夜が明ける前に、レン君は帰り支度を始めた。それは仕方がない。明るくなったら、見つかりやすくなってしまうもの。でも……やっぱり淋しい。
 身支度をするレン君を眺めながら、わたしは必死で涙を堪えた。こんなところで泣いたりしたら駄目だ。そう思うものの、気持ちは治まってくれない。これから、長い間会えないんだ。
「リン、俺はもう行くよ」
 レン君はわたしの頬に静かに触れた。わたしはぎゅっと唇を噛み、頷いた。
「気をつけて……」
 レン君はわたしに、必ず迎えに来るからと何度も念押しして、帰って行った。レン君のいなくなってしまった部屋は、空っぽになってしまったような感じがする。わたしの心と同じように。
 わたしは深く息を吐いて、ベッドに横になった。右手をあげて、指輪を眺める。指輪は明かりを受けて輝いていた。レン君は、アイオライトっていう石だって言っていた。漢字では、菫青石と書くのだという。綺麗な名前。
 指輪をみつめるうちに、わたしはいつしか、眠りに落ちていた。


「リン、具合でも悪いの?」
 わたしは、お母さんの声で目を覚ました。はっとなって身体を起こす。直後ほどではないけれど、まだ身体が痛い。
「あ……えっと、その……」
 朝食を運んで来てくれたんだ。……普段ならわたし、お母さんが食事を持ってきてくれる前に自分で起きているのよね。でも昨夜はあんなことがあったから、寝坊してしまったらしい。
「あ……うん、ちょっと……」
 わたしは答えながら、右手をタオルケットの下に入れた。指輪を見られたくない。
「……大丈夫?」
 お母さんはわたしに近寄ってきて、額に手を当てた。
「熱とかはないみたいだけど……」
「病気じゃないの。ただちょっと……月のものが狂ったみたい」
 お母さんは少し驚いたようだった。それから心配そうな表情になる。
「辛いのなら今日は横になってなさい」
「う、うん……あ、お母さん。ちょっといい?」
 お母さんはどうしたのと言いたげな表情になった。わたしは一つ息を吸ってから、気になっていたことを訊いてみる。
「あの……お母さん、わたしね、わたしを生んだのが別の人だってことはわかってるけど……全然、実感が無いの。会ったこともないし、この家には写真もないし……」
 実際にはハク姉さんに、写真は見せてもらっている。でもお母さんは、そのことを知らないし、言わなくてもいいよね?
「だ、だから……あの……もしわたしを生んだ人が会いに来たとしても、わたし、その人のことをお母さんって呼びたくないの……わたしがお母さんって呼びたいのは、お母さんだけだから……」
 話しているうちに頭がごちゃごちゃしてきてしまって、わたしは、自分でも何を言っているのかわからなくなってしまった。
 お母さんは黙ってわたしの言うことを聞いていてくれたけど、やがて、ベッドに座って、わたしの頭をそっと撫でた。
「……リン。リンは憶えてないだろうけど、お母さんがこの家に来て一週間ぐらいでね、リン、お母さんのこと『ママ』って呼ぶようになったの」
 お母さんは、そんな話を始めた。
「お母さんすごくびっくりしたけど、同時に嬉しかったの。リンがお母さんのこと、認めてくれたみたいで」
 わたしは二つだったから、生んだ方のお母さんの記憶が、きっとそんなになかったのよね。実際、何も憶えてないし。
「ショウコさんが戻って来たとしても、リンは渡せないって思った。……こんなことを思うのはいけないんだろうけど」
 最後の言葉は、申し訳なさそうな響きを帯びていた。わたしは首を横に振って、お母さんに抱きついた。


 その次の日、わたしは閉じ込められていた部屋の外に出された。……要するに、レン君が学校からいなくなったということ。
 レン君と話して、納得はしたはずだった。でもその事実をこうやって認識すると、わたしの胸は苦しくなった。お父さんがしたり顔で何か言っていたけど、何を言われたのかなんて、ほとんど憶えていない。憶えているのは「わかったか?」と言われて、ぼんやりと頷いたことだけ。
 自分の部屋に戻ったわたしは、クローゼットの隠し場所を調べた。ミミも、隠しておいたCDも、全部ちゃんとそこにあった。……あ、CDの中に借りっぱなしのものがある。レン君に返せる日、一体いつになるんだろう。
 ミミの頭を撫でて、ぎゅっと抱きしめてから、元の場所に戻しておく。それからわたしは、ジュエリーボックスを取り出した。
 右手を見る。レン君がくれた指輪がはまっている。常に身に着けておきたいけど、そんなことをしたら目立ってしまうし、学校に指輪は着けていけない。
 わたしはジュエリーボックスの中から、長めのチェーンのペンダントを一つ取り出した。もともとのトップを外して箱に戻し、チェーンにもらった指輪を通す。そうしてから、それを首にかけた。
 こうしておけば、いつでも身に着けておけるし、服の中にしまってしまえば目立たない。服の上から、指輪のある場所をそっと押さえる。ちょっとだけ、心が温かくなったような気がした。
 ジュエリーボックスをしまおうとしていると、ドアを叩く音がした。
「誰?」
「リン、あたし」
 ハク姉さんだった。わたしは部屋のドアを開けて、ハク姉さんを中に入れた。
「……ハク姉さん、レン君が、行っちゃった」
「知ってる。メイコ先輩から全部聞いた」
 そうよね……わたしが閉じ込められている間、橋渡しをしてくれたのは、レン君のお姉さんとハク姉さんだもの。
「弟さん、あんたに会いに来たんでしょ?」
「うん……これ、くれたの」
 わたしは指輪を一度取り出して、ハク姉さんに見せた。ハク姉さんが静かに笑う。
「良かったわね」
 わたしは、黙って頷くことしかできなかった。何か言ったら、泣いてしまいそうだったから。
「先輩がね、これをあんたに渡しておきなさいって」
 ハク姉さんは、一通の封筒をわたしに渡してくれた。開ける。中から、折り畳まれた便箋と薬が出てきた。便箋を開く。くっきりした文字が、目に入った。
「リンちゃんへ。
 こんなことになって辛いだろうけど、気を強くもってね。東京とニューヨークは遠く離れているし、レンは一人立ちできるようになるまで、戻ってこないつもりでいます。戻ったらリンちゃんの顔が見たくてたまらなくなるだろうからって。自分を追い込むためにも、その方がいいと言っていました。
 何か困ったことや辛いこと相談したいことがあるのなら、私を頼ってくれていいから。レンとも約束したの。リンちゃんの力になるって。遠慮なんてしなくていいのよ。
 一緒に入っているお薬は、アフターピルというものです。もしレンと一線を越えたのなら、念のためにこれを飲んでおきなさい。レンには避妊するようにきつく言ってあるけれど、失敗してしまっているかもしれないから。なお、このお薬はとても強い副作用(吐き気など)があるので、気をつけてね。吐いちゃったら薬を飲んだ意味がないから。 メイコより」
 わたしは少し複雑な気持ちになったけれど、レン君のお姉さんからの心遣いは受け取ることにした。

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
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ロミオとシンデレラ 第七十話【朝を告げるヒバリ】

 めーちゃんが渡している薬についてなんですが……まあ、平たく言いますと、「やった後に飲む避妊薬」です。
 ちなみに当たり前ですがものすごく身体に悪いですよ。身体に無理をさせてしまうわけですから。値段も高いですし、婦人科でないと処方してもらえません。めーちゃんは多分、嘘を言って処方してもらったのでしょう。気軽に使える薬ではないことは、知っておいてください。

 この手の描写を入れるかどうかは結構悩んだんですが、「考えなし」に見られることの方が嫌という結論に達し、入れることにしました。

閲覧数:842

投稿日:2012/05/08 22:08:38

文字数:2,932文字

カテゴリ:小説

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