一枚の銀貨を僕は指で弾いた。
空を舞って、銀貨は僕の指の上に落ちる。
薄暗い空の下、僕たちは廃材を集めている。
そうしてお金にして、食べ物を買うのだ。
まあ、そんなこと簡単に毎日うまくいくはずもない。だって、廃材だって使えるものと使えないものがある。缶を見つければ儲けもん。さらにアルミ缶ならベスト。高く買い取ってくれる。それでも銅貨一枚分くらいにしかならないけど。アルミ缶が落ちている確率なんて雨が一週間連続降り続けるくらい。つまり相当低いってこと。
ちなみに僕が持っているこの銀貨は銅貨十枚分に値する。それくらいの価値があるものって僕はあんまり持っちゃいなかった。だってあまりにも偶然過ぎたから。廃材の隙間に落ちていた銀貨。僕はそれを神の恵みだって思った。そう思った。
僕がずっと銀貨を見つめていると、もう一人廃材集めの仲間が僕に言った。
とんでもないものを見つけた、って。
普段はあんまりそんなことを言わないのに、どうしたというのだろう。
そして僕をある場所へと連れて行った。廃材の山が連なる、その谷。
それは――そこにあった。
「……ロケット?」
あなたはそう、こくりと頷いた。
この薄暗い世界にひとつぽつんと置かれたミサイルは、どうやら動かないようだった。
薄暗い空は、この世界が汚れてしまった証。それでもたまには青空は見えるらしい。僕は見たことがないけれど。だから、純粋な『青』ってものを知らない。
「これでどこかに行ければいいのになあ……」
だから、僕はぽつりとつぶやいた。
あなたはそれを見て、輝く太陽のように――笑みを浮かべた。
「出来るよ」
続けて、あなたは言った。
「1.5リットルの現実逃避行計画、目的地は衛星都市。参加者は二名まで、そのうち一名は決まっているよ。どう?」
あなたは僕に手を差し伸べた。
その笑顔に――僕は吸い込まれるように、あなたに近づいた。
そして、僕はその手をしっかりと握り返した。
同時に――僕たちは弾ける泡の海へ沈んでいった。
≪ロケットサイダー≫
サイレンが聞こえた。
そのサイレンは何かの危険を示しているのか、けたたましく鳴り響いていた。
そして轟音とともに、徐々にサイレンの音は小さくなっていく。
泡の海で、僕はそれを感じた。
泡の海で、僕はそれが何か解らなかった。
泡の海を潜り抜けた先、僕たちが辿り着いたのはロケットの中だった。
でもロケットの窓から見える景色は、暗闇だった。時折、ぽつぽつと赤や白の点が見える。
「あれが、宇宙だよ」
あなたはそう言って、操縦桿を握った。
「そしてここはもう対流圏。僕たちの星からサヨナラ」
窓から見える、薄暗い雲に覆われた球体。
それが僕たちの星って気づくのに、そう時間はかからなかった。
徐々に、徐々に僕たちの星が小さくなっていく。
そしてそれに反比例してある星が大きくなっていく。
月。
僕たちが暮らしていた星の衛星で、衛星都市がある場所。
徐々に近づいて、僕たちは安全に着陸した。
月の都市は僕たちが思っている以上に高いビルがあったし、人もたくさん暮らしていた。けれど、月の裏側は僕たちが思っている以上に何もなかった。
「なんにもないね」
そう言ったあなたの笑顔が、僕は好きだった。
月を旅立ち、僕たちは先へ進む。衛星都市はすぎちゃったけれど、宇宙にはまだ人が住んでいる場所があるかもしれない。あなたはそう言ったからだ。
僕とあなたは、手をつないでいた。
あなたの細い指が、僕の指に絡まる。
僕が顔を赤くしながら俯いていると、あなたは僕のほうを見ていた。
あなたも、顔を赤くしていたんだね。
恥ずかしいのかもしれない。
けれど、そこには誰も居ない。
恥ずかしがる必要なんてないのだけれど、それでも――恥ずかしかった。
旅はまだ続く。
食料は無限に近いくらいため込んであるけれど、まだ人の都市は辿り着かない。
僕と彼女は歳を取る。このロケットはあまりにも速い速度で動くことが出来るみたいだけど、それでも限界はあった。
この旅の果てには、何があるのだろう。
きっと解っていたとしても、僕たちは知らないふりをするだろう。
今なら。
今だから。
今が幸せだから。
だから別の都市を見つけた時は、嬉しかった。
ついに見つけた、って。
ついに僕たちは、別の都市を見つけた――って。
その都市は白い雪が降っていた。
人は少なかったし誰も外には出ていなかった。その雪は熱くも冷たくもなかった。珍しい雪だった。
わずかに、崩壊していく都市が見えた。
「月に行きたい」
もう年老いてしまったあなたは、僕にそう言った。
きっとこれが最後の宇宙旅行になるのかもしれない。
月に向かおう。
そう思った僕は操縦桿を握る。
思えば僕がこれを握るのは初めてかもしれない。ずっとあなたがこれを握ってきたから。
僕はあなたの行きたい場所へと向かう。
どこまでも、どこまでも。
――それが最後の、夏だった。
月の裏側はやっぱり何もなかった。
やっぱり何もないね、とあなたは笑った。
僕もそうだね、と言って笑った。
ここは僕たちだけの場所。
僕たちだけの、幸せの場所。
こんなところで傷つけあうなんて気持ちを持とうなんて思うと、馬鹿らしくなってしまう。
あの都市の人たちに、いや、世界の人たちに見せてあげたい。
僕たちだけの幸せの場所を。
この夢は――きっと醒めない。
「……起きて」
それを聴いて、僕は目を醒ました。
随分と長い間、眠っていたらしい。
ロケットは動くはずもないぽんこつで、周りは廃材だった。
「やっぱり、夢だったのかなあ?」
あなたに問いかける。
あなたは言った。
「何度でも、星を巡ろうよ」
そうだね、と頷いて僕は外に出る。
ふと見ると、自動販売機が視界に入った。
自動販売機は廃材の山の一部となっていたけれど、なぜか電気が通っていた。捨てられていない、ということかもしれない。
なんとか銀貨一枚で飲み物を買えそうだ。
二人で飲み物を分け合って飲もう。僕はそう思って、『彼女』に訊ねた。
――サイダーがいいな。
彼女は青空のような輝く笑顔で、そう言った。
<終>
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