少女の村にカイトが着いたのは、僧院を出て三週間後の昼頃のことだった。
 旅程としては四分の三が過ぎたあたりで、旅をしやすくなる場所に着くまでの最後の難所になるあたりだ。
 ただでさえ車も乗り物もほとんど使えぬ場所に、地震や雷、大雨などの災害が多発しているのだ。土地はすっかり荒れ果てている。
 人間以上の耐久力があり、送られる正確な情報から己の位置情報や危険性を確認でき、食糧などを必要としない彼でなければ、何度死んだり行方不明になったりしていたかわからぬような状況だった。
 以前同行者があったときに見た美しい平和な村が、嘘のような廃墟になっている。道も畑も草に覆われ、野生化した作物を獣が荒らし、建物は修理されぬまま風雨にさらされることで今にも崩れそうになっている。
 自然はこんなにも強いものなのか、自分とて何かの危険で動けぬほどに壊れれば、この造形物達と同じように、瞬く間に自然に飲み込まれるのだろう。そんな思いがカイトの脳裏に動く。
 カイトは記録機器を使わずとも、己の視界に移るものが『アーカイブ』にすべて送信されることを喜ばしく、そして残念に思いながら、村の中をゆっくりと歩いた。
 家の中、畑、小屋、墓など、すべての映像や音を少女の代わりに己の記憶装置に収めて送信する。
 少女の見たい何かが自分の見た物の中にあればとそう願い、その反面で変わり果てた故郷の姿に彼女が悲しみはしないかともそう思う。
 彼女の言っていた塔はどこにあるのだろう、カイトは己の地図情報と見えているものを照合し、それらしい建物を探す。彼の居る場所からは少し離れた、村の西の境界近くにあるようだった。
『行かなければ、そして伝えなければいけない』
 ふっと意識の内側に現れた命令に従い、カイトは塔を目指し歩き出した。
 道らしきものをたどり、林を抜けて着いた塔は不思議な偉容を持ってカイトの目の前に現れた。
 十メートル以上はあろうかという、四角柱に似たその塔は、彼が今まであまり見たことのない形をしていた。
 四角い石を何百、何千も積み上げて造られ、所々に小さい穴が開いている。天井近くはよく見えなかったが、四隅の柱と屋根があるようだった。
 どこか入れる所はあるかと彼が視線を下に向けると、彼の背丈ほどの高さの所に入り口のようなものがあった。
 脇には朽ちた板のはしごがあり、以前はそれを使って出入りしていたのであろうことが読み取れた。
 登れないと諦めるのは簡単だったが、諦めるという結論を出す前にまた『行かなければいけない』という命令が彼を動かした。
 塔の外側にある石の凹凸を使い、彼は入り口にやすやすとたどり着く。塔の内側は暗かったが、壁の所々から入る光で壁の内側に階段のあることが見て取れた。
 足下と壁を慎重に探りながら、彼は階段を使い塔の上へ行く。上からの光でだんだんに周囲が明るくなり、振り返り見る下が暗くなる。髪を乱す風にあおられそうになりながら、彼はついに塔の一番上へ到着した。
 たどり着いてすぐに鈍い真鍮色の釣り鐘と、横につるされている撞木とが見えた。彼が二人並んで入れるくらいの大きな太い四隅の柱と鐘だけがある吹き抜け、そこにかかる天井、そして強い風だけがある。
 何か模様のような、文字のようなものがびっしりと彫られた鐘は、予想していたよりは案外と小さい。並べば彼が抱えられるくらいの大きさであろうか。
 鐘の周囲、吹き抜けを取り囲む遠い風景には、彼が今まで歩いてきた道のりと、これから向かう場所の姿がある。あの少女が居た僧院は点ほどにも見えはしない。
 少女の姿を思い出し、カイトは撞木を動かした。体全体を震わせる音が鐘から生まれ、無人の土地に広がっていく。音が消えきらぬうちに彼はあと二度、鐘を鳴らした。
 人の姿がない土地に響く、人でしか作り出せぬ音になぜかふと、僧院で聞いた祈りの歌が思い出されていた。
 鐘を鳴らし、そこから見える風景を確認していた彼の目に、柱の一つに開いた穴とその内側に見える階段のような物が見えた。
 あの穴は最初からあっただろうかとそんな疑問が彼の中をよぎったが、ひょっとして撞木を動かし鐘を鳴らしたことで、何か仕掛けが動いたのかもしれないと、そんなことも考えられた。
 もしあの階段でさらに上まで行けば、この鐘を下ろすことはできないだろうか。
 カイトはふとそう思い暗い穴に似たその階段を見る。
 その論理はおかしいと自分の中のプログラムは判断する。外観から見た構造ではありえない物がそこにある。
 身の安全を確保するという基本原理に従えば、不審な物に近づくべきではない。彼のセンサー類は目の前にあるあの階段が、周囲と同じ素材でできたごく普通の構造物だと判断している。しかし、おかしくない物がおかしい場所にあるのだ。
 判断を迷っていた彼の思考に何か一つの結論が出てきた。
『私は、届けなければいけない』
 その結論に『何を』『誰に』という部分はなかった。
 人が時折人工知能の出す結論の突飛さを理解しきれぬのと同じ理屈で、表層意識であるカイト自身も、自分の内側にある論理機構が出した結論を理解しきれぬことがある。
 ただそれでも、彼自身の中の何かが言っていた。
『私は、届けなければいけない』
 と。己の基本原理を超えてもなお、それは必要なのだと何かが命じている。
 衝動か、天啓か、深い計算の果ての何かによるものか。
 わからぬまま彼は階段へと歩を進ませた。


 暗い石造りの螺旋階段をカイトはゆっくりと上へ進んだ。
 明かりもなく、自分の稼働音と石を踏む音が聞こえるだけの静かな道を、石段の数を数えながら一足ずつ登る。
 段を一千まで数えたところでカイトは目を細めた。やはり自分が今いるのはごく普通に見えて普通ではない場所だとそう思う。
 単純に計算しただけでも自分のいる場所は、あの鐘楼の上からさらに何百メートルも上ということになる。それなのにまだ上も下も深い闇が続いているだけで、何一つ変化がないのだ。
 そうしてまた、階段の角度も壁のカーブもおかしかった。柱の中を進んでいるにしては奇妙に広い。まるであの塔の中に柱がつながっているかのようだった。
 引き返すべきだろうか。
 そう思うとまたあの結論が先に行けと命じる。行くしかないだろうと思い直し、彼はまたゆっくりと階段を上り始めた。
 階段を上るうちに、無音の環境で何かが誤作動を起こしたのか、何か音のような振動が聞こえてきた。何の音だろうと彼はセンサーを確認するが、彼の機構に記録されているのは彼自身が出している音だけだ。
 可聴域でも、非可聴域でもない音が聞こえている。不協和音の重低音が重なったような音とも曲とも判断しかねる、振動センサーにも感知されないレベルの何かが聞こえている。
 自分自身に処理しきれぬそれの音源を探すのは難しいだろうと彼は判断し、不審はそのままに彼はまた先へ進むことにした。ありえぬ場所にいる自分に、起きえぬ何かが起きてもそれは同じ現象の一環であろうとそう考えた末でのことだった。
 階段を進むうちに、音は相変わらず音として記録できぬままであったが、薄皮を一枚ずつ削ぐように不快な音の重なりが軽くなっていくのが感じられた。
 階段を二千まで数えた頃には、音は何か彼の知らぬ和声の歌であるように変化していた。
 三千段目を数える頃には、あの音は彼が記録した僧院の歌の一つに似ていると判断できるものになっていた。
 聞こえていないはずのものがなぜ、そう聞こえているのだろう。
 そんなことを考えて彼の注意がふと階段からそれる。そのときに彼の目の前に唐突に変化が起きた。
 足下の感触が石から草を踏んでいるものに変わっていた。
 周囲が暗いのは同じだったが、音の反響から彼はどこか広い場所にいることが推察できる場所に立っているのが理解できた。
 どこにたどり着いたのだろう。そう思ってカイトが様子を探るため手を持ち上げると、彼の手は大きな板のようなものに触れた。
 これは何だと思う暇もなく、板は彼の手から逃げるように奥へと動いた。
 扉が開いたのだと彼の経験が判断したとたん、凄まじいまでの光が扉の奥から漏れ出した。強い光による故障を避けるため、とっさに彼はに目を閉じた。
 彼を包んだ光はまぶたの向こうで、波が引くように静かにその力を弱めていく。
 空気が前から後ろへ、やわらかい風のように動いた。その風も髪をわずかに乱した後すうっと消えていった。
 そうして閉じていた目を開けた時、彼は見えている現実と自分が認識している現実にとまどい、緊張した面持ちで息を飲んだ。


 カイトは目の前でそうであると認識している映像と、自分の情報処理機関がエラーを出し続けている状況の齟齬にひどく混乱していた。
 美しい草原のような風景の中にいて、目の前には人の形をした誰かがいる。
 映像としてはそう感じられるのだが、それ以外のものを捉えようとするセンサーは彼が何もない空間にいる、もしくは高密度のエネルギーの中にいると処理している。
 何が起きているのだという客観的な分析が何一つ行えない。
 ずっと続いている『届けなければいけない』という命令と、危険から脱せよという判断が相争っていて指一つ動かすことができずにいる。
 目の前にいる何かはそんな彼に言葉をかけるでも、驚くでもなくただ静かに立っていた。
 映像としては姿形が隠れているわけではないと感じられるのだが、不思議なことに目の前の人物は男なのか女なのか、若いのか年寄りなのか、人種も体格もまるで判断ができなかった。
 男だと思えば男に、女だと思えば女に見える。知っている顔だと思えば知っている顔に、見知らぬ顔だと思えば見知らぬ顔に見える……そんな様子だった。
 あたりまえではない場所にいて、ふつうの生命体が前にいるわけではない。
 彼は自分がおかれている状況をそう判断し、人間の感覚と似た処理機関以外のセンサー類を全て一時的に遮断した。その遮断により警報が切れ、もう一つの命令だけが優位になる。
 これでエラー処理によるシステムへの過負荷を避けられる。
 ようやく体が動かせる状況になり、彼はほうっと息を吐いた。
 緊急対応を行ったことで親機関の『アーカイブ』にコールは飛ぶだろうが、それはそれだ。
 どのみち先ほどからずっと、おかしなことばかりが起きているのだ。最終地点が極めつきに異常だからといって、どうということもない。
 彼の処理を感じたのか、目の前にいる人物らしきものは笑ったような気がした。
「私の元にたどり着いたのが、人ではなく機械人形とはな」
 人物はこの世のどんな言葉とも判断できぬ言葉と声で、ただそうとしか処理できぬ内容のことを語った。
「あなたは何ですか? そしてここはどこですか?」
 カイトが尋ねると人物は言った。
「私は世界に歌を求めた者。ここはたどり着きたいと願った者のたどり着く場所だ」
 具体的な内容を人物は言わなかった。だが、その言葉が答えそのものであることは理解できた。
「なぜ、あなたは歌を求めたのですか?」
 カイトの再びの問いにその人物は答えた。
「生きる者達が何を望んでいるのかを知るために。私の元にたどり着きたいと願い、歌を届けたいと願っているのかを問いかけるために」
「あなたにとっての『歌』とは何なのですか?」
「お前にとっての『歌』と同じ意味であろう。言葉を音に乗せたものという定義だけがその意味ではない」
 人物の言葉に、カイトの意識めいたものが明滅する。
 プログラムされた定義という意味ならば、彼にとっての『歌』は言葉を音やリズムに乗せたものでしかない。
 しかし、彼や彼の兄弟姉妹たるアンドロイド達が『歌』を正確に再現するよう進化し続けたのは『歌』が単純なそういったものではなかったからに他ならない。
 吐息や間合い、微妙な強弱、声のかすれ具合、表情や身振り手振り……そういったものすべてが本当の『歌』の構成要素だと彼らは判断していた。
 ゆえにそれらによって表現される『歌』は、人間の『心』の記録なのだとカイトの中のプログラムは判断していた。
 そうか、この人物が求めているのは生きる人々の『心』なのか。
 カイトが出した結論を感じ取ったのか、目の前の人物は何か笑ったように感じられた。
 声に出して言わずとも、多分彼の結論は感じ取られている。そんな確信があった。
 カイトは二度の願いが投げかけられた後の事を思い出し、尋ねる。
「あなたのもとには、多くの歌が捧げられているのではありませんか?」
 人物は静かな声で答えた。
「届いているとも言えるが、届いていないとも言える。いくつもの色が混ざって黒くなるように、いくつもの歌が混ざればただのうなり声にしか聞こえぬ」
 ただ一筋の強い気持ちを持ってここにたどり着いた最初の存在がお前だと、人物は言った。昔はまれにそういった人間もいたのだが、ともそう言った。
「人の写し身よ、戻るがよかろう。お前が人の身代わりになることはない。誰もそれを望んではいない」
 目の前の存在に作り物と蔑まれたわけではないとカイトは感じた。
 だが、自分の中にある『心』や『意志』に似たものを無視されたような、そんなプログラムの動きがあった。人ならば不快と感じるような、そういったものだった。
 彼らは人類への奉仕者として生まれ、存在意義を与えられた。逆らうことも支配することも可能だったが、その方向に向かわぬことを誇りとする存在だった。
「……私は、人々の『歌』を刻まれた存在です。多くの人々の思いを形にした『物』です。私があなたの元に届けられたのは、人がそれを望んだからなのではないでしょうか」
「では、なぜ人が自らここにたどり着けないのだろうか?」
 疑問を問うのではなく、カイトに答えを選ばせるため……そう判断できる様子で人物は問いかけた。
 カイトは己の回路に与えられた負荷をなるべく低レベルで処理し、答えを探す。
「私は『最適』を求めて進化し続ける存在です。人間のあたりまえの生よりも長く、多くの情報を処理しながら稼働しています。だから私が先にたどり着いたのではないかと判断します。私の差し出す物で足りぬのならば、いつか誰かがきっと追いついてあなたにそれを渡すことでしょう」
「自ら進んで供犠になろうというのか」
「この場にたどり着けたというその事実が、すべてを示す証拠です」
 カイトの答えに人物は微笑んだような印象があった。そして人物は片手を上げた。

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい

「ある歌の物語」-Pane dhiriaに寄せる幻想(2)

新城PのKAITOオリジナル曲「Pane dhiria」(http://www.nicovideo.jp/watch/nm9437578)をもとにした小説の2話目です。

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投稿日:2021/02/07 22:33:53

文字数:5,978文字

カテゴリ:小説

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