悪食娘コンチータ 第三章 暴食の末路(パート6)
途中でちょっとしたトラブルに巻き込まれながらも、オルスらの三人がコンチータ領へと到達したのはそれからきっかり三日後、十月二十日の昼過ぎのことであった。
それにしても、寂れた街だ。
オルスは街を歩きながら、思わずそのような感想を心の内に抱いた。無論、王都に比べればどこも寂しさが漂うものではあるが、街道の中心部にあるフィリップと比べても随分と寂れた印象が残る。主流街道から外れている上に、たいした産業も存在しない街。当然ながら人はこの街から流れてゆき、残るのは僅かな土地を耕作する農民と、居場所を失って放浪する浮浪者ばかりになる。
「随分と寂しい街ですね。もっと、大きな街だと思っていました。」
人通りの少ない街中を歩きながら、フレアは不安を見せるような口調でそう言った。
「もとより人口数千人の、小さな街だよ。」
グリスが周囲を見渡しながら、そう答える。
「四輪作付けを生んだ街だというから、もっと栄えているものだと思っておりましたわ。」
「それも苦肉の策の一つだったのさ。自然豊かといわれるのは即ち深い森林が多すぎて開拓の余地が限られているということ。その中で少しでも効率のよい耕作を求めて生まれたものが四輪作付けなのさ。」
「勉強になりますわ。」
グリスの解説に対して、フレアは深く頷きながらそう答えた。
「とにかく、まずはバニカ夫人にご挨拶に行こうか。」
続けて、グリスはオルスとフレアに向かってそう言った。コンチータの館はここから更に奥に入った、小高い丘の上にあるらしい。その話を通りすがりの住民から聞き込んだグリスは自ら先導して歩き出した。見ると、いつの間に用意したものか、グリスの腰にはレイピアが装備されている。
「グリス、その剣は?」
「一応、な。」
オルスの問いに対して、グリスは短くそう答えた。その言葉にオルスは軽く首を傾げる。旅も殆ど終わりに近い。今更、武装する必要など微塵もないだろうに。
コンチータの館は街中から外れて一キロ程度離れた、人気の無い場所にぽつんと建立されていた。最低限の修繕しか行われていないのだろう、何処から見ても貴族が暮らしているような華美さは欠片も無く、寧ろどこか不気味な雰囲気すら醸し出していた。
「もう、従者は何をしているのかしら。」
錆び付いた鉄扉を開いて前庭に立ったフレアは、そこで憮然とするようにそう言った。成程、雑草が伸び放題であるばかりか、壁の塗装はそこかしこはがれているし、窓は拭いたような跡すら見えない。そもそも、客人が到来しているにも関わらず、迎えの人間一人も出てこないと言うのはどういう意味だろうか。
「執事かメイドはいないのかな。」
グリスもまた、不審そうな口調でそう言った。それもそうだが、仮にも貴族の屋敷に警備らしきものが皆無であるというのはどういうことだろうか、とオルスは武人ながらにそう考えた。
「待っていても誰も来ないみたいね。」
暫くそのまま立ち止まって、フレアは呆れるようにそう言った。そのまま、大股に玄関へと向けて歩き出す。それにしても、この館は不気味すぎる。なんにしろ、人の気配がまるでしない。
「バニカ夫人に何かあったのでは?」
フレアの後ろに続いて歩きながら、オルスはグリスに向かってそう訊ねた。
「・・ああ。」
グリスはしかし、意味ありげな間をおいてオルスにそう答えた。そうしている間に、フレアが大きくドアをノックし始めている。
「お姉様、いらっしゃいますか?私です、フレアです!」
その声に僅かな焦りの色が見えるのは、フレアも万が一のことを恐れているからだろう。だが、その心配は杞憂に終わったようだった。直後に人が動く気配が聞こえ、そしてゆったりと玄関が開かれた。迎えの執事が出てくるのだろう、と考えた三人はしかし、そこで僅かな驚愕に息を飲んだ。
玄関まで迎えに来たのは、何を隠そうバニカ夫人その人であったのだから。
「ああ、フレア、本当に遠くまで、良く来てくれたわね。」
三人の姿を確認したバニカ夫人は、嬉しそうに満面の笑顔を浮かべてそう言った。はて、最後に面談した時よりも随分と明るい表情をするようになったなとオルスは考える。
「お姉さまも、お元気そうで安心しましたわ。」
フレアも安堵した様子でそう答える。何かの事件に巻き込まれているのでは、という懸念が瞬間過ぎったものの、それはどうやら思い凄しに過ぎなかったらしい。
「オルスも、久しぶりね。」
「ご無沙汰しておりました。突然にお邪魔し、誠に申し訳ございません。」
「ところで、貴方は?」
続けて、バニカ夫人は視線をグリスに移して、不思議そうな口調でそう言った。
「グリス=アキテーヌと申します。オルスの幼馴染であり、またフレア嬢の担任教師を勤めさせていただいております。」
「それはそれは。いつもフレアがお世話になっておりますわ。」
「いいえ。フレア嬢は誠に聡明な女性、こちらとしても日々勉強させて頂いております。」
その言葉にバニカは嬉しそうに瞳を細めた。そのまま、言葉を続ける。
「さあさあ、立ち話もなんです、中へどうぞ。」
バニカはそのまま、身を翻して自ら先導して三名を屋敷の中へと導きいれた。擦れるような伸びる音を響かせ、扉が強い衝撃音と共に閉められる。その瞬間、オルスはなんともいえない寒気を覚えて、軽く背後を振り返った。もう二度とこの屋敷から脱出することが出来ない。何故だろう、そんなことを脳裏に一瞬考えて、オルスは強く首を横に振った。
日中にも関わらず、屋敷はどこか薄暗く、そして老朽のためか、妙な軋み音を良く響かせていた。その間、バニカ以外の人は一人として見えない。やがて廊下を越えて、小振りな、どうやら食堂らしいホールに案内された三人は、バニカ夫人が勧めるままに思い思いの席に腰を降ろした。 「お姉様、召使はお雇いになられていませんの?」
腰を降ろすと、フレアが一言目にそう訊ねた。フレアのみならず、この場にいる全員の疑問を代弁したとも言えるだろう。その問いに対してしかし、バニカ夫人は力なく首を横に振ると、寂しそうな口調で答えた。
「皆お暇をしてしまったの。代わりの召使をどうしようかと考えていたところよ。」
「それはいけませんわ、お姉様。」
表情をしかめながら、フレアが答える。
「お料理がお気に召さなかったのかしら?」
「いいえ、美味しかったわ、皆とても。」
グリスはその瞬間、バニカが小さく舌なめずりをしたことを見逃さなかった。美味しかった、とはどういう意味だろう?
「では、私がお茶と、それからお菓子を用意して参りますわ。少しお時間をいただけるかしら。」
「来てくれたばかりなのに、申し訳ないわ。」
「構いませんわ。もとよりそのつもりでしたし。オルス、手伝って。」
フレアは早速とばかりに立ち上がると、オルスに向かってそう言った。
「俺は料理なんてできないぞ。」
「薪を用意するとか、力仕事もあるの!力仕事はアンタの仕事でしょ。」
「なんだよそれ・・。」
渋々、と言う様子でオルスも立ち上がる。いや、まんざらでもなさそうだなオルス。これは完全に尻に敷かれるパターンだな、とグリスは食堂から退出してゆく二人の様子を見て、呆れながらにそう考えた。
「全く、若いものは元気があっていいですね。」
二人きりになると、グリスは場を繋ごうとばかりにそう訊ねた。何よりも偶然だがこれはチャンスだ。まさか着て早々二人きりになる機会があるなど、流石のグリスも考えていなかったのである。
「羨ましい限りですわ。」
「しかし、最近はどうにも世知辛い世の中になったものですね。」
「どういうことかしら。」
「何、一度使えた領主には死ぬまで仕えるというものが騎士道というもの。最近は廃れてしまった考えなのでしょうか。」
「そうとも思いませんわ。人それぞれというところでしょう。」
「ええ、確かに、ここは王都ではありませんからね。」
では、あの褐色の染みはなんだろうか。
グリスはそう答えながら、不意に視界に映った映像を注視するように視線を持ち上げた。その染みは、天井にべったりとこびりついているように見える。
「いかがされました、グリス殿?」
「いいえ、たいしたことではありません。しかし、バニカ様もこの様なところでは退屈でしょう。」
「住めば都と申しますわ。それに、この場所ならば世俗に惑わされることもありません。」
「それは非常に魅力的ですね。私も暫く俗世を離れてゆったりと過ごしてみたいものです。」
逆に言えば、何が起こっても世間に知られない、と言うことでもあるが。
一体、この人里離れた館で、バニカ夫人はどんな生活を行っていたのだろうか。
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