流 星 -心象描写 Pane dhiria-
天を貫くようにそびえる岩山。頂へと続く螺旋の道。
長い旅路の末、男は山頂にたどり着いた。
元は端正であっただろうと思われる、頬が落ちた顔に、蒼髪を乱れさせた男が持つのは、竪琴一つ。
他に武器もなく、支える者もいない。
それでも男の、至極の青の瞳は、しっかりとその場を見据えていた
「無」が支配する静寂の場。
下界の荒れようが、全くの別世界のようだった。
揺らぎ割ける大地、止まぬ雨、荒れ狂う風、鳴り響く雷鳴、凍り付いた夏。
それが竪琴を手に男が渡ってきた、人が住む今の世界。
荒れた地の事が嘘のように、山の頂は風一つ無く静かだった。
ここまで男を導いてくれた天空の星が照らす頂は、草木樹木もなく、鳥や虫の声も聞こえぬ、静寂だけが支配する場。
だが男は知っていた。そこが神の国への扉が存在する場だと。
しばらく闇を睨み付けていた男は、何もない虚空に右手を伸ばした。
現れた細く輝く一条の光。
光より現れる、細い指、小さな手。
男の目から、険しさが消えた。
「あ……」
手の持ち主が姿を現した瞬間、男は口元を歪ませた。
目映い光の中に浮かぶ、少女の華奢な姿。
男の目の青が深くなり、本来持っていたであろう優しく温かな光が戻る。
少女は微笑みながら男の手を取ると、光の中に導き入れた。
目もくらむほどの光。
天上から降り注ぐ、妙なる調べ。
微かに薫る、どこか懐かしい花の香。
圧倒される一瞬。
その間に少女の姿は消えていた。
我に返った男は、天上世界を、更にその上にある存在を睨み付けた。
強く睨み付ければつけるほど、男の瞳の青は冷たく薄くなる。
それに会わせるように、天上世界から光が消えた。調べが途絶えた。香が霧散した。
男の瞳が、一際薄くなる。
瞬間、足下に強すぎる光。追って耳を劈く音。
次は男の右手側。更に左手側。そして背後。
雷光と雷音。
威嚇するように、男の周囲に続けざまに落ちた。
それでも男は身動き一つしない。
竪琴を抱えたまま、暗い天を睨み付けていた。
目の前の暗黒の空。背後にある星の夜。
男の立つ位置は、丁度その境。
それが意味するところを男は悟り、竪琴に手を掛けた。
細い指が弦をかき鳴らし、硬質のテノールが闇を貫き、暗黒の空に駆け上る。
歌う歌は、命を捨てようとした夜、その身に宿った歌。
荒れた大地の贄となり命を落とした、愛しい者達の墓標の前。
後を追うつもりで、夜の冷気と吹き荒れる嵐の中に身を置いた。
なのに朝になっても、己は生きていた。
代わりに意味は分からぬが気高い響きを持つ詞(ことば)と、至高のメロディーが、男の身に宿っていた。
同時に己に与えられた使命を、男は悟った。
そして今、ここにいる。
切り裂く様な雷が、男の身を掠めるよう落ち続ける。
風が強くなり、叩きつけるような雨が降り出した。
それでも男は弦を弾き、歌い続ける。
挑むように、闘うように、歌われる歌。
男の想いが歌となり、歌が男自身となり、天に挑む。
弦が一本切れた。
切れた弦が、男の頬を切る。
それでも男は歌を止めない。
いや最早、男の存在自体が歌だった。
風雨が激しさを増す。
また弦が切れた。
男の白い右手に、赤い筋が浮かぶ。
更にまた一本。
今度は竪琴を支える手を傷つけた。
落雷が男の右腕を掠める。
もう少しで竪琴を取り落とし、歌を止めそうになったが、なんとか踏みとどまり、歌い続ける。
弄ばれている。
殺そうとすれば、天は簡単に男を殺せる。なのにいたぶるように傷つけ続けるだけ。
天の戯れを悟ったが、止めるわけにはいかない。
自分はもう、歌うだけの存在なのだ。歌わなければ、生きている意味さえない。
弦は切れ続け、最後の一本を残すのみ。
それでも男は弦を弾き、己の全てを掛けて歌う。
その姿は狂気にも似て……。
見据える暗黒の空が、一際強く光った。
終わる……。
あの光は確実に自分を貫く。
たった一人の人の身で、歌一つで、天に挑んだ愚かな男を切り裂くだろう。
それでもいいと男は思った。
目を閉じた。心が静まる。それでも歌は止めない。
神から見れば、自分は塵芥の如き存在だろう。
けれどこの時、この場で、自分は神に、己の全てをぶつけた。
怒りも、悲しみも、恐れも、命さえもぶつけた。
その結果、この場で消えるなら、それもいい。
最後の弦が切れた。
なのにもう、恐ろしくはなかった。
目を開けた。
飛び込んでくる雷。そしてもう一つの光。
いや、一つではない。
男の背後から降る、数多の光。
流星?
一番大きな星の光が、雷にぶつかり、雷光を打ち消した。
周囲が白い光で覆われ、爆音が響き渡る。
小さな光が男の手元の、竪琴に集まる。
男は目を見開いた。
竪琴に新に張られた星の弦。
何かに押されるように、男は再び竪琴を弾き始めた。
鳴り響く深く澄んだ音は、男の声を更に高みに押し上げようとする。
強く美しく、それなのにどこか悲しく響く音色。
今覚った。
自分に歌を与えたのが何者かを。自分が一人きりで、神に挑んでいるのではないことを。
あの死を望んだ夜。見えずとも、雨を降らせる黒雲の向こうに、無数に瞬く星々が瞬いていたことを。
瞬く星の向こうに、逝ってしまった愛する人達、生きて苦しむ人々の、祈りがあることを。
祈りが星を動かし、星が男に歌を与え、その歌で怒れる神に己が立ち向かっていることを。
死ねない。死にたくない。
竪琴の調べにのせ、男は歌い続けた。
強くなる生への欲求。なのに己は次第になくなっていく。
自分の全てが歌になる。
そして捧ぐ。
歌を与えた星々に。その向こうの人々の祈りに。
怒れる哀れな神に……。
男を撃つための天の雷(いかづち)が止んだ。
風は静まり、雨は荒れ狂う暴風雨ではなく、静かな優しい雨となっていった。
やがて星の流れも終わり、絹糸のような雨だけが降り続いていた。
瞼の裏に感じる強い光。
世界が黒雲に閉ざされてから、久しぶりに男が感じた物だった。
ゆっくりと目を開ける。
空はどこまでも青く、光に満ちていた。
恐る恐る身を起こし、辺りを見る。
周りは昨日の星明かりの下に見た、岩山のまま。
手元には、弦の切れた竪琴が落ちていた。
竪琴を拾うと、立ち上がり、麓を見渡せる場所まで、男は歩いた。
温かな光は下界にもさし、荒れ果てた大地を明るく照らしていた。
いつかこの大地に緑が戻り、再び豊かで美しい世界に戻る。男にはそう確信できた。
手の中の竪琴に目を落とす。
この竪琴に弦を張り直し、旅を始めよう。
あの暗黒の世界を、神の怒りを、語り継ぐための旅を。
そしていつか誰かに受け継いで貰おう。
あの星々の歌を……。
流 星 -心象描写 Pane dhiria-
新城PのKAITOオリジナル曲「Pane dhiria」(http://www.nicovideo.jp/watch/nm9437578)を元に書いた物です。
言わずと知れたKAITOオリジナル曲の中でも指折りの名曲です。
今頃、文字書き作品として書くのもなんだかな~なのですが、これも先に書いた「心象描写」二作と同様、書かずにはいられない話でした。
(原曲者様のご迷惑になるので、動画内でのこの小説に関するコメントはお控え下さい)
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