祝いの晩餐会
緑の国王女ミク・エルフェンの十六歳の誕生日を祝う晩餐会は、緑の王宮大広間で行われる。調度品が飾られた会場には既に客人が集まり、並べられた円卓には色とりどりの料理が置かれていた。
浅葱色の髪をした壮年の男性が雛壇に立ち、会場を包んでいたざわめきが一瞬で静まる。
クオ王子とミク王女の父親。緑の国の王ウィリデ・エルフェン。西側の統治者は注目を一身に浴びて挨拶を述べる。
「皆様。本日は我が娘の誕生祝いにお越しくださり感謝申し上げます。緑の国でも最高の料理をお楽しみ頂き、ご歓談下さい。皆様に千年樹の加護があらん事を」
グラスを掲げて乾杯を告げる。ミク王女へ祝いの言葉があちこちから聞こえる中、リンは固い表情でレンの傍に控えていた。
「緊張してるか?」
黄色の王族衣装を纏ったレンから静かに問いかけられる。黄、緑、青の三国では国の名前と同じ色の服が正装とされており、公の場ではこちらを着用する。尤も、自国内であればいつも着ている白の王族衣装でも問題は無い。
剣を提げているのは変わっていないが、髪を結んでいる位置が低くなっているのもあり、レンは平常時とかなり雰囲気が変化していた。
「……緊張と言うより、この場に自分が立っている事に現実味が湧かないです」
リンは正直に返事をして、配られていた飲み物に口を付ける。王女として生まれはしたが、現在は平民として王子に仕える身。この晩餐会が無礼講なので参加出来ているが、通常なら出席の許可など下りない身分だ。レンの意向で付き人になっていなければ完全に無縁の世界である。
本の中にでも入った気分だと吐露したリンに、レンは緊張を緩めるように微笑む。
「初めての人は誰でもそうだろ。リリィも実感湧かなかったって言ってたし」
最初の内は動揺して当たり前。徐々に慣れて行けばいいと励ます。
「その為にリンベルを連れて来たんだからさ。黄の国王子の付き人として堂々としてれば良い。……こんな場ではハッタリでも結構何とかなるもんだよ」
最後の一言をこっそり伝え、何度かそれで切り抜けたとレンは小声で教える。リンが礼を言おうと口を開きかけた時、周りに緑髪の人達が集まってくるのが映った。
リンは緑の貴族に追いやられるようにレンの傍を離れる。黄の王子の元へ訪れたのは五人程。他にもさり気なく様子を窺っている人もいるので、当分レンは解放されないだろう。早くミク王女の所へ行ければ良いが。
晩餐会は立食形式で行われている為、各自が好きな料理を食べる事が出来る。リンは手近に置かれていた野菜料理を皿に取り、少々離れた場所で口に運んだ。
「あ、美味しい」
思わず独り言が出るほど味が良い。料理人の腕も当然一流なのだろうが、この味は素材そのものが高品質で無ければ出ないだろう。リリィが褒めていたのも頷ける。
適度に料理をつまみ、場の雰囲気に少しでも慣れれば楽なものだ。客人達は王族や貴族と会話するのを優先しているので王子の従者には声をかけて来ない。人と話す楽しさは無いが、自由に行動して会場内を眺める余裕がある。
護衛の騎士二人は王子から付かず離れずの位置で緑の貴族と談笑や酒を楽しんでいた。一人はともかく、もう一人はどの面下げて参加しているつもりだと思うが、そこは腐っても黄の国の貴族。立ち振る舞いは自然と馴染んでおり、他国の有力者の前で恥を晒す心配はなさそうだ。
クオ王子とミク王女はそれぞれ別の場所で貴族に囲まれている。兄弟そろって人目を惹く美形と美貌だ。しかも王女は今日の主役。自然と人は集まるだろう。
でもな、とリンはやや冷めた気分でミク王女へ視線を送る。
晩餐会の前に黄の王子を放っておいて、緑の王女様はまたレンを蔑ろにするのか。ミク王女にもやむをえない事情があると思うが、どうも納得がいかない。
わだかまりを抱えたまま周囲を見渡す。ようやく貴族達の挨拶から解放されたレンと、離れて行く緑髪の人達を眺めるカイト王子の姿が目に入った。
上辺だけの挨拶続きにやっと区切りがつき、レンは書類作業に追われた後のような倦怠感と疲労感を味わっていた。心身ともにぐったりとした状態でその場から遠ざかり、壁に背中をもたせかける。
どうしてこう、貴族の挨拶は無駄に長いんだ。しかも内容のほとんどが自慢話。そんなの聞かされても「はぁ、そうですか」としか思えない。他に話す事は無いのか。
立場上適当にあしらう訳にもいかないのもしんどい。晩餐会や舞踏会に付き物なので仕方が無いが、これさえなければ良いのにと毎回毎度思ってしまう。
疲れた、とレンは口に出す代わりに溜息を吐く。しばらく休んでからミク王女やクオの所へ行こうか。いや、その前に青の国王子に挨拶をしておかないといけない。緑の王族とは何度も会っているが、青の王族とはまだちゃんと会った事が無い。この会場で顔を遠目に見た程度だ。
晩餐会に出席しているのは第三王子カイト・マークリム。とりあえず青髪の人を探せば簡単に見つかるだろう。客人の大半は緑の国の人だ。他国の人間は髪の色が違うからすぐに分かる。
深く息を吸って長く吐く。気が緩んだせいか、今度は体が空腹感を訴え出した。こんな時でも腹は減るのかと妙な感心と呆れを抱きつつ、レンはひとまず何か食べてから挨拶をしようと決めた。
緑の国の料理、と言うより食べ物はとにかく美味しい。気候が良いのか土壌が肥えているのか、特に野菜と果物は同じ物でも黄の国とは全く違う。
ただし、食べ物は東側も負けてはいない。穀類は三国でも最大の収穫量に高品質。生まれ育った場所や作った人の腕などの要素を差し引いても、黄の国のブリオッシュは最高だと思う。
最低限の空腹を治める程度の料理を食べたレンが一安心し、カイト王子を探そうとした頃、紺碧の髪に青い王族衣装を纏った男性が近付いて来るのが見えた。
「初めまして」
男性から落ち着いた声をかけられ、レンは頭一つ分程背の高い相手に初めましてと返す。
「ご挨拶申し上げます、レン王子。私はカイト・マークリム。青の国第三王子です」
男性は胸に手を当てて恭しく挨拶を述べる。声をかけられる前に見当はついていたが、やはり彼が青の王子だったようだ。レンは探し人が向こうから来てくれた事に感謝をしながら会釈をする。
「黄の国王子レン・ルシヴァニアです。そちらから挨拶に来て頂きありがとうございます。カイト王子」
名を名乗ってカイトを見上げる。青の王子は自慢話を始める事も無く、柔和な笑顔で言葉を返す。
「この程度であればいくらでも。レン王子はお忙しくて公の場に中々出られないと聞いていますから。今回のような機会を逃す訳にもいきませんよ」
冗談交じりの台詞が当たり前のように決まっている。自慢話もせず、嫌味を感じない態度に好感が持てた。
神経を使わなければいけない貴族達よりずっと心が軽い。解放感に恵まれたレンは自然と口を動かしていた。
「父も母もこの世にいない以上、王子の私が黄の国を背負わなければなりません。即位は成人してからと決めていますが、実質的な王として国を治め、青や緑と共栄を図りたいと思っています」
普段は挨拶に来ただけの、特に初対面の人間にここまで話さない。適当に相槌を打って終わりだ。自分でもかなり不思議に思うが、何故かカイト王子には警戒や疑いが微塵も出て来ない。と言うより、そんな感情を抱く事そのものがありえないと感じる程だ。
他人に心を開かせる雰囲気と品格。彼は人の上に立つ者に必要な素質を持っている。
レンが尊敬と羨望の念を抱いているとは知らず、カイトは微笑んだまま話題を変えた。
「そう言えば、晩餐会が始まる前にリンベル殿とお会いしましたよ」
「リンベルに?」
レンは怪訝な顔でオウム返しをする。部屋に帰ってリンベルと会った時、何となく機嫌がよさそうだとは思っていたが。自由行動の間にカイト王子と会っていたのか。
「何でまた?」
黄の国の侍女と青の国の王子。接点が全く見えず、レンは無意識に疑問を口にする。呟きを耳にしたカイトは僅かに眉を上げて答えた。
「中庭を通った時に偶然姿を見かけまして。声をかけさせてもらったんです」
へえ、とレンは納得して返事をする。この王子様に話しかけられれば女の子は特に喜ぶだろう。リンベルは森での一件があってから気が沈みがちだったから、カイト王子のお陰で少しでも元気になったのならありがたい。
「黄の国の王宮で働いているのと、レン王子の付き人であるのを誇っているようでした」
良いメイドを雇ったと打算も計算も無しにカイトは語る。リンベルを褒められたレンは得意になって笑顔を見せた。
「ええ。自慢の侍女です」
平民だから、名字が無いからと言う理由だけでリンベルやリリィを馬鹿にする者は多く、当て擦りをされる事も珍しくない。貴族から奇異の目を向けられる事がほとんどの中、カイトのように身分で人を判断しない人間は貴重だ。
「長話にお時間を取らせました。それでは」
カイトは謙遜していたが、長くは無くとも充実した時間を過ごせた。レンはカイトに礼を言い、満ち足りた気分で青の王子を見送っていた。
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