけど、どうしようもない寂しさに抗えないまま。
私を探す声が聞こえるまで、私たちはしばらくの間互いの温もりを感じていた。

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【キヨリリ】迷い子の祈り【ハロウィン】

ハロウィンですね!!!!
たまにはちゃんと先生やってるキヨテル先生を書くはずでした。

閲覧数:127

投稿日:2018/10/31 23:58:32

文字数:4,241文字

カテゴリ:小説

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