第十章 02
 焔姫が再び立ち止まる。
 声は発しない。だが、圧し殺しきれずに全身から漏れ出す殺気がありありと伝わってくる。
 前方をよく見れば、かすかな光が見える。どうやら隠し扉に開けられたのぞき穴なのだろう。暗黒に慣れた身には、国王の居室へと差しこむわずかな月明かり程度でも、ずいぶんと明るく感じられる。
 その光に、ここにいる誰もが国王の居室の前までたどり着いたのだと理解していた。
 時刻はあと一刻ほどで夜明け。予定通りの時間だ。
 焔姫がのぞき穴から国王の居室の様子をうかがう。どうやら室内に動きはないようだ。
 のぞき穴があるとはいえ、まだ視界のほとんどは暗黒に包まれている。焔姫の姿を視認出来るはずもなかった。だが、それでも焔姫が拳を強く握りしめ、かたかたと震え出しそうなほどに緊張しているのを男は感じた。
 男は焔姫の肩に手を置き、優しくさする。
 落ち着いて。
 口にはしなかったが、その気持ちはちゃんと焔姫に伝わったようだった。一度深呼吸をしてゆっくりと肩を上下させると、焔姫は肩に乗っている男の手を握り返してくる。
 焔姫の手は、ひどく冷たかった。
 その手のひらの感触も、すぐに離れていく。
 焔姫が覚悟を決めて、隠し扉を開けようとする。
 その瞬間、その隠し扉の向こう側からばたばたと音が聞こえてきた。何者かが国王の居室へと入ってきたのだ。
「サリフ!」
「……何……? こんな、時間に……」
 すんでの所で、焔姫は隠し扉を開けるのをこらえる。
 名を呼ばれ、寝台の上で何かがもぞもぞと動く。国王の居室にいたのは元宰相のようだった。当の元宰相は寝ていたのだろう。その声は不機嫌そうで、同時に当惑していた。
「……ハリドか? まだ、夜明けにもなっておらんのに何の用だ……?」
 どうやら、国王の居室へとやって来たのは元貴族らしい。
 扉一枚をへだてたそこに、元凶である二人がそろっている。だが、すでに二人の目が覚めているという事を考えると、部屋に突入するのが上策とも思えない。この状況をチャンスと見るべきか否か、焔姫もまた判断を迷っているようだった。
「……ふん。決まっているだろうが」
「……まったく、何なのか知らんが、ぶしつけにもほどがあるぞ。それがこんな時間に押しかけた者が国王にとる態度かね?」
 元宰相の声音はいらだちを隠そうともしないものだったが、それについては元貴族の声音もまた同様だった。
「そう、それだ。貴様の態度だよ」
「……?」
「貴様の態度が、気に入らないんだよ」
「何だその物言いは。私が国王だというのに――」
「うるさい! だいたい、国王の座は我のものだったはずなのだ……。それを、貴様のような者がかすめ取りおって――」
 のぞき穴からは、部屋の全体を見渡せるわけではない。せいぜい寝台の上でうんざりした様子の元宰相が見える程度だ。元貴族の姿はここからでは見えない。
「――くくっ、たいそうおめでたい男だな」
「何がおかしい!」
「これが、笑わずにいられるかね。そなたが国王? おろか者の寝ぼけ話にしては、それなりに面白いかもしれんがな」
「何だと? 我がおらねば王座を手に入れる事など出来なかったくせに、よくもまぁ他人を馬鹿に出来るものだ」
「それこそそなたの言えた事ではあるまい」
「何ぃ?」
「そなたの王宮への襲撃を成功させるために、私がどれだけ骨をおり、お膳立てしてやったと思っているのだ」
「何がお膳立てしてやった、だ! あの生意気な小娘の居場所も分からなかったではないか。そのせいで、あの襲撃は失敗したんだぞ!」
「それこそ私はちゃんと言ったぞ。焔姫の行動を把握する事など出来んとな。その時そなたが何と言ったか忘れたのか? そなたは『大した問題ではない』と言ったのだぞ。三十二人もの人数で襲撃すれば、この小さな王宮内のどこにいても混乱のうちに倒せるとな」
「ぐ……」
「自信満々にそう言った結果、そなたはあっさりと焔姫に形勢をくつがえされ、捕まったあげくに処刑されかけたではないか。あの時私が国王を刺しておらねば、そなたなど焔姫にあっさりと殺されておった。私にはそなたを見捨てる事だって出来たのだぞ」
「……うるさい」
「あの時もそなたはおろかな振る舞いを止めんかった。焔姫に傷を与えたあの時に、さっさと殺しておけばよかったものを……。そなたが後の事を考えもせずに蹴り飛ばしたせいで、焔姫におめおめと逃げられたではないか。あのような馬鹿な真似さえしておらねば、とっくに焔姫などこの世にはおらんかった。そうすれば、この国と王宮を手に入れた今なお、焔姫の存在におびえるような情けない真似をせずとも済んだのだ」
「……うるさい。うるさいうるさいうるさい! ええい、まるで我だけが失敗し続けておるかのように好き勝手言いおって――」
「――事実ではないか。それなのに功績をあげた私より、失策を繰り返して私に迷惑をかけ続けているそなたが国王にふさわしいなど、世迷言に過ぎん」
「――御託は聞き飽きた。もう……もううんざりだ! お前ら、入って来い!」
 とたん、がしゃがしゃと金属音が響く。鎧を着込んだ者たちが、部屋に入ってきたのだろう。焔姫たちからは、元宰相の姿しか見えないままだ。その元宰相の表情でさえ、月明かりの影になっており、うかがう事が出来ない。
「な……何だ、そなたたちは!」
「ふん……。決まっているだろうが。貴様を殺して、我が国王として即位するのだよ」
「ふ、ふざけるな! おいっ、衛兵!」
「ひひっ、衛兵など来ぬよ。我が追い払っておいたし、そもそも今の近衛兵たちはそのほとんどが我の味方だ」
「貴様……。初めから、私を始末するつもりで……」
「ふん……。そうでなければ、一体誰がこんな時間に貴様の所になど来るものか。……さて、もう未練もなかろう?」
「ま、待て! ……分かった、分かった! 国王の座はそなたに渡す。何でも言う事に従って――」
 寝台から立ち上がり後ずさろうとする元宰相に、何者かの影が重なってどん、とぶつかる。それがどういう事か、考えずともはっきりしていた。
 影はすぐに離れるが、その影の歩き方はぎこちない。義足なのだ。
「――ふん。もう遅いわ。我をさんざん侮辱し続けた報いだ」
 元宰相が寝台に崩れ落ちるのを見届けると、元貴族はそう吐きすてる。
「ゆくぞ。サリフの味方をする者どもは皆殺しにしてやる」
 他の者たちは特に何も言わなかった。ただ、下卑た笑い声だけを響かせ、部屋から出ていってしまう。
「……」
 物音がしなくなってからもしばらく待ち、安全だと確信を得てから、焔姫は音もなく隠し扉を開ける。
 すでに、室内にはひと気はない。
 物言わぬ骸となった元宰相が、寝台に仰向けになって倒れているのみだ。その骸はまだ温かく、寝台を赤く染める血は湯気を上げている。部屋にはもう、生臭い血の匂いが充満し始めていた。
 焔姫が部屋に足を踏み入れる。それに続き、皆も国王の居室へと侵入した。
「サリフ……馬鹿な男よの」
 焔姫は元宰相の骸を一瞥し、そう吐きすてる。
「なぜ彼は……国王を裏切ったのだろう。ハリド公と共謀してまで……?」
 男にはずっと疑問だった。
 元宰相には、これといった反乱の理由がない。もともとこの都市国家の重鎮で十分な権力を持っていた。生活にも困る事はなかったはずだ。
「……なれは、優しい男じゃの」
 焔姫は腰から剣を抜き放ちながら苦笑する。
「なれとは違ってな、多くの者は欲望に際限がない。もっと金が欲しい、いい暮らしがしたい、うまいものが食べたい。権力、名声、女……とどまる事を知らん。民のために自らを犠牲に出来る為政者など、そう多くはない。人のよさそうな皮をかぶっておったが、所詮はサリフもそんな者どもと大差ない俗物じゃったというだけの事じゃよ」
 そう言う焔姫の顔は、悲しそうだった。だが、その琥珀の瞳に浮かんでいるのはまぎれもない闘志の光だ。
「そんな男のせいで父は死に……多くの民が血を流したのじゃ」

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい
  • 作者の氏名を表示して下さい

焔姫 42 ※2次創作

第四十二話

初登場の時から、元宰相は悪く見えないよう、けれどそういう視点で見ると腹黒いんだろうな、と思えるよう伏線を書いてきたつもりです。
書きすぎている、という事はさすがにないと思うのですが、逆に書かなさすぎて伏線になりきれていないんじゃないか、と思っていたりします。

閲覧数:66

投稿日:2015/05/25 23:49:52

文字数:3,310文字

カテゴリ:小説

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