雨が降れば蝶は飛べない
 光が無ければ花も見えない
 だから言葉一つを縁と頼って、私は今日も貴方を待つのです…



<それは止む事なく・ミク>



 あら。

 ふと視界の端に映り込んだ金色の色彩に、私は何とは無しに足を止めた。
 生け垣の向こうでちらちらと見え隠れしていたその色は、よく見ると一人でなく二人のものだったらしい。

―――余り見ない組み合わせだけれど…

 金の髪、青の瞳、白い肌とすらりとした立ち姿。
 白く咲く椿を背に立つその二人は、顔立ちや色彩といった構成要素だけ見ていればそっくりなものの、実際には生い立ちにも性格にも似たところはない。
 一人はレン。
 この街の娘達から非常に人気の高い、有名な商家の三男坊。性格はどちらかといえば穏やかだけれど、女好きというなかなかに不名誉な肩書も持っている。爽やかな雰囲気が冬空の下に光が差すようで…いえ、これは少し主観が入ったかしら。
 もう一人はリン。
 この街にいる数ある娘達のなかでも、特に有名な娘の一人。その髪は肩口で揃えられていて、髪の長さだけで見ればどちらが女性か分からなくなりそう。勝ち気で、年齢より大人びた性格をしていた。姐御肌とでも言うのか…最近会っていない私には断言出来ない。
 薮椿の鮮やかな花を背に、リンにレンが笑いかける。
 遊び人として名高い彼のこと、良く見る姿ではあるのだけれど。

 …けれど。

 生け垣の向こうから漏れ聞こえる声に耳を澄ましながら、ざわつく胸を押さえる。

 …何となく、釈然としないような思いを感じるのは…嫉妬なのかしら。

 この街には沢山の花が咲くものの、中でも一番は私だという自負がある。
 そして私のすぐ次…間さえ置かずに名が挙がるのが、彼女―――リン。つまり、リンは私の商売敵として筆頭に挙がる娘なのだ。
 だから、意識しているの、かもしれない。
 他の娘とレンが話をしていたって気にはならないのに…
 ちなみに、私とリンの仲はと問われれば、正直なところ悪いとしか言えない。わざわざ厭味や陰口を言うことはないけれど、仲良く言葉を交わす事もまた有り得ない。
 仕方ない、店も違えば矜持の問題もある。やはり互いに、負けたいとは思わないのだから。

 ほう、と意図せず落ちる溜息。

 …昔は仲良く話などしたものだけれど、今では到底無理になってしまった。
 共に親無しで売られた身、見習いの時分では店の違いや同じ「花」であることなど然したる壁にはならなかった。あの頃は互いに何のしがらみも立場もなく、今よりも自由だったのだと言えるのかもしれない。
 最も、あの頃はあの頃なりに辛いことも多かったし、何より生きていくことで精一杯だったのだけれど。

 ―――ただ、それも、今はもう昔の事。

 つらつらと考えながらもじっと二人を見詰めていると、不意にレンが顔を上げた。目を外す隙なんて無く、ぱちりと目が合う。

 しまった。

 慌てた所で既に時は遅く、私を認めてレンが微笑する。
 冬空の下に、柔らかな灯が点った様な笑み。
 かあっ、と勝手に熱くなる頬。私は反射的に頬を抑えて俯いた。
 ふわり、香るのは何の花の香か。
 …唯の小娘の様な初な反応をしてしまうなんて恥ずかしい。
 私を見てにこにこ笑うレン。そんな事をされれば彼の前に立つリンが不審がるのも時間の問題、私は早足でその場を立ち去った。
 レンに笑いかけて貰えるのは嬉しいけれど、リンにだけはこんな顔をしているところなんて見られたくない。これはつまり、意地の問題なのだと思う。
 こんな…こんなみっともない顔を見られたら、私はきっと何日か落ち込んでしまう。
 だって、リンの目に映るのは艶やかで華やかな私でなければいけないのだから。
 私は、誰もが、そう、彼女さえもが羨み憧れるような大輪の牡丹でいなければ。

 ―――ああ、でも。

 温度を上げた両頬の温かさを感じながら、目をつぶる。
 冷たい空気も、今だけは気にならない。

 ―――もう少し、レンを見ていたかった…

 私が初めて恋をした相手、それがレンだった。
 幾ら花魁と呼ばれ、毎夜毎夜愛していると囁かれたところで、結局そこにどれだけ実があると言うのだろう。そんな所で出会う男達に恋など出来ないと思っていたし、実際これまで恋なんてしなかった。特別な気持ちを持ったとしてもそれは淡いもので、彼らの訪れが減るとともに想いも溶けて消えていった。
 でも、レンは違う。
 何が違うのかは分からない。
 それでも、私は心から彼に惹かれた。
 華やかな笑顔、心地良い声音、つい構わずにはいられない人当たりの良さ。そういったものが私の全てを掴み、離さない。
 レンになら私の全てを捧げられる、本気でそう思ってしまう程。

 だから私は、時に恐ろしくなる。
 この想いは―――叶わないとき、どうなってしまうのかしら。





 襖の開く音に首を巡らせ、そこで私は顔を輝かせた。

「レン、来てくれたのですか」
「それは来るさ。ミクがいるのだから」
「そんな…」

 私ははにかんで俯く。
 レンの輝くような美しさが、闇の中に眩しい。
 長く伸ばした金髪は、お洒落の為とも願を掛けているためとも伝え聞く。でも理由はどうあれレンの姿に錦糸の長い髪は良く似合っているかのよう。男性にしては珍しい程に肌や髪が綺麗な事もレンの特徴の一つだ。

「悪いね、ミク。少し間が開いた。…淋しかった?」
「はい…。…仕方のないことだと思いますが、やはり淋しうございました」
「ミクは素直で可愛いな」

 優しい手が悪戯をするかのように私の髪を弄る。
 子供扱いされているような気さえする程に余裕に満ちた仕種もまた、私の胸を締め付ける。

 本当は気付いていた。ただのお世辞だと。
 レンは私のことを特別な娘だとは、これっぽっちも思っていない。
 確かに私を「一番の花」だと思っていてはくれたのかもしれない。でもそれは飽くまで「花」、彼は結局私を特別な「人間」として見てはいなかった。
 どこまで行っても私は、花畑のなかの一輪にしか過ぎない。
 …薄々は、そう気付いていたのだけれど。

 それでも私は信じようとした。
 夢見ることで願いが叶う日が来ると、そう思っていたかったから。
 現に、時には本心から信じることも出来た。
 彼は私を愛してくれているのだという、そんな都合のいい夢を。

「…なら良いのですが、私は自分が醜くなったような気がします」
「何故?」
「…レンに、私を一番に見て欲しいと思ってしまう。綺麗な思いだとは言えません」

 そうかな。レンは微笑して首を傾げた。

「自然な事だと思うけどね。それに思い煩わなくても、ミクは『一番』の花だよ。とても可憐で美しい。…ね」

 躊躇いを持たない指先が、音もなく私の帯に掛かる。
 疼くような甘い感覚。
 焦らすように触れる指の動きを、私は瞼を閉じて受け止めた。

「いつか君を迎えに来る。だからその時まで待っていて」

 それは、今までに幾度となく耳にしてきた誓いの言葉。結局、そう約束した人のうち、連れ去りに来てくれた人など一人もいない。
 けれど、きっと―――今度こそ。

 ―――信じたい。

 胸を圧されるような感覚と共に、私はレンの腕の中で何度も頷いた。

 レンは、確かに今は私を「人」としては見てくれていないかもしれない。
 だけれど、永遠にそうだとは限らない。

 いつか、いつか。どれほど先の事でも良い。
 いつか―――私を「人」として見て、愛してくれたなら、どれほど幸せな事だろう。

「…待ちます」

 一度息を吸い、言葉を継ぐ。

「待っています、その時が来るまで」

 レン、貴方には今、想っている相手はいないのでしょう?
 望みがあると思っても、その耐えそうな糸に縋っても…いいのでしょう?

 その優しい腕に抱かれながら、私は緩く目蓋を閉じた。





 あれから、どれだけ日が経ったのだろう。
 私は少し体調が悪く、床に伏せる日が増えた。
 レンの訪れは、このところ絶えている。
 なんでも最近の彼は家業に携わるために勉学に打ち込んでいるらしい。その真面目な姿勢に、考えるたびに笑みが零れる。
 そう、それだけのこと。きっとそちらが一段落したら、戻って来てくれる。
 可笑しいと自分でも思う。やっぱり私の中でレンは特別のよう。
 通われなくなっても想い続ける相手が出来るなんて―――

 げほ。

 喉がささくれ立つ様な痛みと共に、咳が吐き出される。
 少し厭わしい。最近とみに、咳が増えて…

「―――う…っ!?」

 鋭く走る、胸の痛み。助けを呼ぼうにも、喉が圧されるように苦しくて声が出ない。
 私は体を折って、堪える。
 口元にせり上がる、生温かい不気味な感覚。

 耐えられなくなって口元を緩めた瞬間、床に、夜目にも真っ赤な色が散った。



 え?



 手元から胸元、床まで広がる生ぬるくてぬめる、深紅。
 胸が痛い。苦しい。息が出来ない…だって、全部が、血の味で……
 そこまで考えた時、初めて痛みが頭を焼いた。

 痛くて、痛くて、ただ―――痛くて。

「あ…くぁ……、っ、は……!」

 これは、駄目。

 終わる。
 終わってしまう。―――私の命が―――




 ―――嫌―――…!




 胸の痛みに貫かれながら、焦がれる思いのまま、私は祈った。

 お願い、今直ぐ私を迎えに来て。
 雨の帳、夢の檻。やがて終わるものの名を付けられたこの籠から私を連れ去って。

 涙に霞む目で、窓から空を見上げる。
 暗い空と雨の音。温もりなんて知らぬ気に桟を叩く大粒の水滴。
 砕けた雫が目に染みて、いつの間にか涙が頬を伝っていた。
 だってその冷たさが、―――酷く悲しい。

 レン。
 私をここから連れ去って。
 迎えに来る、と…約束してくれたでしょう?

 ぽた、ぽた。繊細な織りの着物に、黒い染みが広がってゆく。
 その絶望的な程にささやかな感触を膝に感じながら、私は問う。

 心の中で。
 答えを聞くのが恐ろしい、問いを。

 レン。

 貴方は私の事を、どれくらい愛している?
 今の貴方の心の片隅でも、私は占めることが出来ている?

 痛みに耐えかねて上半身を織り曲げると、今の空とは不似合いな程に強くいぐさが薫った。
 視界の端で、かしん、と硬い音を立てるのは、髪から抜け落ちた牡丹の簪。
 花魁である私を表しているような、華やかで繊細で…脆い、細工品。

 ぽたりぽたり、涙が頬を伝う感覚。いつの間にかそれしか分からなくなっていた。

 結局―――夢は夢のまま。
 この止まぬ雨のように、私の夢も終わらずに消える。
 この街に咲いた花の一輪は、実を付ける事なく枯れて行く。
 雨に流され、色さえ残せぬまま。

「…レ、ン…」

 無意識のうちに口にした名前に応えるかのように、一瞬、脳裏を鮮やかな色彩が過ぎた。
 夕暮れ時の橙の空気と、金色の髪。



 レン?…いえ、違う。

 止めようがなく解けていく意識。指先から、足先から、抜けていく力。



 ああ、あれは、あの幼かった日に「彼女」と交わした―――



 ―――あの約束、貴女はまだ…覚えている?
 貴女は私を…私とのあの約束を…待っていてくれている?

 …ごめんなさい、叶えられなくて。

 そしてこんな時でさえも、私が待つのは―――





「…ごめんなさ、…――――、ン、…」





 呼んだ名前は誰に聞かれることもないまま、部屋にわだかまる闇の中へと溶けて、消えた。



 窓の外は、雨。
 庇からまた一粒、色のない雫が地へと落ちて行く。

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい
  • 作者の氏名を表示して下さい

それは終わる事なく・ミク

本当はからくり系より先に書き始めていたはずの、雨夢楼・恋闇楼の話です。
順番はミク→レン→リン、思いの方向性としてもこの形です。
出来れば各一話に収めたい…でもちょっと無理して収めてしまったかな…

恋よりも友情(というべきか)を取る設定、大好きです。
いつもラノベとかを読んでは「なんでいっつも主人公とヒロインはカップリングになるんだ!戦友で良いじゃん!」とか思うタイプなので。

恋愛より強い絆ってあって良いと思います。まあ、一例に肉親の情とかですね。中でも恋愛でも血縁でもないけどなんとなく切れない、腐れ縁的な絆が一番好きです。

閲覧数:1,547

投稿日:2011/02/14 23:35:30

文字数:4,838文字

カテゴリ:小説

  • コメント2

  • 関連動画0

  • 零奈@受験生につき更新低下・・・

    CD買うお金がない・・・
    緑のヴィーゲンリートも買わなきゃだし・・・
    でも気になるっ!!

    2011/02/18 18:07:54

    • 翔破

      翔破

      まあ、もしかしたらニコニコとかにUPされる可能性もあるので、ちょっと待ってみるのが一番賢いやり方だと思います。
      確かに悪ノPさんの小説も気になりますね!近くの本屋で黄のクロアチュールが売ってて本気でびっくりしました。すごい…

      2011/02/18 22:10:33

  • 零奈@受験生につき更新低下・・・

    うおおおお!!
    雨夢楼の小説!
    いつか書く気だったのに・・・
    にしても、恋閣楼って何ですか?
    レン視点の雨夢楼?

    2011/02/17 19:04:31

    • 翔破

      翔破

      メッセージありがとうございます!
      やってしまいました…ひとしずくPさん大好きなんです…

      はい、恋闇楼は雨夢楼のレン視点の曲です。
      ニコニコにはUPされていないようですが、ひとしずくさんのCD「STORIA」に収録されています(宣伝)。もしも興味がおありでしたら、是非買ってみてください!物語曲を集めてあるので、soundless系、秘蜜系、雨夢楼系などが詰まっています。

      2011/02/17 19:34:38

ブクマつながり

もっと見る

クリップボードにコピーしました