変な時間に起きたせいか、昼にまた眠りこんでしまい、目が覚めたのは午後九時だった。……寝過ごさなくてよかった。これで寝過ごさなくてってのも変だけど。あたしは、携帯を取り上げると、登録してあった先輩の携帯の番号を選んだ。コール数回。先輩が出る。
「もしもし、ハクちゃん?」
「先輩、お久しぶりです」
久しぶりに聞く先輩の声は、当時とそんなに変わっていなかった。
「本当に久しぶり。ハクちゃんは元気にしてた?」
うっ……。長い間会っていなかった知人に対する、すごく当たり前の問いかけなんだけれど、それを訊かれると返事に困る。だって今のあたしは、引きこもり。
「えーっと……あはは、どうでしょうねえ……」
あたしは返事に困って、そんな答えを返してしまった。電話口の向こうで、先輩がふきだしている気配がする。
「その声だと、怪我とか病気とかじゃなさそうね」
確かにそれはない。引きこもってるってだけで、健康上は問題ないのだ。身体なまったかもしれないけど。
「健康には全く問題ありませんよ」
「ならいいんだけど……こっちは最悪の心配までしたのよ。事件にでも巻き込まれて被害者になったとか、失踪して連絡がつかないとか」
あれ……? なんで、先輩はあたしに対してそんな心配を突然したんだろう?
「先輩、いきなりどうしたんですか」
「あ~、そのことなんだけどね。昨日我が家に、意外なお客さんが来て」
お客さん? 高校の時の同級生とかだろうか。でも、それは別に「意外」ってほどでもないしなあ。そう思ったけれど、念のため訊いてみる。
「バドミントン部の後輩でも遊びに来たんですか?」
「ハクちゃん、それは意外じゃないでしょ」
きっぱりそう言われてしまった。でも、じゃあ、誰が来たって言うんだろう。
「誰です?」
そう言うと、先輩は電話口でしばし考え込んだ。
「……あ~、やっぱり、聞いてないのね」
「はい?」
聞いてないって、何を?
「先輩、はっきり言ってください。あたし、そんなに頭良くないんですから」
そう言うと、先輩は電話口でため息をついた。
「そう自分を卑下するもんじゃないって、何度も言わなかったっけ?」
……先輩、本当に変わってないなあ。
「……そうでした。で、見当もつかないんですけど、一体誰なんですか?」
「ハクちゃんの妹さん」
あたしは、言われた意味が一瞬わからなかった。あたしの妹……? ええ? リンが先輩の家に遊びに来たってこと? なんでリンが!? 先輩のことは知らないはずなのに!
……あ、正確に言えば、一度だけあたしの試合――あたしは控えだったけれど――を見にきて、先輩と顔をあわせたことはあった。といっても一瞬だけで、ろくに話もしていない。リンが先輩のことなんて、憶えているはずないのだ。
「妹って……リンがですか? 何だってまた先輩の家に?」
「そう、リンちゃん。いやそれが、世の中ってのは不思議なものでね。うちの弟、今は榛崎高に通ってるの。でもって、リンちゃんと同じクラスだったのよ」
そう言えば、先輩にはリンと同い年の弟さんがいるんだった。度々話題に出ていたっけ。
「それで仲良くなって、昨日リンちゃんがうちに遊びに来たってわけ」
「そんなことが……」
いつの間にそんなことになっていたんだろう。少なくとも、リンから先輩の弟さんの話を聞いたことはない。それを言ったら、リンから学校の話なんて聞いたことすらないんだけど……。リンなりに、あたしに気をつかってるんだろう。
「で、『巡音リンです』って、名乗ったからついついこっちも『昔の知り合いに巡音ハクって子がいたんだけれど、親戚?』って訊いちゃったの。そうしたら姉ですって答えるから、もう本当にびっくりしちゃったわ」
それは確かにびっくりするだろうなあ。あたしもびっくりだし。
「それで最初の話に戻るけれど、その時リンちゃんに『ハクちゃんは元気?』って訊いたら、リンちゃん、くらーい顔で黙っちゃったのよ。どうも訊いてはいけない空気を感じたから、後は弟に任せて私は引き上げたんだけど。ハクちゃんに何かあったのかなって、心配になって、とりあえず連絡を取ってみようと思い立ったわけ」
うーむ、そんなことになっていたのか……。確かに「引きこもってます」とは言えないわよね……。
「で、ハクちゃん。今、どうしてるの?」
参ったなあ……さすがに「引きこもりやってます」とは答えにくい。
「あはは……まあ、どうしてるんでしょうねえ……」
苦し紛れに笑いながらそう答える。だって、他にどうしようがある? 電話の向こうで、先輩がため息をついた。
「つまり、いい状況ではないのね?」
「ええ、まあ……」
「ハクちゃん、何がどうなってるのか、説明してもらえる?」
うっ……ずばっと訊いてきたなあ。でも、先輩とはいえ、さすがにあたしの今の状況を話すのはちょっと……ね。それに、電話でこんな話をするのは、正直しんどい。
「すいません先輩、勘弁してもらえませんかそれだけは」
あたしがそう言うと、先輩は電話口でまたため息をついた。
「私としては、できれば知っておきたいんだけど。なんだかややこしいことになりかけてるし」
「ややこしいことって?」
「それがね……弟がリンちゃんに興味示してるのよ」
「え……いつの間にそんなことに」
繰り返しになるけれど、リンは何も話さないので、あたしはリンの学校生活のことは全く知らなかった。
「本人は否定してるけどね……でも自覚するのも時間の問題でしょうね、あれは」
「そうですか……先輩はどう思うんです、リンのこと」
「リンちゃん? ……難しい子みたいね。あの子、相当我慢してるでしょ?」
先輩にはわかったようだ。リンは確かに色々と我慢している。というか、させられている。正直、このまま放っておくと、姉さんみたいになるんじゃないかと懸念していたところだった。
……出来損ないのあたしが、リンの心配か。お父さんが聞いたら「お前は何様のつもりだ!」って、言うんだろうな。そもそもお父さんは、リンのことも姉さんみたいにしたいんだろうし。
「よくわかりますね」
「ハクちゃんを見ていたからね。まあ、で、これがまずい状況であることは、ハクちゃんもわかるでしょ?」
そりゃあ……。我が家は異性との交際は一切禁止だ。破ったらどうなるか、あたしはよく知っている。
「確かにまずいですね……リン、多分、両親には何も言ってないでしょうし」
先輩の弟さんならちゃんとした子だろうけれど、お父さんの基準には満たないだろう。どうせ「名家の息子じゃなけりゃ」とか、言い出されるのがオチだ。
このまま行けば、リンはお父さんに言われるまま有名大学に進学して、二十歳になった頃にはそれこそどこかの名家の「ご子息」とやらとお見合いをさせられて、大学を卒業したらきっとそのまま結婚させられてしまうだろう。リンにはまだ、あたしみたいなキズはついてないし。お父さんのことだ、もう結婚相手の物色ぐらい始めているかもしれない。
小さい時から期待外れだったあたしとは違い、リンはそれなりにお父さんの期待に応えてきた。そんなリンが期待を裏切ったら、お父さんはそれこそ激怒するだろう。下手をすると、リンは家から放り出されるかもしれない。
「想像つくでしょうけど、うちは基本的に異性との交際は禁止なんです。先輩、弟さんにリンのことは諦めるよう言ってもらえませんか」
本音を言えば、リンに恋愛の一つぐらいさせてやりたい。でも、状況を考えると、手放しで応援するわけにはいかない。
「……無理。人に言われて諦めるようなタイプじゃないわ」
「でも先輩、間違いなくリンも弟さんもひどい目にあいますよ」
「そりゃ私だって、火の中に手を突っ込もうとしている弟を黙って見ていたくなんかないわよ。でも、さっきも言ったけど、止めて止まるタイプじゃなくってね。こうなったら、こっちも腹をくくるしかないわ。……最終的には、なるようにしかならないんだろうし。で、私としては、ハクちゃんの抱えてる事情についても知っておきたいわけ。姉妹なんだし、どこかで繋がっているだろうから。それに……ハクちゃんのことも心配だしね」
はあ……やっぱり、話さないと駄目なんだろうか。でもなあ……。
「先輩……状況はわかりましたし、先輩が弟さんを心配する気持ちもわかるんですけど、今のあたしの状況に関して、電話で話すのはちょっと……」
「じゃ、会いましょ」
先輩はあっさりとそう言った。えーと……。
「先輩、会うって……」
「直接の方が話しやすいんでしょ? だったら会いましょうよ。といっても私はお勤めしてるから、平日だと仕事が終わってからになるけど」
引きこもりのあたしに、外に出ろと……? いや、先輩はあたしが引きこもってることは知らないんだけど。けど、外に出るなんて、絶対無理だ。もう三年近く、家の外に出てないのに。
でも……あたしはこのままでいいんだろうか。こんな風に、自分の部屋に引きこもったままで、ただ何をするでもなく、ぼーっと時間を過ごして年を重ねる。そんな生活を一生続けるわけにはいかないだろうし……。
「あの……先輩……」
「何?」
「すぐにはちょっと無理なんですけど……えーっと、次の次の日曜でどうでしょうか?」
二週間もあれば、あたしも多少の心の準備ができるはずだ。逃げたくないから、日にちはちゃんと決めておきたい。
「いいわよ。時間はいつにする?」
「そうですねえ……」
家を出るところは、誰にも見られたくないしなあ。なんか言われたら、イヤだし。
「午前中がいいんですけど」
早朝に家を出て、どこかで適当に時間潰して、暗くなってから戻ることにするか。ハードだけどやるしかない。
「じゃ、午前十時に。場所は……」
先輩は具体的な話を決めると、電話を切った。あたしはベッドに寝転がって、大きく息を吐いた。
「三年か……」
あたしがひきこもってから、三年近くになる。その間、全く外には出ていない。外っていうか、家の外ね。さすがに部屋の中だけじゃ生活できないし。
生活必需品に関してはどうしてるのかって? 必要なものがあった時は、部屋のドアにメモを貼っておく。捨ててほしいものとかは、メモをつけて部屋の外に出しておく。そんな感じだ。
これがまともとは言いがたい状態であることぐらい、あたしだってわかっている。でも、あたしはどうしても、外に出る気にはなれなかった。
ひきこもりを始めた当初は、お父さんが部屋の外で怒鳴ったりしていたけれど、あたしが頑として外に出ようとしないので、割と早く諦めた。まあ、あたしはいらない子だからね。見えないところで大人しくしてくれれば、文句はないんだろう。
意外としつこかった……というか、しつこいのが、カエさん。廊下でばったり会ったりすると、いつも話しかけてくる。こっちは話なんかないから無視するんだけど。カエさんと話しても、仕方ないしね。
姉さんはまあ、わかるだろうけど、あたしのことは完全無視している。もはやあたしが妹だということすら、忘れかけてるんじゃないかと思いたくなるぐらいだ。もしかしたら、お父さんもそうしたいのかも。リンはたまにあたしの部屋に来て、世間話みたいなことをして帰って行く。多分、リンなりの気遣い。あたしとしても、ずっと部屋にこもっていると喋り方を忘れそうなので、リンと話せるのは有難い。
まあそんなわけで、あたしは三年近くをこの部屋で、本を読むか、前述のように携帯でネットをやって過ごした。漫画やゲームは禁止の家だけど、本――もっとも文学か実用書に限られる。ライトノベルのようなものは禁止――は制限がなかったので、あたしの部屋にもリンの部屋にも本だけはたくさんあるのだ。
でもだんだんそれにも飽きてきた。やっぱり、これではまずいような気もする。とはいえ、お父さんやカエさんや姉さんと話をしたいとは思えない。
メイコ先輩になら、なんだかまだ話せそうな気がする。多分怒られるだろうけど、メイコ先輩にだったら、怒られてもいい。……なんでかな。
ロミオとシンデレラ 外伝その九【突然の連絡】後編
つくづく人間関係が不毛にできているな、この家……。
以前も書いたことですが、基本一人称で構成されている話なので、認識の外を書けないってのがたまにしんどくなる時があります。
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