緑ノ革命

 浅葱色の髪が歩く度に揺れ、すれ違う兵士や召使が恭しく迎え入れる。高い足音を立てて緑の王宮を進むのは、国王の妹ミク・エルフェン。慣れ親しんだ家に到着した彼女は、早速兄の元へ向かっていた。
 本音を言えば旅で疲れた体を休めてから報告をしたいが、何分兄は仕事に忙殺される身である。時間を割く事すら惜しいはずなのに、今日帰ると連絡した妹を待ってくれている。
 こちらの都合で兄の手を煩わせてはいけない。連れ立つ護衛二人が困惑する程の早足で、ミクは王宮内を進んで行く。
 後ろで控える一人はミクより年上の女性で、髪と目は深緑。彼女の緑髪は西側人種の証である。
 そしてもう一人は、透き通るような銀髪の少年。右目は翡翠、左目は蒼と色が別々で、ミク達はおろか王宮の誰とも見た目が違っていた。明らかに周りから浮いているが、ミクの護衛として臆する事なく歩いている。
「お待ち下さい。ミク様」
 急ぎ足のミクを少しでも落ち着かせようと、傍らの距離を保つ女性が声をかける。流石に置き去りにされる失態を演じてはいない。それは隣の少年も同様だった。
「そうやって慌てると転びますよ」
 少年が気だるそうに言った途端、ミクは自身の足に躓いてしまった。あっ、と気付いた時には前へ倒れかかり、誰かに受け止められる。
「お怪我は? ……だから言ったじゃないですか」
 頭頂部分で跳ね上がった髪を揺らしているのは護衛の少年。小柄な彼はミクが転ぶ寸前に正面へ回り込み、全身を使ってミクを支えたのだ。
 無論、護衛の女性もただ見ていた訳ではない。彼女もミクを助けようと踏み出していた。しかし少年が移動する方が速く、結局出遅れてしまったのだ。
 それを悔しく思う程狭量では無いが、少年を一言注意する。
「言葉使いに気を付けなさい。ミク様の侍従である自覚を持つように」
「はいはい、分かってますよ」
 主から丁重に離れつつ、少年は適当に返事をする。生真面目な同僚から小言を言われるのはいつもの事だった。ついぼそりと呟く。
「……そうやって口煩いから男が逃げるんだよ」
「何か言ったかしら?」
 女性に威圧をかけられ、少年は音が出る勢いで首を振る。ミクは二人のやり取りに顔を綻ばせたが、すぐに表情を引き締めた。
「喧嘩は後でなさい」
 鶴の一声により、女性と少年は即座に背筋を正した。一瞬前のふざけた様子は欠片も見えない。ミクは二人を伴って再び歩き出す。
 早足は変わらなくても、また転ばないように気を付けて。

 部屋の外で待機するよう護衛の二人に命じ、ミクは国王執務室へ足を踏み入れる。
 まず目に入るのは、壁に飾られた二振りの剣。緑の国に代々伝わる宝剣、エルドとエルフェゴートだ。ミクと共に黄の国の革命に参加した短剣は、現在では兄が所有者である。
 執務机の上には書類が積み上がり、所々で山が出来ている。目算だが、旅に出る前と比べて書類の量が少なくなっているように見えた。人手が増えるなりして仕事が軽減されたのなら良いが、相変わらずの多忙さである。
「ただいま。兄様」
 扉が閉められる音を背後で聞きながら、まずは帰宅の挨拶を述べる。兄が腰掛けている椅子は、かつては父が座っていた席だ。
「長旅お疲れ様。ミク」
 緑の王クオ・エルフェン。彼は四年前、十七歳の時に王位を継いだ。緑の国の繁栄に身を粉にし、黄の国との共栄、ひいては大陸の平和に尽力する若き王の支持と評価は高い。

 クオとミクの父親、先王ウィリデは緑の国による大陸統一の悲願を成し遂げる為に策を弄し、革命直後の黄の国に侵攻しようとしていた。無政府状態の混乱に乗じて黄の国を乗っ取る計画で、その布石に娘と兵を送り込み、隣国の反乱軍に援助を行った。
 全ての準備が整い、自国の軍を東側に乗り込ませようとした正にその時、西側に逆風が吹き荒れた。
 クオが王宮書庫の記録が改竄されていると指摘し、緑の国は調査をするべきだと主張したのだ。彼にとってそれは表向きで、父や強硬派が行った捏造を指摘した事に他ならない。緑と黄の戦争時に起きた事件の真相に辿りついたクオは、自身が掴んだ真実を武器に歯向かう姿勢を見せた。
 しかし王はクオの真摯な訴えを鼻であしらうと、息子を即座に捕えて地下牢に軟禁した。物的証拠が無ければ誰も信じない。しばらくすれば頭も冷えて大人しくなる。所詮は一時の反発心に過ぎないと侮っていた。
 そう。侮っていた。息子を見縊ったが故に、大陸統一の野望は夢と消える。
 王子が牢に入れられたと言う前代未聞の不祥事は、隠蔽する間も無く国民の知る所となった。流れた情報を消す事は不可能。王宮は緘口令を敷き、事実を否定したが時既に遅く、国民への釈明と対応に追われる事となった。当然、軍を動かせる状況では無い。目先の混乱を治めなければ政治不信を煽る事になる。
 事態の収束に躍起の最中、ミク王女が手勢と共に東側から帰国。王は早々と戻って来た娘に愕然した。最低でも数日掛かる道のりであるにも関わらず、王子を軟禁してから二日も経たない内に帰って来たのだから。
 ミクと共に留まらせた緑の軍と呼応し、黄の国を乗っ取る手筈は呆気なく崩れた。王は指示も無く帰国した娘に怒りを覚えたが、ミクを懐柔するなど容易である。王女を騒動の鎮静化に利用しようと考えた。
 だが、父の言いなりで動く人形はもういなかった。
 帰国したミクは王を激しく糾弾。兄の解放と事情説明をするよう求めた。その行動に奮い立った国民はミク王女に賛同し、王子軟禁の理由を明かそうとしない王宮を批判したのだ。
 このままでは反乱を起こされる。東側の二の舞になる事を危惧した王は、自らが定めた期限を前倒ししてクオを解放。国民には内情をうやむやにして騒動を治めた。
 この出来事で緑の国が揉めている間、黄の国では革命の英雄メイコが暫定的に国家元首となっていた。その後、正式に黄の国元首に就任する事となる。
 無政府状態が解消された以上、補佐や援助の名目で黄の国へ侵攻など望むべくも無い。活力を失った王は、騒動の心労によって抱えていた病を悪化。緑の国王ウィリデ・エルフェン崩御の知らせが広まるのは程なくの事だった。

 父の野望を阻止する。東西の未来を賭け、クオは王に戦いを挑んだ。戦争時の虐殺事件が自作自演であったのは最重要機密。知った者には圧力を掛けて来るはず。そう踏んだクオは、秘密に触れた事をあえて父へ教えたのだ。
 推測は的中。王に歯向かった事で捕えられたが、それこそがクオの狙いであった。
「王宮は必ず情報を隠蔽する。明日になったら王子軟禁の噂を流せ」
 反抗する直前、クオは信頼の置ける者にこう命じていた。王子が突然幽閉されるなんて不祥事、国民が全く興味を持たない訳が無い。
 更にクオは秘匿で黄の国へ使者を送り、事前に王子軟禁の知らせをミクへ届けていた。緑の軍を黄の国から撤退させる口実を与える為だ。間に合うか際どい所だったが、紙一重の差で功を奏した。
 自分の都合で妹を利用してしまい、クオは罪悪感を覚えていた。目的が違うだけで、やっている事は父と同じなのだと。
 だけどミクは、そんな兄の味方になってくれた。妹のお陰で王宮を一層掻き乱し、その間に黄の国は体裁を整えられた。
 王がこの世を去り、担いでいたはずの王女が離れた結果、黄の国の支配を目論んでいた強硬派は失脚した。王族と言う強力な後ろ盾が消えた上、王位を継いだクオは改革派。最早諦める他に無い。
 緑による大陸統一の野望は、ここに潰えたのだ。
 ウィリデ王の死去、直前の軟禁騒動もあって情勢は乱れた。だが、王になったクオは改革派やミクの協力を得て、見事に緑の国を取りまとめて見せた。

「うん。経過は好調みたいだね」
 ミクから土産話を兼ねた報告を聞き、クオは笑みを浮かべる。取り組みは軌道に乗っているようだ。
「行き来が楽になったと喜んでいたわ。急用にも間に合うようになったって」
 国民は王に感謝していると、ミクは誇らしげに語る。王宮を離れられない兄に代わって国内を視察し、緑の国の現状を彼に報告する。それが現在の彼女の主な仕事だった。黄の国や青の国へ出向くのも珍しくない。
 国内の街道整備と舗装。緑の国王、クオが力を入れている事業の一つだ。荒れた道を広く平らに整えて従来の不便さを解消。新たな道を敷いて土地を繋げる。国内全体の街道を見直し整備した結果、人と物の流れがウィリデ王の時代よりも活発になった。黄の国との貿易も円滑に進んでいる。
 だが、それに伴って課題も発生する。処理する傍から別の案件も入り、クオは仕事に追われる日々を送っていた。
「昨日も書類に埋もれる夢を見た」
 これで何回目だろうと、クオは遠い目をして溜息を吐く。兄の苦労を間近で知るミクは苦笑するしかない。
 原因の一端を担うのは金獅子と金狼。もとい、アレンとリリィである。野盗や盗賊を壊滅させたりするのは全く構わない。むしろ東西関係無く、弱き民の味方に付いて行動する二人に感謝こそすれ、恨むのは筋違いだろう。
 問題は、そんなアレンとリリィを配下にしようと考える輩がいる事だ。中には緑の国の有力者も含まれており、二人を金や権威で釣ろうとする者は少なくない。しかし、力尽くでも従わせようとした者は例外なく返り討ちに遭っている。
 アレンとリリィは身に掛かる火の粉を払っただけ。それを逆恨みした連中が権力で二人を陥れようとするので、クオとしては頭が痛い。愚かな有力者を人知れず黙らせ、かつ二人に悟られないようにするのは非常に骨が折れるのだ。黄の国も同様で、メイコも苦労しているらしい。
「強きに媚びず悪を狩り、民を守る金の双獣。……そんな所かしら? あの二人は」
 ミクは冗談のように言っているが、その表現は的確だ。アレンとリリィは悪人に対して容赦しない。
「大体、獅子と狼に首輪や鎖を付けようとした時点でもう駄目だ」
 クオは笑いながら返しつつ、変わったな、と妹へ思う。昔は東側を嫌い、国内に蔓延する排他主義を当然として考えていたミクは、四年前から異民族への差別を無くす活動をしている。
 手の平返し。信用ならない。当時はそんな批判が多く、現在でも声が上がる事もあるが、ミクの活動の成果は広がりつつある。 
 無知さのせいで多くの人を傷つけた罪滅ぼし。ミクはそう語っている。兄とリリィ、そしてレン……では無く、実は生きていた黄の国王女リンに怒られたのがきっかけだったそうだ。
 箱庭の操り人形はもういない。
 ミク・エルフェンと言う人間は、自分の意志で緑の国に貢献しているのだ。
「そうだ。あの町、そろそろ名前を付けても良い頃じゃないか?」
 ふと思い出したクオが言い、ミクが同意する。
「ええ。国王が直々に名を考えると伝えたら喜んでいたわ」
 千年樹の虐殺で壊滅した町の再建。クオが王になってから特に進めたかった計画だ。街道整備に手一杯で中々実行に移せなかったが、半年程前にようやく開始する事が出来た。
 使われなくなっていた街道を直し、メイコに頼んで黄の国にも呼びかけ、少しずつ人が集まっている。復興にはまだまだ時間が掛かるが、確かな営みがあるのは先程ミクから聞いた。
「実は最初から決めていたんだ」
 かつて悲劇が起こった場所。そこが緑と黄が手を取り合って立ち直り、友好の象徴になれるよう願う。
 一呼吸置いてから、クオは黄緑の町の名前を告げる。

 その由来は、初恋の少女の名だった。

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい

蒲公英が紡ぐ物語 第62話

 最後の最後で見せたクオの意地と逆転劇。そしてちょっと遅いミクの反抗期。
 黄の国に負けず劣らず大騒ぎだった緑の国。クオは『レンに比べれば』大人しい。


 長らく続いていたこの物語も、いよいよラスト間近です。

閲覧数:613

投稿日:2015/05/19 20:41:55

文字数:4,713文字

カテゴリ:小説

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