今日、マスターは丸一日大学にかかりきりだと言っていた。「ゼミの課題がどうこう」って言ってたけど、何のことだかよく分からない。
特に何の予定もない昼下がり、ミクは自分の部屋で音楽を聴いて過ごしていた。
ベッドに上がって端に背を預け、ヘッドホンでお気に入りの曲に耳を傾ける。窓は全開、差し込む日射しで室内は光でいっぱいだ。ベッドの脇に置いたサイドテーブルの上には、ハーブティーがほのかな湯気を立て、優しい芳香を漂わせている。

「パラメーターいじりすぎな~いで、だけ~ど手抜きも嫌だよ~♪」

行儀悪く、ベッド上で組んだ足をブラブラさせながら鼻歌を口ずさむ。
誰にも気兼ねすることのない至高のリラックスタイムだ。
そろそろ曲が終わろうかという時、ドアがノックされた。

「ミク、ちょっといいかい?」
「お兄ちゃん? いいよー、どうぞ」

素早く座り直してスカートの裾を整え、入ってきた兄を迎える。
カイトはそのまま真っ直ぐ、本棚の方へ歩み寄りながら言った。

「ちょっとファイル見せてもらっても良いかな?」
「また? 最近ずいぶん熱心だね。どれでも好きなのどうぞ」

本棚に納められているのは、本の形状をしているが、書籍ではない。歌のデータが収録されたファイルである。
カイトはミクの本棚を見回して、その中から1冊を抜き出した。自身のヘッドセットからコードを伸ばし、ファイルの端子に接続する。こうすることで、収録されているデータを読み込むことができるのだ。
もっとも、ミク用に調整されたデータなので、読み込んでどんな歌なのかを知ることは出来ても、カイトがそれを歌うことは出来ないのだが。

「ミクの歌はたくさんあるから、チェックするだけでも大変だよ」
「もしかして、全部チェックする気なの? すごい数だよ?」
「望む所だ。見てろー、兄さんは日本一のミクうたマニアになるぞ」

そういう事を臆面もなく、爽やかに言い切ってしまうのが、この兄である。
呆れるミクをよそに、カイトは目を閉じてデータを読み込み始めた。

「……………………」

読み込むだけなら時間はかからない。
数秒でカイトは再び目を開け、ミクに向かってニッコリ微笑んだ。

「うん、これ凄く良いね。ピアノの伴奏も綺麗だし、歌詞がものすごく感動的だ」
「どれ? ……ああ、うん。その歌は私も好きだな。お兄ちゃんにしてはナイスチョイス」
「タイトルからして秀逸だよね。『いつか笑顔、いつも笑顔』。終盤のコーラスが混じる辺りなんて、こうゾワッて来るよ。人間が言う『鳥肌が立つ』って、この感じのことなんだろうな」
「多分そうじゃないかな。その歌を歌う時はね、がんばれーって気持ちを込めて歌うんだよ。私はそれ、応援歌だと思ってる」

自身も気に入っている歌を誉められたとあって、ミクは身を乗り出して蘊蓄を始める。

「応援歌って一口に言っても色々あるでしょ? スポーツ観戦で歌うようなイケイケドンドンな応援歌もあるけど、それとはまた違った、優しい応援歌。悲しいことがあっても負けないように……ううん、負けないようにって言うより、それを乗り越えて頑張ろうねって感じかな。そういう気持ちを込めて歌うんだよ」
「なるほど。覚えておくよ」

カイトの顔には、優しい笑みが浮かんでいた。
ミクの言葉を飲み込むように、ゆっくりとうなずく。

「……覚えておくよ。この歌は応援歌。悲しいことを乗り越えて頑張ろうっていう、優しい応援歌……」

ミクは少し意外に思って、首をひねった。
兄の横顔は妙に真剣で、ファイルを撫でながら呟く姿は、まるで何かの儀式で誓いの言葉を述べているかの様であった。

「お兄ちゃん、どうかした?」

実は内心で、いつ恒例のバカイトっぷりが発揮されるのかと身構えていたのだが、どうもその気配がない。
尋ねてみると、カイトは何食わぬ顔で聞き返してきた。

「ん? どうって、どうもしてないよ。どうして?」
「や、なんか珍しくシリアスモードだから、何かあったのかと思って」
「ひどいなぁ。歌のことだったら真面目にもなるさ」
「歌以外は不真面目なんだ?」
「こら、揚げ足を取るんじゃありません」

2人で笑い合う。
開け放たれた窓から、温かな午後の風が流れ込んできてカーテンを優しく揺らす。
とても穏やかな、優しい時間だった。

「この手の歌は、確かにミクが一番だろうね。元気が出る方の応援歌は、どっちかって言うとリンの得意分野だろうし」
「あー、なにそれ。否定はしないけど、私だって元気なやつも行けるもん」
「大きく出たな。例えば?」
「ん~とねぇ……」

いつでも天真爛漫な妹の顔を思い浮かべながら、ミクは考える。
姉弟一の元気印、あのリンちゃんにだって負けない私の持ち歌と言えば。

「じゃあ、『Sing&Smile』! 聞いてみてよ、元気が出る系では、私の最強カードの1つなんだから」
「ほほう。どれどれ」

カイトは本棚を探し、そのファイルを取り出す。
再び端子にコードを接続し、データを読み取ろうとして。

「……あれ? ミク、このファイル空っぽだよ?」
「え? あ、ゴメン。自分で持ってた」

ミクは自分の頭を指差して、照れ笑いする。
以前、ファイルから自分の頭(メモリ)にストックしたままだったのだ。検索してみたら、すぐにヒットした。
カイトは眉をひそめる。

「こら、持っておくんならコピーしたのを持っておきなさい。オリジナルのデータはファイルに保存しておかないと、何かトラブルがあった時に大変だろ」
「ん~、分かってるんだけど。めんどくさくって、つい」

ボーカロイドは通常、マスターが作成したデータをファイルに収めて自室の本棚に保管している。そして歌う時はファイルから自分の頭(メモリ)にデータをコピーして歌うのだ。
オリジナルを自分の頭の中に入れておいて、うっかり忘れてしまっては目も当てられない。「ごめんなさーい、データ消失しちゃいました、てへっ☆」ではマスターに申し訳が立たないのだ。
ボーカロイドとして最低限のルールであり、マナーである。

「この歌、お気に入りだから忘れないよ。だから大丈夫。とにかく聞いてみてよ、ほらほら」

ミクはごまかし笑いをしながら、自分のヘッドセットからコードを伸ばしてカイトに差し出した。
ファイルにアクセスするのと同じ要領で、ボーカロイドは一時的に相互リンクをすることができる。
デュエット曲でハーモニーを微調整する時などに良く使われる機能で、お互いにデータを見せ合って摺り合わせを行うのだ。お互いにどう歌おうとしているのかがダイレクトに伝わる分、個別に調整を行うより遙かに短時間でハーモニーを完成させることができる。
しかし、カイトには通用しなかった。
ミクが差し出すコード端子を、きっぱりとはねつける。

「だーめ。まずはオリジナルをファイルに戻しなさい。データを見るのはそれからだ」
「う~、カタいこと言うんだから。あんまり神経質だとモテないよ?」
「モテなくて結構。いいから早くしなさい」

差し出された空のファイルを受け取り、ミクは渋々データを戻す。
まあ、元は自分のめんどくさがりが悪いのだから、仕方ないのだが。

「じゃ、見せてもらおうかな。ミクの最強カードとやらを」
「どうぞ。この歌ならリンちゃんにだって負けないよ」
「姉の意地ってとこかい?」

そして、カイトが笑いながらファイルにアクセスしようとした、その時だった。


ピンポーン♪


玄関のチャイムが軽やかに鳴った。

「あれ、誰だろ? お姉ちゃんかな」
「姉さんだったら温泉行くって言ってたよ。クリスマスイベントからすぐに俺とのデュエットと立て続けだったから、久々にノンビリするんだーって言ってたし」
「だよね。第一、お姉ちゃんなら勝手に上がってくるはずだし」

2人で首をひねりながら、ともかく玄関に向かう。
そしてドアを開けて驚いた。

「わー! ミク姉ぇ、カイ兄ぃ! 久しぶり、会いたかったよーっ!」

明るく輝き、サラサラと軽やかになびく黄金色のセミロング。
トレードマークの大きな白のリボン。
ノースリーブのセーラー服に黒のショートパンツを履いた小柄な少女が、弾けるような笑顔でミクに抱きついてきた。

「り、リンちゃん!?」
「リン!?」



噂をすれば影、とはよく言ったもので。
尋ねてきたのは末っ子の鏡音リン。
なんと半年ぶりの、突然の来訪であった。



ライセンス

  • 非営利目的に限ります

【カイトとミクのお話4】 ~三重奏(トリオ)~

閲覧数:1,877

投稿日:2009/04/05 09:31:08

文字数:3,487文字

カテゴリ:小説

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    時給310円

    ご意見・ご感想

    >甘音さん
    わあ、甘音さん!? いらっしゃいませ、こちらでは初めてですね。読んで頂けていたとは、光栄やら恥ずかしいやら……!
    三重奏というタイトルは、おっしゃる通り、カイトとミクとリン3人の話だから三重奏です。何のひねりもないタイトルです。男は直球勝負なのです(笑)。がくぽやルカも当然出てきますよー、出番は当分先になりそうですけど~。ルカなんて、けっこうなキーパーソンになるかも……や、今の時点では、ですけどね。まだまだ先はおぼろげですので。
    カイミク好きのお仲間に来て頂けるとは、嬉しい限りです。がんばります。甘音さんもがんばって下さいね、新作待ってます!


    >秋徒さん
    いらっしゃいませ、お得意様(笑)。
    おかげさまで、このシリーズもようやく軌道に乗り始めました。ぶっちゃけ、今まで本当に思いつきだけの暗中模索だったのですが、秋徒さんが辛抱強くコメし続けて下さったおかげです。
    WIMパロ、理解してもらえましたか! 「大丈夫、天下のWIMだから大丈夫」とは思っていたものの、やっぱりツッコんで頂けるとホッとしますw
    それからコレ大事なこと。カイミクはですねー、その「もう付き合っちゃえよお前ら」って感じが大事なんですよ!(力説) 兄妹以上恋人未満、この微妙なサジ加減が、書いてる方も楽しくて仕方がない! ひゃっほう、最高ッ!! ← 「先生、患者さんが……
    ……げふげふん。今回も読んで頂いてありがとうございました! では最後に一言。
    「こんな恋愛恋愛してる小説書きたい」!? カイトとヤンデレマスターのあんなすげぇイチャコラ小説書いてるあんたが言うなーーーーッッ!!www

    2009/04/05 22:26:38

  • 秋徒

    秋徒

    ご意見・ご感想

    こんばんは!
     今回はカイミクの新シリーズですね。可愛くて人懐っこくて、素敵なリンちゃんですw リンちゃんにお兄ちゃんお姉ちゃんしている兄妹にも、危うくニマニマしてました(^ー^)
    そしてまさかの三角関係ww WIMパロまで出るとは、予想だにしませんでしたwww そして、ミクはやっぱりカイ兄好きだと再確認wwwもう付き合っちゃえよお前ら(自重
     次回リンちゃんの意味深な台詞の意味が明らかになるのか、恋に揺れるミクがどう動くか、今後が楽しみです!
     今回も何らダメ出しのつけようがありません。こんな恋愛恋愛してる小説書きたい…(・ω・`)

     長文失礼しました。次回も楽しみにしてます!

    2009/04/05 20:22:10

  • 甘音

    甘音

    ご意見・ご感想

    わあ、新作だー!
    実はファンです!カイミク大好きです!
    というか、リンちゃんが思わせぶりなことを言っていますが、何なんでしょうか。
    続きが気になります。続きを楽しみにしています。
    三重奏っていうのは、カイトとミクとリンの三人をあらわしているって事で良いんでしょうか。仲のいい兄妹たちが可愛いですね。がくぽとかルカさんもそのうち出てくるのでしょうか。
    前振りからして思わせぶりだったし、カイトに何が?
    色々と想像をめぐらせながら続きを待っています。

    2009/04/05 10:00:23

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