結局あの後、昼ごはんを食べ損ね、ついでに言うと体育教師の所にも行き損ねた。それでも僕に後悔の気持ちは全くなかった。こうして今、姉と一緒に下校している。それだけで、今日起こった全ての不幸は帳消しにしてお釣りを上げたいくらいだ。
 時々ちらりと視線を送ると、姉は少し俯きがちにして、鞄を両手で持ち歩いている。こうして実の姉だと理解してからも、未だに信じられない。この姉が、“彼女”だったなんて。昔の姉は、とにかく前向きで元気だった。毎日、溢れ出る活力を発散させないと気が済まないようで、そのとばっちりを受けていたのはいつも僕だったのだ。
 その頃に引き離されて記憶が止まっているからだろうか。突然別人のようになった姉と対面しても、今一つ実感がわかない。嬉しいのは勿論だし、もう離れないと固く誓ったものの、できれば前の明るい姉に戻ってほしいと身勝手にも考えてしまう。そんな思考を振り払いたくて、僕は黙り込んだままの姉に問いかけた。
「ねえ、リン。訊いてもいい?」
 昔なら沈黙が下りる間もなく姉が話し続けたものだが、今ではこちらから話しかけないと会話が成り立たない。一体、姉はどうしてしまったんだろう。おそらく、僕や父さんと別れてから何かがあった……。でもそれを直球で尋ねてもいいものなのか――。
「うん。何?」
 ようやく顔を上げて視線を合わせてくれた姉に、僕は何でもないように笑いかけた。
「リンは……僕のこと、たまに思い出したりとかした?」
 やっぱりすぐには訊けない。久しぶりすぎて妙にぎこちなくなっている気もするし、まだ時間はあるのだから焦る必要はないはずだ。すぐ消えてしまいそうに感じるのは今だけで、きっと一緒に過ごす時間が増えれば元に戻ってくれる――。……結局、ここに僕の思いは落ち着くんだ。姉のことも考えず、ただ昔に戻ってほしいと。戻りたい、と。
 父さんと母さんが離婚を決めた時、僕たちをどちらが引き取るかが問題になった。まだ幼かった僕たちは何も理解できぬまま、それでも何か大変なことが起きているとは感じつつ寄り添って過ごしていた。毎晩訳もわからず泣く僕と、それを叱り飛ばすことで己を繋ぎ止めていた姉。後から聞いた話だが、当時両親とも僕たち二人を引き取るつもりで日夜舌戦を繰り広げていたらしい。しかし裁判沙汰にまではしたくないという僕たちへの配慮から、結局僕は父さんに、姉は母さんの元で暮らすことに落ち着いたのだ。
 こうして僕と姉は離れ離れになった。そしてそれからもう十一年――。あまりに長過ぎる空白に、薄れるはずのない思い出が色褪せていく気がして怖くなる。本当に僕の記憶は正しいのだろうか。思い描く姉は、実は全部僕の頭が捏造した幻想で、本当は何も変わってなどいないんじゃないか――……。
「勿論。レンのこと、考えない日はなかったよ。まさか本当に会えるとは思ってなかったけど」
 僕のそんな焦燥も知らず、姉は仄かに微笑んでくれる。それだけでも僕には何だか嬉しくて、つい胸中の不安も忘れ声が弾んでしまう。
「僕もだよ。まさかこんな風に再会するなんて……まるで奇跡だね」
「うん。すごい……偶然」
「そういえば、今の名前は何て言うの?えっと、苗字の方……だけどさ」
 とりあえず会話を続けようと、僕としては当たり障りない話題を選んだつもりだった。しかし、僕の問いにさっとリンの顔が翳った。僕から視線を外し、さっき浮かべた微笑は嘘だったとでも言うように、沈んだ声音で答えを返してくる。
「どうしても……言わないと駄目?」
「えっと……言いたくないなら、無理には訊こうとは思わない、けど……」
 それは本心だった。それでもどこか言葉が濁ってしまうのは、姉があまりに暗い表情をしているからだ。僕が女装を強要された時でも、ここまで明からさまな拒絶は――していたのだろうか。だとしても、結局やらされたのだからクラスメイトには通じないのだろうが。
 僕の心配に気付いたのか、姉は若干無理やりにも見える笑みで、穏やかに付け足した。
「折角こうしてレンと会えたのに、あんまり言いたくないな。レンには、“鏡音リン”だって思っててほしいの。双子の姉だって……。それじゃあ、ダメ?」
 そんな風に言われたら、これ以上詮索できるはずもない。以前の姉は、力ずくで言うことを聞かせようとし、その強引さに何度も泣かされたものだが、そんな姉も大人になるのだ。こうして可愛らしくお願いされると、例えそれが新たな戦略の一つだったとしても、無碍にはとても出来ない。
「うん、わかった。僕もリンとは今でも双子の姉弟だと思ってるし、リンがそうしたいって言うならもう訊かないから」
「ありがとう、レン。レンは昔と変わらないんだね。昔とおんなじ」
「そう、かな?泣き虫はもう治ったんだけどな……」
 母さんたちと別れる間際、泣きじゃくる僕は姉と約束を交わした。次に会う時までに、泣き虫と弱虫を治しておくことを。とりあえず泣き虫は無事克服した。弱虫というのがどの辺まで適用されるものなのかわからないものの、日常生活において多少気が弱い程度ならば問題ないだろう。それならば二つとも達成したことになるが、姉はどう判断するだろうか。
「泣き虫は……わからないけど、優しいところは全然変わってない。昔、私がどんなに意地悪しても、泣きはしたけど怒ったりしなかったよね。レンのおやつ勝手に食べちゃっても、お気に入りの玩具壊しちゃっても、いつも許してくれた」
 それは姉が怖かったからだ。子供ながらに、姉に逆らったら数倍になって跳ね返ってくることがわかっていたから、怒るに怒れなかった。代わりに泣いて姉を閉口させる手段を開拓したのだ。でも今更そんな裏事情を説明して、水を差すのも気が引ける。そこでいつもクラスメイトと話す感覚で、つい相手に話題を返した。
「リンは……随分変わったよね。まるで別人みたい――」
 口にした瞬間、しまったと思ったが飛び出た言葉はもう戻らない。会えなかった間のことには触れられたくない様子の姉に、結局直球で質問した形になってしまった。恐る恐る隣を窺うと、姉の横顔は少し寂しそうなものの、目立った反応は見せなかった。そこにまず安堵していると、姉は諦めたような口調で浅く吐息を漏らし答えた。
「……うん、そうだと思う」
「声かけた時、最初は人違いかと思ったよ。随分大人びて、こんな風に大人になるんだなぁって感心した」
「もう……。流石に分別とかは身についてる年でしょう?いつまでも私だって利己的な子供じゃ――」
 そこで姉はぱっと顔を上げた。密かに冷や汗を垂らしつつ僕も改めて辺りを確認すると、そこは今朝トラック事故が起きた現場だった。向かって左は住宅街、右が駅前に通じており、学校に続く道を含めた三叉路になっている。ただ、今リンと歩いて来た道は斜面になっていて、学校に向かい割ときつめの上り坂となっていた。そのせいでトラックがスリップし、道路を塞ぐ形で横転したのだ。駅方面の道から学校に行けないわけではないが、かなりの遠回りで、電車通学の人もわざわざこの坂を上って通うほどである。通学路として学校側が指定しているのも、勿論こちら側だ。
 姉は往来を見定めるように左右を確かめた後、僕を見上げて小首を傾げた。寒さのせいか頬が赤く、瞳も潤んでいるように見える。
「レンは、ここからどう帰るの?」
「ん、僕?僕は左の方。電車通学じゃなければ、大体皆あっちだと思うよ」
 帰る前に少し腹ごしらえするとか、遊んでいくとかなら駅方向に直行だろうが、僕は下校途中に寄り道する習慣は養ってこなかった。大抵一人だから当然といえばそうなのかもしれないが。
「そうなの。……じゃあ、私はここで」
 しかし、姉はそうじゃないらしい。これから遊びに行くという雰囲気でもないから、買い物か何かがあるのだろう。もしくは電車で通学しているのか――。そういえば住所を訊いていないことを思い出したが、特に気には留めず、ふと思いついたことを問いかけた。
「あ、ねえ。父さんにはリンのこと――」
「お父さんには、私のこと言わないで」
 即答だった。思わず目を丸くすると、リンは気まずそうに瞳を伏せて、呟くように続きを紡ぎ出す。
「変な心配、されるといけないし」
「心配は……するかな。親、だしね」
 いくら離婚したといっても、僕の両親は父さんと母さん以外には考えられなかった。たとえ再婚したとしても、それは変わらない。口には出さないものの、父さんだって自分の娘を忘れたことはないだろう。姉に会ったと告げれば、どうしたって気になってしまうはずで、それはやっぱり避けるべきなのかもしれない。
 姉も同じ気持ちなのか、頷きながら念を押した。
「うん……。だから、お願い」
「うん、わかった。あ、そうだ。母さんは元気?リンに会ったら訊こうと思ってたんだけど、つい忘れちゃってて……」
 母さんのことも、僕は一日たりとも忘れたことはなかった。姉ほどに会いたいとは感じなかったものの、僕と姉を引き離したことに対する怒りは今では感じていない。ただ純粋に懐かしかった。もしかしたら、これまでにそれらの憤りを全部父さんにぶつけてきたせいで、単に気が晴れただけなのかもしれないが。
「うん。元気にしてる」
「そっか。それなら良かった。じゃあ、母さんに宜しく。あ、僕のことは話さないでいいんだけど……」
「うん。言われなくてもわかってる。……そういう所、本当に変わってないね。昔のまんま」
 それはどういう意味か。問おうと思ったが、姉の笑みに脳内がショートした。作り物ではない、心からの笑顔。それは僕の言葉を呑み込ませるのに充分だった。
「じゃあね、レン。また明日」
 機能停止している僕に軽く手を振り、姉は道を右に曲がっていく。その背中を馬鹿みたいに見送りながら、僕はしばらく動けなかった。
 そんな気もそぞろな僕が、その後家に帰り着くまでに数度転んで雪まみれになったのは――言うまでもない。


(続く)

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい

闇のダンスサイト 4

リンとレンの下校風景です。
…とこんな説明でいいのでしょうか^^;
毎回説明を書きたいとは思いつつも、特にお話に変化がない場合、何を書けばいいのやら><
でも、何かしらを書いていく気概だけはあるので、頑張ります!
気合の入れ所が違う気もしますが、自分にとっては切実な問題なので努力します…!

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閲覧数:221

投稿日:2011/03/08 03:54:37

文字数:4,111文字

カテゴリ:小説

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