「私ね、虐待されてるの。自分で言うのも、何だかおかしな感じだけど」
冷たい素肌。滑らかな感触。指と指を絡めて、僕たちは互いをどこまでも深く感じていた。
「今、お母さんは男の人と同棲してるんだけど、その人がね。私に色々するの」
至近距離で見つめる姉の瞳が、闇に慣れた僕のそれとまぐわう。これまでにない刺激に、今にも意識が飛びそうになる。囁くような声音で続きを促したのも、口にしてから気付いたくらいだ。
「色々って?」
「……こんなこと」
そう言うと、姉は絡めていた指を離して、儚く笑った。
「そんな……。じゃあ、リンは母さんがそいつと住みだしてからずっと――」
また指を絡めてきた姉に応じながら、僕は掠れる言葉を搾り出した。憤りや悲しみとはどこか違う、もっと静かで冷ややかな感情のうねりが僕の奥底でとぐろを巻いているようだった。見知らぬその男も、今の僕と同じように姉を映していたのか。それを思うと、もたげられた鎌首が僕の中で暴れだす。これは嫉妬……なのだろうか。
「でも、あの人は私に暴力を振るったりはしない。それはお母さんの方。私は、痛いし傷も残るから……そっちの方が困るかな」
そんな醜い感情を悟られたくなくて、一旦姉から視線を外し、再度合わせる。その際、視界に入ってしまった痛々しい傷跡が、僕の理性を奪う。大小様々の打撲傷に、吸殻を押し付けられたような丸い火傷。薄い皮膚のあちこちに刻まれた悪意に、僕は自分でもよくわからない衝動にかられ唇を押し当てた。そこが丁度癒えきっていない箇所だったのか、姉は耐えるような声を上げ目を閉じる。
「……大丈夫。気にしないで」
それでもすぐに気丈な声音で続きを紡ぎ出した。
「お母さんはね、あの人のことが本当に好きなの。だから、あの人に愛される私が憎いのよ」
「……それは“愛”って言えるのかな」
「わからない。でも、お母さんはそう考えてるから」
「実の娘なのに……?」
「実の娘だから……余計に許せないんだと思う。何となく、わかる気もするな。今なら、わかる気がする」
それは僕に対してというより、己に言い聞かせているような口調だった。絡めた指に力が籠もり、僕の視線はついそちらに向いてしまう。そして垣間見える一つの現実。こうして抱き合う前から気付いてはいた。あえて無視していた問題を、僕は覚悟を決めてここで持ち出す。
「この、手首の傷……。これも母さんに?」
「これは、違う」
姉はきっぱりと否定し、それは僕にも見当がついていた。身体に癒えきらぬ痕を次々残していく母さんが、手首などに目を向けるはずもない。場所がなくなれば、真新しい傷の上だとしても遠慮なく猛威を振るうことだろう。
「……見ないで。もっと、私に近付いて。私だけを見て」
じっと注がれる視線に耐えかねたのか、姉は引き寄せるように更に力を籠める。それに従い鼻同士がぶつかる程に顔を寄せると、焦点がぼけて姉の姿がはっきり見えなくなった。姉の吐息が僕の唇に触れる。ここまで近いのに、余計に姉が見えなくなってしまうなんて。おそらく、まだ遠いのだ。姉と僕にはまだ距離がある。完全に同一にはなれない、もどかしさ。姉は、どう感じているだろう。
「あの傷はね、自分でやったの。あの人が、私を学校に行かせないって言うから。私を飼い殺しにしたかったんだと思う。だから、行かせないならここで死ぬって言って実演したの。台所に走りこんで、包丁で。すぐに取り上げられたけど、舌噛み切って死ぬ事だって出来るのよって脅したら、意外に早く諦めてくれた。……どうしたの、レン」
心ここにあらずなまま姉を見つめていた僕は、そこで現実に立ち返った。ちゃんと話は聞こえていたから、てっきり正常だと思っていたのだが、どうやら本格的におかしくなってきたようだ。酩酊状態というのは、今みたいな状態を指すのだろうか。頭の芯がぼうっとなる感覚の中で難しいことは考えられず、僕はただ思うがままを口にした。
「何でもない。でも、本当に死ぬつもりはなかったんでしょ?」
「ううん……本当は死ぬ気だった。でも、うまくいかなくて、傷が残っただけだった。……どうして死ねなかったんだろうって、何度も泣いたの。今思うと、もしかしたらレンに会うためだったのかもね」
姉の衝撃的な台詞にも、今一つ反応が鈍くなる。ただ馬鹿みたいに姉を見つめているだけで、気の利いたことは何も返せない。そんな僕を真っ直ぐ見据え、姉もまた浮ついた調子で言葉を重ねた。
「壊れて使い物にならない私だけど、レンに会えて良かった。私、レンに出会えて、人としての自分を取り戻したような気がする。……私、レンのことが好き。双子だからじゃなくて、レンを愛してるの」
あまりに唐突な告白。ただそれは、どこか含みを持って聞こえた。姉がさっき、自分に言い聞かせるようにしていたあの言葉。“実の娘だから、許せない”。それはそのまま僕たちにも当てはまる。“実の弟だから、許せない”。許せないのは相手ではなく、自分自身なのだ。もし、僕たちが双子じゃなく、ましてや血の繋がりもなかったら――。そんな空想が走馬灯のように浮かんでは消える。姉は、そのしがらみを越えたのだろうか。未だに僕は理性と本能の狭間で揺れているというのに。
「レンが好き。レンだけがいてくれればいい。昔から、きっとそうだったの。私は、レンだけを見てた。レン以外に、何もいらない。何も欲しくないの」
これ以上、姉の告白を聞いていたくなかった。愛の言葉のはずなのに、どこまでも痛々しくて、僕も姉自身をも蝕み傷付けていく。……ああ、これも母さんと同じだ。自分が許せないから、それを相手にぶつけてしまう。姉も今同じことをしている。一つだけ違うのは、口にすることで本人にも跳ね返ってしまうこと――。
僕は姉に唇を合わせた。とめどなく溢れてくる痛みを、どうか直接僕に流し込んでほしい。もう、姉には己を痛めつけてほしくなかった。どうしても許せないというのなら――僕が代わりに許さないでいてあげるから。
「んっ……。レン……苦しい……」
いつのまにか熱を発している身体。それよりも更に熱い吐息をもらして、姉は大きく息を吸った。そこにもう一度唇を落とした後、わずかに隙間を空けて毒を注ぎ込む。
「もっと苦しくしてあげる。苦しくて苦しくて、何も考えられなくなって、痛みも悲しみも全部わからなくなるくらい滅茶苦茶にしてあげる」
それはすでに僕の望みとなっていた。僕は己の意志で、姉を立ち直れないくらいまでぼろぼろにしたい。この手で姉が壊されていく様を見たい。僕だけに、その姿を晒してほしい。そう強く渇望していた。
「もっともっと近くなって、一つになってしまえば、もう感じる必要なんてない。罪悪も、背徳も、それ以外も。全部なくして、僕だけ見えるようにしてあげる」
ここまで近付いても無理だというのなら、いっそ完全に一つになってしまえばいい。二人で一つを実現した僕たちは、これで別々に世界を認識することはなくなる。全く同じ世界を、同じように見るのなら。許すも許さないももう意味を成さない。姉は僕、僕は姉。閉じた円環は、己を食らい続けるウロボロスよりもきっと完成された形を示すだろう。
「……うん。お願い」
姉は微笑っていた。泣きながら僕を見上げていた。そんな姉の分まで、僕は姉を許しはしない。
わざと僕は乱暴に姉を求めた。彼女がどんなに顔を歪めても、悲鳴を呑み込んでも、決して躊躇いはしない。突き抜けるような嵐が去った後も、僕の中には荒れ狂う竜神のような猛々しい衝動がしばらく居座り続けたのだった。
(続く)
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ご意見・ご感想
シベリア
ご意見・ご感想
はじめまして! シベリアと申します!
闇のダンスサイト大好きなので、解釈小説嬉しいです!!
一応闇のダンスサイト9まで見させていただきました!
面白いです!! 全部ブックマークいただきました^^
影から応援しています(・ω・´)b
2011/04/15 19:44:20
Lilium
初めまして^^ Liliumと申します。
読んで下さったことだけでも嬉しいのに、まさかメッセージまで頂けるなんて…幸せです><
といいますか、このあまりに不親切な文字列を読んで下さる方がいたことに正直驚きました。
ひとえに原曲への愛、ですねw
歌うには少々きつい曲ですが、カラオケで必ず歌ってしまう程に私も大好きですw
メッセージ、本当にありがとうございました^^
またお暇な時、そして目の疲労が少ない時に、宜しければおいで下さいませm(_)m
2011/04/16 01:16:47