「久しぶりだな」

任されていた仕事を終わらせ、俺はケイからの電話を、来栖に言われたとおりに躱しながら、晴れ渡った空の下、俺は墓標の前にいた。

名を――藤田沙希。俺が奏者として舞台に立てるまでに昇らせてくれた、最初にして最後の相棒だ。

俺がもっとしっかりとしていれば、と思い返すこともある。彼女が亡くなっても、その音楽を後世に残せたはずだと……

俺は後悔の念に駆られそうになるのを、頭を振って払い、最近あったことを語ることにした。

コンクールはちょうど始まった頃合い。ミクの出番までは、およそ3時間といったところだ。その間、俺はここで沙希に話をすることにしていた。

最初に出てきた話題は、未だに俺がテスト奏者としてヤマ八研究機関に関わっていること。最近になって社運をかけたプロジェクトが本格始動し、そこでもテスト奏者――性格には調律士として参加するようになったこと。その対象が初音ミクと言う、人間としか思えないロボットだと言うこと。

気づけばミクの話のみになっていた。まぁ最近起こった最大の出来事と言っていいのだから仕方がないと思うが。

時計を見ればすでに1時間は経過していた。気にせず「それでな――」と続きを告げていく。意識的にコンクールから目をそむけるように。だが、俺の話に携帯の着信音が割って入った。

画面を確認すると、添付ファイル付きのメールだった。差出人はケイ。何かと思い届いたメールを開けば、ただ一言。

『ミクを助けてくれ』

いやな予感とともに添付ファイルを開けば、流れ出てくるのはミクの声。技術力と言う面では随分と完成されてきている。

しかし、ミクの歌には程遠いものだった。明るく、皆を元気にする歌なのに、歌声に楽しさが感じられない。感じるのは不安、恐怖。俺が知る彼女の歌はいつの間のか負の感情で彩られ、最後には機械的な歌へと辿り着いてしまった。

当初の目的である、機械が人の領域へと足を踏み入れること。機械の歌声で人の心を振るわせること。この歌はそれには遠く届かない。聴衆の心へは届かない。

「これが、結果か……っ!」

目的と、手段を取り違えた結末だった。

彼女の歌を聴く聴覚が告げる。心が告げる。このままではいけない、と。このままでは彼女の歌は永久に壊れてしまうと。

だが理性が駆け出そうとする足を止める。今もたらす結果以上の災厄を呼び寄せるのではないか、と理性が抑圧する。

身にしみた、世間の冷たい視線が心に蘇る、残酷なまでの鋭い罵声が再び鎌首を上げる。

「俺は――」

――また逃げるのか、と。また失わせてしまうのか、と。お前がミクの歌に感じた未来を、何もせず壊れるのを待つのか、と。

脳裏にフラッシュバックする光景。過去の――藤田沙希が口にした言葉が蘇る。

俺たちには音の世界を伝える義務がある。失わせず守る義務がある。だから――

俺は沙希の墓へと向かい合い、「悪い沙希。用事ができた」と告げ、背を向けて走り出す。

――守ってあげてね、つっちー。

時間はぎりぎりだ。1度沙希との約束を守れなかった俺に何ができるのかはわからない。しかしもう逃げ出すのは御免だった。車に乗り込み、法定速度をぶっちぎる勢いで走り出す。


♪ ♪ ♪


ミクは控え室で自分の順番が来ることを静かに待っていた。正確に言うならば、お気楽に騒いでいられる状態にないと言える。

「ミクは、だいじょうぶ。だいじょうぶだよ」

胸元で両手を合わせ、初めて感じる押し潰されそうなプレッシャーに必死に耐える。成功させることが第一。ミクの結果で、ヤマ八に勤める方々の人生を左右することになるのだ。

「だいじょうぶ。だいじょうぶ…………っ」

最高のパフォーマンスを出せるように身体の調節もした。練習もしてきた。だいじょうぶ。だってミクは機械なのだから。整備不良でもない限り、100%の力を出し切れるはずだから!

「ミク、出番だ」

「……はい」

来栖の迎えとともに、ミクは立ち上がる。

来栖の後ろを歩きながらステージへ向う足取りは重い。まるで徐々に深くなる泥沼の中を進むかのように。

途中で来栖の背が目の前から消える。ステージにはミクしか上がらないのだから当然と言えよう。スポットライトに照らされるステージは、白さが際立ち、潔癖ゆえにミクを受け付けていないようにすら感じる。

それでもミクは進み、熱い光の中心にその身を躍らせる。

「ミクは……だいじょうぶ」

言い聞かせるようにつぶやくと同時、館内アナウンスが響き渡るとともに、カーテンがミクに視界を譲る。

「っ!?」

開けた先に見たのは、今までに見たこともない人、人、人。それらの視線が一点――まさに今、ミクに向けられ集中する。

あまりの視線の圧力に思考がまとまらない。自然と身体が震え上がる。

――怖い。

素直にミクは思った。思わず身体が後退りそうになる。だが震える身体はそれすらも許さない。

時間の感覚も狂う中、耳にメロディが流れてくる。そこで初めてミクは歌わなければ、と思う。知っているフレーズ。あと少しで歌いだし。

だからミクは息を吸い込み、最良のタイミングで歌いだす――

「……っ」

異変に気づいたのは2フレーズ過ぎたあたりからだった。館内のどよめきに、パニックになったままの思考が1つの事実に気づく。

ミクの声が――出ていないことに。

どうして、と焦る気持ちを抑えてなおも声を出そうとするも、口は開けど音が出ることはなかった。

伴奏だけが過ぎていく。目の前にはどよめきから徐々に冷たくなる聴衆の視線がミクへと無遠慮に刺さる。

頭の中が真っ白になっていく。向けられる視線があまりにも冷たく、怖いために前を見ていられず俯いた。

――助けて……

勝手に瞳から溢れる涙。漏れそうになる嗚咽を堪えるためにスカートの裾をぎゅっと握る。それら全ての事実が、ミクが役に立たなかったんだと冷酷に告げていた。

――助けて……創詩さんっ!

ついには止んでしまった伴奏――伴奏者にすら見捨てられ、孤独という世界にミクの心は今にも折れそうだった。刹那、音が来た。

初めはミの音。連なるようにアップテンポに音が館内を踊った。まるで館内のざわめきを窘めるように。

音は踊る。ざわめきすらも取り込むように。もっともこの音が届けたかったのは、1人の少女へ。

「つく、し……さん?」

ミクは気づく。今、声が出たことに。それだけではなく、身体の震えも徐々におさまっていく。

会場にいたっては、滞っていた冷たい視線が消え、皆が音に耳を傾け始めていた。

「すごい……」

ステージに現れていないのに。スピーカー越しだと言うのに、会場の人々に耳を傾けさせる音の世界。

温かく、やさしく包み込んでくれる音の世界。その世界に、1つのリズムが生まれる。これはミクへの合図。発声練習をするときに取っていた、リズムだ。

音に頷くと、ミクはゆっくりと息を吐き、大きく吸い込む。

「ラ~~~♪」

観衆の目が光るステージであることも忘れて声を出す。自分の声を自分の声足りえるために。

通常音域から高音域へ。さらに低音へと落して一気に高音へと上げる。

「……うんっ!」

音域、声量ともにいつも通りの感触を得てミクは大きく頷く。するとモニタで見ているのだろう。館内を踊っていた音が徐々にテンポを変え始め、聴衆が気づくより早く――

「――――――♪」

――ミクの声が館内で形成していた“音の世界”という舞台へ上がった。

ミクの声は館内を満たしていた姿見えぬ奏者の音へと応え、奏者は申し出を受け彼女の声とともに踊る。

機械の少女の声と、見えぬ奏者の旋律。2つの音は手を取り合い、館内を縦横無尽に駆け巡る。それは紛れもなく音楽であり、今まで冷たい視線を向けていた観客を、驚きとともに震わせた。

自然と動く身体をミクは止めることをしなかった。歌を紡ぐ今のミクには、観客の視線、反応など意識の端にもなかった。あるのはただ、歌を紡ぐと言うことが楽しいということだけ。

今こうして歌を紡げる、楽しさを味わえる幸せを噛み締めていた。嬉しさのあまりに、思わず涙腺が緩むも、ミクは涙にするよりも歌へとその嬉しさを変換した。

“歌う”楽しさを、1人でも多くの人に知ってほしいと。機械の私でも心から楽しめる“歌”という世界を、1人でも多くの人に体験してほしいと想いを込めて。

気づいた時には、ミクの歌は時間をも虜にしたのか、プログラムよりも多くの時間を彼女の歌で彩ることを許可されていた。


♪ ♪ ♪


創詩は演奏していた手を止め、モニターで盛大な拍手を浴びるミクに満足そうに頷く。

これでミクの評価はしっかりとされるだろう。思わず演奏を終えた手で「よしっ!」と握りこぶしを作る。

それだけ、俺自身も言いようのない充足感が身体と心を支配していた。

「今回は、礼を言うべきだな。創詩」

「んおっ!?」

だからだろう。今俺がいる演奏室の扉が開いたことに気付けなかったのは。

「なんだ、来栖か」

「助かったよ創詩。このままでは我が社の被る利益に予定以上の損害が出るところだったからね」

相変わらず曲った礼の言い方だな、と思うも、それでも今の気分が悪くなることはなかった。

「しかし良く思いついたものだな。人前では鍵盤1つも叩けないお前が伴奏するために、館内放送につながっている予備演奏室を使うとはな」

そう。本当、いやマジで何も考えずに会場に来てみて焦ったもんだ。何しろ俺自身、過去のトラウマで公衆の面前で演奏ができない状態にあるのだから。

「我ながら上等だったろう? 過去の経験が活きたってわけさ」

この国際フォーラムには過去何度か演奏をしたことがあり、施設のことを多少なりとも知れていたのが大きかったと言うわけだ。

「そうか。しかし、これでアレもアーティストと認められることになるだろう。もっとも、早急に解決しなければならない欠陥があるがね」

「それもすぐになくなるさ。デビューのときなんて皆、あんなもんだろうよ」

「沙希は違ったがな」

「あいつを比較に出すなよ。ありゃ規格外だ」

来栖から沙希の名前が出ても、にっと笑っていられる今の自分が心地よかった。

俺は「さてと」と前置きをして立ち上がり、

「後の仕上げはプロに任せて、俺は帰るよ。これ以上、俺が関わったと知れれば、ミクの評判に影響が出かねないからな」

「わかっているじゃないか」

「お前が言っただろ? あれの怖さは、俺が一番身に染みてるってよ」

「じゃあな」と来栖に告げて会場を後にした。今日1日は続くだろう充足感を胸に抱えて。


♪ ♪ ♪


来栖は去って行った創詩の背を見送ると、無線にてこれからのことを簡単に説明する。なぜなら、詳しく説明しなくても、すでに準備は済んでいるのだから。

「これもお前の計算の内か? 来栖」

「不満かケイ? お前の求めた結果だろう?」

「不満なんてねーよ。あるとすれば、俺の名を語ってあいつにメールを送りつけたことぐらいだ」

「ったく、俺らからは情報の掲示を抑止してたくせによ」と忌々しげに悪態を吐くも、ケイの顔は台詞と逆の表情を浮かべていた。それもそうだろう。何せ今日は――

「愛娘である初音ミクの華々しいデビューの日であり、オレ達の希望である鈴森創詩の復活の兆し、なんだからな」

言いながら来栖の表情も綻んだ。いつも冷酷なまでに社の利益を求める男の表情が、あの頃に良く見せた――創詩、沙希、ケイ、来栖、4人で音楽界を震撼させてやろうとアーティストの道を歩んでいた――音楽を愛するもののそれに。

「そうだな」とケイも頷くと、2人はそれ以上語ることなく、演奏室からそれぞれのタイミングで退室した。今感じている喜びを、未来の彼らへと繋げるために。まだまだ準備は必要なのだから。


♪ ♪ ♪


「さぁ今夜も終焉に近づいてきたぁっ! CDランキングも大詰め! 栄えあるTOP1はぁっ!

切なく、かわいらしく歌い上げた1曲。今夜は奇跡とまで言われたピアニストとのセッションで奏でてくれるとのことです。それでは皆さん、お聞きください。

――ランキング#1。2月14日リリース。初音ミクで、『Heart とぅ バレンタイン』」


「ぐっ……やはり身体が緊張が」

「何言ってるんですか創詩さん! さぁ、行きますよ♪」

満面の笑みでさしのばされた手を、俺は苦笑交じりで手を取る。

ステージ上では眩しいほどのスポットライトに照らされ、ミクはその愛くるしさを身体いっぱいで表現していた。


ミクがデビューしてからのこの1年。彼女はついにトップアーティストの仲間入りを果たし、そしてデビュー時の真相とが明らかになり、一時は危うい注目を浴びるも、ヤマ八は予測していたかの如く動き、気付けば俺は再び――ステージへと立たされていた。

ミクの相方として。理由は様々あるが、結果としては、

「創詩さんじゃなきゃ嫌ですっ!」

とミクが駄々を捏ねたあげくに俺じゃないと辞めるとかとんでもないことを言い出し、結果としてヤマ八は俺を起用せざる得なくなり。俺はと言うとトラウマも強制的に克服させられ…………

「まったく、こんなわがままを言うとは思わなかったよ」

「だって、それ以外考えられなかったんだもん♪」

業界に入り、揉まれたミクは強気であることを覚えたらしく、今ではおどおどすることが少なくなった。彼女の変化はもちろん歌にも現れ、幅の広がった歌は彼女を不動の位置へと押し上げていた。

『それでは皆さんお聞きください――』

DJが進行を促してタイミングコールが送られる。俺は1つ深呼吸をし、鍵盤の上に指を躍らせた。

追随してミクの歌声が響きわたる。今では人の領域をも超えかねない歌声が。

俺は伴奏をしながら天を仰ぐ。ステージ上からの報告が、一番いいと思ったから。

「沙希、俺は今、ここにいるよ。お前以上になるだろう歌い手とともに」

もう逃げないよ、と。お前が愛した“音楽”を、俺が奏で伝い続ける、と。

機械仕掛けの歌姫とともに。



――どんなことがあろうとも、ミクにはあなたしかいないんです。


だから創詩さん。できればずっと傍で、ミクを見ててください。


ミクが、ミクであれるように――

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい

夢の現実へ ~最終話~

文字数的な問題で少し読みづらいかもしれません。

閲覧数:91

投稿日:2012/07/08 20:44:21

文字数:5,932文字

カテゴリ:小説

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  • とうの。

    とうの。

    ご意見・ご感想

    まずは、連載お疲れさまでした!
    最後まで勢いが衰えることなく、すっきりと話がまとまっていて、とても楽しく読ませて頂きました^^

    これからの2人を想像すると勝手にによによしてしまいます(笑
    きっとケイ達にからかわれながらも仲良くやっていくんだろうなぁ…と

    ミクだけでなく、他のオリジナルキャラクターも作りこまれていて、世界観が想像できる作品だったと思います

    とにかく楽しかったです!

    素敵な作品をありがとうございました!

    2012/07/12 10:56:42

    • hazre

      hazre

      最後まで読んでいただいてありがとうございました!
      いろいろ更新が遅くて申し訳なかったですが、読んでいただいて幸いです。
      また機会があれば突発的にUPしたいと思いますので、ご意見ご感想ありましたら是非宜しくお願いします!

      2012/07/12 14:42:27

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