甘い香りが漂っていた。
レンはテーブルの上にドンと置かれた大きな円いパウンドケーキをじっと眺めてから、次にそれを置いた人物を見上げた。
「…どうしたの、メイコ姉」
「バナナケーキ焼いたの。レン好きでしょ」
「…うん」
「たくさん食べてね」
時刻は午後3時半。世間でいうおやつタイム。ここにリンがいればぴゃあああと歓喜の悲鳴を上げワンホールごと齧りついていただろうが、あいにく今日家にいるのは彼ら『姉』と『弟』の二人だけだった。
家族が揃って家にいる時は時折このようなサプライズスイーツが用意されるのだが、今日はみんな夜まで帰ってこない。だというのにこの人は、なぜ直径15センチはあろうかというワンホールケーキを焼いてしまったのだろう。しっかり者の姉にしては、無駄な浪費でありいささか不可解な行動だった。
「私お紅茶淹れるけど、レンはコーヒーでいい?お砂糖なしミルク少な目よね?」
「自分でやるよ」
「いいのよレンはそれ食べてて」
「いや食べててって」
言われても、と言う間に姉はキッチンの奥に入ってしまい、レンは若干冷めた目つきで小さく息を吐き出した。
小皿もナイフもないのにどうしろというのか。まさかこれに直接フォークぶっ刺して喰えとでもいうのか恐ろしい。
「…なんだろうね」
レンは一人、呟く。
ケーキに手を着けずにしばらく待っていると、トレイを持ったメイコがにこにことしたまま戻ってきた。そして丸いままのそれに気づき、眉を顰める。
「あら、食べないの?」
「ワンカットでいいんだけど」
「それ全部レンのだからそのままガブッといっちゃって?」
「いや、こんなに喰えないし」
当たり前のようにホール喰いを勧めてくる姉になるべく穏やかに抵抗を示すと、メイコはそう、と残念そうに肩を落とし、キッチンからナイフや小皿を持って帰ってきた。ソファに座るレンの隣に腰掛け、紅茶とコーヒーをテーブルに小綺麗に配置する。ケーキにナイフを当ててこれくらい?と示されその半分くらい、と頼むと、しっとりとしたバナナのパウンドケーキの一切れが、ホイップクリームと共に皿に盛られレンの前に置かれた。
…置かれ、
「……」
「……」
沈黙。
レンは敢えてそのままメイコの顔をじっと見つめる。顔面に張り付いたようなメイコの笑みが、えっと、と少しばかり動揺した。
「ど、どうしたの?」
「メイコ姉こそどうしたの」
「えっ?」
「俺に、なんか話?」
レンがごく落ち着いてそう尋ねると、メイコはもう一度えっ、と声を漏らし、硬直した。
…嘘が下手なのだ。我が家の長女は。隠し事があれば何もかも顔と行動と声にだだ漏れる。本人にそう言うとそんなことないと必死に否定して機嫌を損ねるので、敢えて口にしないが。
その代わりダイレクトに用件は?と突っ込んでやるのは、レンの優しさだ。
「え、え、…なんで?」
「なに、俺でいいなら話聞くよ。別に誰にも言わないし」
「えっ、…えっと」
「ケーキありがと。メイコ姉も食べなよ」
あわあわ、と慌てはじめるメイコに気づかないフリをして、自分の分よりかなり厚めに切った一切れをメイコに差し出す。
目の前に置かれたそれを困ったようにじっと見つめるだけの姉に、紅茶も冷めるよと促せば、あう、と唸ってからあきらめたように視線を上げた。
身長はメイコの方が高いはずなのに、完全に上目遣いのそれにレンは脱力した。
本当に、わかりやすい人だ。
「―――兄貴のこと?」
*
焼きあがったばかりのバナナパウンドケーキはとてもおいしかった。練り込まれたバナナが口の中でとろけ、しっとりした重みのある生地の上品な甘みとホイップクリームが絶妙なバランスだった。
これを独り占めできるのはかなり役得だ。リンが帰ってきたら間違いなく泣きながら殴られるけど、俺もリンと食べたかったよと言えば多分ご機嫌は直る。
紅茶のカップを両手で持ったまま、メイコはかなり長い間黙っていた。
レンはチラリと時計を見上げる。うん、大丈夫。当分は、2人きり。
「……。……ねぇレン」
「なに?」
「レンは、リンのこと好きよね?」
また無意識の、それもすごく不安げな、上目遣い。
「うん」
「他のどの女の子より、一番好きで一番大切よね?」
「うん」
レンにとってのリンは『絶対』だ。最初からそうだったしこれからも変わることはない。
「でも、それでも、さ」
「うん」
「…他の女の子をかわいいと思ったりする?」
「……」
レンは軽く目を見張った。少しだけ思案する。あぁ、えぇと、…なるほど。
話のあらすじは大体読めた。
「するよ」
正直に口にした。メイコを驚かせないように、大したことじゃないよという体で。
「今の仕草可愛いなとか今のセリフ可愛いなとか可愛らしい人だなとか、そりゃそれくらいの感想は抱くよ」
「う、うん。そっか、そうよね」
「メイコ姉だって思うでしょ。あの人格好いいなとか素敵だなとか」
「…ん」
「それがどうかしたの」
なんにも気づかないフリして話をもう一度振ってやると、メイコは今度こそもじもじと身を小さくして、俯いてしまった。
カップを包むメイコの指にぎゅっと力が籠められるのを、レンはそっと盗み見る。
「…あの、さ。でもね、それって別に、別に好きってわけじゃないわよね?」
「うん」
「言ってる意味わかる?」
「うん。可愛いって感想抱いてもその人を恋愛対象として見るわけじゃないよ」
「えっと」
口ごもるメイコの頬が、ふいに赤みを帯びた。
「…ごめんね、おねえちゃん変なこと聞くけど許してね」
「うん」
「……レンは、リンと、その、…抱き合ったり、キスしたりするでしょう…?」
口の中のものを全部吹き出しそうになったのを、レンは咄嗟に腹に力を入れてぐっと堪えた。
待て待て。話の先が読めなくなってきた。でもこの姉の様子から見るに核心に迫ってるということでいいのか?なら答えてあげないと話が進まないだろう…。なんとか平静を保ちつつあくまでメイコに話をさせやすいようにしてやらねばと考えるレンは、本当によく出来た弟だった。
「……。……まぁ」
「ね、本当に変なこと聞くけど怒らないでね。今日だけだから。ね?」
メイコの必死な様子に、まだ何か爆弾を落とす気かとレンは若干警戒しつつ頷く。
「……レンは、男の子だから、その、―――それ以上のことだって、したいわよね…?」
レンが今度こそ口に入れたばかりのケーキの固まりを吹き出した。
さすがにそれはアウト。
あの俺14歳の思春期男子ですがと自己申告してしまうくらいには、アウトだった。
何を聞いてくるんだこの人は。本当になんなんだ。そう聞かれてどう答えろって言うんだどう答えてほしいんだ、いやそりゃ肯定してほしいんだろうけど、そう簡単にハイそうですねって言えるかっていう。
「…ねーちゃん、どうしたの」
顔が赤いのは噎せたからだと言うことにして、咳込みながらボソリと尋ねる。メイコもハッと上げた顔を真っ赤にして、どもりながらごめんねと謝った。
「あの、ち、違うのよ、別にそのことをどうこう言いたいんじゃなくてね、レンごごごめんね」
謝りながら汚れた口周りをティッシュで拭われて、いやいいからと肘で押し返す。
「私が聞きたいのは、その、そういうのを、他の女の子にも思うのかなぁってことで」
「…思わないよ」
「き、気持ちの上ではもちろんそうよね、わかってるの。でもね、ほら、意志とは関係なくって言うのかな、男の人ってそういうの、あるんで、しょ…」
最後まで言えずにメイコは耳まで赤くして、自己嫌悪と共にテーブルに突っ伏した。
レンもつられて、口端を引き攣らせたまま、漂うコーヒーの湯気を黙って眺めていた。
…なんだこの状況。
【レンメイ】 兄の恋人 【カイメイ】
※前のバージョンで進みます。全3Pです。
■もっとレンメイください連盟に加盟したので書くしかなかった。
■とはいうものの所詮は私の書く愚話。ヤツなしで話が進むはずもありませんでした。あの、むしろ安定していつも通りカイメイです、カイメイですよ…えぇ…
■というわけで注意事項:レンリン・カイメイ、大前提です。だけどもまごうことなきレンメイ!
青兄より黄弟の方が男前なのはすでに満場一致の事実だと思いますが…レンくんまともなイケメン過ぎてものすごく書きづらかったですまる!イケレン・マセレン書けて大変だったけどすごく楽しかったですまる!ああんバナナの皮で優しく抱いて!
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