ある2月14日、天気は晴れ。いつも休日は8時に起きる俺の身体は、7時15分に、物理的な息苦しさに襲われて眼が覚めた。
 眼の前には漆黒の髪と綺麗な黒い双眸を持った、肌がびっくりするほど白くて小さな可愛い少女がいて、口付けができそうなほど近い距離で俺の眼を凝視していた。
「・・・おはようカイト。今日はここに行くぞ」
珍しく早起きをしていたらしいマスターが、開いた雑誌を右手に持って跨っている。・・・俺の胸板に。
「マスターおはようございます。とりあえず降りてください」
「えー・・・」
 不満を漏らしながらも俺の上から降りたマスターから雑誌を受け取る。上半身を起こして開かれていたページに眼を通すと、大きな字で『オススメ!彼氏とのバレンタインデーデートプラン百種!』と書かれていて、綺麗なお店の写真が貼ってあった。
 そう、今日はバレンタインデーなのだ。
「マスター・・・!マスターの辞書に『バレンタインデー』の文字はあったんですね・・・!」
「・・・ん?カイト、お前は私を誤解してないか・・・・?」
「すごく嬉しいです!だって昨日全然言ってくれなかったから、もしかしたら忘れてるんじゃないかと思ってました」感動で僅かに潤んだ瞳を拭くと、マスターはいつもの無表情で、でも少しバツが悪そうに見下げていた顔を背ける。
「言うの、面倒くさかったから・・・。速く着替えろ」
 既に外出用の、俺の物とお揃いの青いマフラーに、薄い桃色と白のチェックが綺麗なミニスカートと花柄のアクセントが付いた長袖に身を包んだマスターに急かされたので、
「マスター、すぐに着替えるんで待っててくださいね」
「分かった」
「・・・・・・あの、リビングで待っててください」
「・・・気にするな」
「部屋の外で待っててください。お願いですから」
「・・・ちっ」
マスターを廊下に追いやって着替えた。パジャマを脱いでズボンとシャツを着て、いつもの白いロングコートと空色のマフラーを巻いたら準備完了。
「着替えましたよー、それじゃあ行きましょうか」俺が笑顔でドアを開けると、廊下で体育座りをして待機していたマスターが、無表情のまま首だけひねる。1人納得したように頷くと、
「・・・・ちょっと待ってろ」
そう言い残して同じ2階である隣の部屋、マスターの部屋に姿を消してしまった。
 数十秒後、何かを持って帰ってきた。
「何ですか?それ」ベージュの、毛糸の編み物みたいだけど・・・見覚えの無い物をマスターは俺の両手にしっかりと握らせる。
「・・・ニット帽。これかぶれ。・・・あと、コートは目立つから、別の上着に着替えてこい」
「? わかりました」
 言われたとおりに、部屋に戻って、コートの代わりに去年の冬に買ってもらった白のジャンパーを羽織って、ベージュの帽子をかぶった。伸びる素材でできているみたい。だけど、小さなマスターのサイズのせいなのか、若干頭に締まる。
「どうですか?似合ってますか?」
「・・・しゃがんで・・・」
 しゃがむと、ただでさえきつい帽子の中にさらに前髪を詰められた。一旦離れて、また近づいて、今度はマフラーをジャンパーの中に入れられる。最後にぽんぽんとマフラーをジャンパー越しに2回叩いて、満足そうに口元を歪めて笑った。
「・・・よし。行くか」
「はい。・・・あの、イメチェンですか?この格好」
「あぁ、そんなもんだ・・・。・・・・今日だけは、カイトが『KAITO』として見られるのは、ちょっと困る」
「へぇ~・・・そうなんですか」
 よく分からないまま返事をすると、マスターはさっさと玄関に向かって、階段を下りていってしまった。
「・・・?まあ、いっか」
 俺も階段を下りようとして、壁に掛けられた鏡と眼が合う。そこには、ニット帽をかぶった20代前後っぽい男が映っていた。トレードマークの青い髪もマフラーも隠れているので、まるで別人みたいだ。我ながらだけれど。
「・・・あんまり、似合って無いかも」
 しげしげと鏡を見ても、やっぱり格好良くは思わなかった。


「・・・・・・なあカイト、ここにいる人間だけでも消滅すれば、少しは地球温暖化防止の貢献になるかな・・・?」
「そうですね、あまり物騒なことは言わないでくださいね」
「・・・隕石とか落ちないかな・・・」
「丸聞こえてますよマスター」
 沢山の人がいる交差点で、青信号を待っているマスターがぼんやりとした表情で零した。これ本気で言っていたら怖いですよねー、・・・本気じゃないことを祈ってます。
 マスターは人混みが苦手。寧ろ、人間自体が苦手だとたまに言っている。そのためか休日は、どこにも行かず家でゴロゴロと過ごしているのが常だ。
 だから時々、マスターが「出掛けよう」と言うのは、俺と何かの行事を過ごす時ぐらい。傲慢かもしれないけど、まるで俺のためにしてくれているみたいで・・・。
「マスター。俺、すごく楽しみです」自然と、言葉が口から零れて、笑顔になってしまった。
「・・・ん。そうか」
俺より身長が低いマスターは俺を見上げて、嬉しそうに口元を歪めて笑う。ちょっと意地悪そうないつもの笑みに、また笑顔が溢れてしまう。
「・・・・なぁ、今日、台所に行ったか?」
 すると意味不明な答えが返ってきた。
「え?・・・いや、行ってません」
「そうか・・・じゃあ、帰ってから話す・・・・」
 信号が青になったのを見て、マスターはさっさと道路を渡り始める。後ろを付いて行きながら、俺はさっきの言葉の意味を考えていて、・・・・・・そういえば。
 マスターの調理している姿を見たことが無い。初めて家に来た俺に振る舞った料理は、蕎麦(インスタント式) だった。
「マスター、まさか・・・」チョコを作ろうとして、失敗した・・・!?
「ん?」
「・・・いえ、何でもないです」
 ・・・・家に帰るまでは忘れていよう。



雑誌で見たお店は、中もとても綺麗だ。甘いお菓子の香りで満たされた店内は、沢山の男の人と女の人がいて、その人たちの顔も幸せそうに輝いている。
「いらっしゃいませ~。ご予約の方ですか?」
「はい。予約した舞鶴です」
「それでは、そちらの席でお待ちください~」
 女の店員さんが勧めてくれたレジの前の椅子で、店内の席が空くのを待つことになった。
「・・・ここ、普段はアイスメインのケーキバイキングだって。・・・多分、チョコアイスとかもあるんじゃないか?」
「本当ですか!?この世の天国じゃないですか!」
「・・・そうだな。カイト、本当にアイス好きなんだな・・・」
「はい!早く順番来ないかな~」
 そんなことを話していると、さっきの店員さんが2脚の椅子がある円型のテーブルに案内してくれた。
「お客様、『カップル割引』はご利用になられますか~?」
「お願いします」
 マスターが人当たりのよさそうな笑顔で答える。それから店員さんは、制限時間は2時間だとか、それまでチョコやケーキやアイスは食べ放題だとか、アルコールは別料金だとか説明してくれて、最後に「詳しい説明はこちらで」とメニューを渡して去っていった。
「じゃあ、取りに行くか・・・」
「はい。ところでマスター、『カップル割引』って何ですか?」
 沢山のデザートが並ぶテーブルに向かいながら、さっき聴いた言葉を質問した。やっぱり、安くなったりするのだろうか?
「・・・名前のままだな。男女一組だと、料金が安くなるんだ・・・ほら、書いてあるだろ?」と言って、さっきのメニューの最後のページを開く。
 そこには確かに、『彼氏、彼女の皆様にオススメ!カップル割引!~※人型アンドロイドとの入店の場合、適応されません~』の文字が・・・あれ?
「あのマスター・・・これって、」
「店員さんは通した。問題ない」
 ・・・・・・この格好はそういう意味ですか。
「でっでも、やっぱり違反は・・・」それでもマスターに違反を犯させたくない俺は、一生懸命に抗議する。しかしマスターは俺を睨んで一言、
「・・・五月蝿い。いいから喰え。」
 そう一蹴された。話は終わったと言わんばかりにそっぽを向き、有無を言わせない気迫を放ちつつ、籠からとった皿にチョコを盛っていく。俺は色々な事を諦めて、パン挟みで目の前のチョコを取った。

ライセンス

  • 非営利目的に限ります

甘い愛を、君へ

今回は、マスターがバレンタインにこじつけて、カイトといちゃこらする話です。

閲覧数:270

投稿日:2009/02/14 13:58:37

文字数:3,400文字

カテゴリ:小説

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  • 秋徒

    秋徒

    ご意見・ご感想

    時給310さんへ
    いつもコメントありがとうございます!
    本当はバレンタインが来る前に、本編は終わっているはずだったんです…orz 本編での惨状と、今回のほのぼのを比べてみると面白いかもしれませんw
    励ましありがとうございますm(_ _)m直ぐにでも続きを、と言いたいのですが…実は、そろそろ現実世界でテストがあります(^^;
    次まで間が空くかもしれません。気長に待ってやってくださいm(_ _)m


    Raptor1さんへ
    お久しぶりです。コメントありがとうございますm(_ _)m
    長くなったのは仕方がないんです。久々の投稿だと張り切った副作用です。兄さんの誕生日ですし。←しかし小説であんまり触れていないという…orz
    『出来がよくなった』だなんて、何という嬉し恥ずかしいぉ言葉(*/ω\*)! 今すぐ「ひゃっほいwww!」と奇声を上げながら転がりたい衝動にかられます。寧ろして良いですか?あ、駄目ですかそうですか。
    兎も角、誉めの言葉をいただいて感激しています。ありがとうございました!

    2009/02/16 16:22:37

  • 時給310円

    時給310円

    ご意見・ご感想

    いやいやいや、これはこれで本編の番外編みたいなもので、全くの無関係というわけでもないのでオッケーなのではw

    こんにちは秋徒さん、読ませていただきましたよー。
    いちゃこら承認。むしろ推奨。 ←オイ
    自分のやりたい放題、しかしどこか憎めない、猫っぽいマスターが大変Goodですね。ホント、このキャラ付けは秋徒さんにしか出来ねえと常々思ってます。
    どうもごちそうさまでした。スランプなんて、物書きなら日常茶飯事ですよね。焦らずボチボチやっていきましょう。

    2009/02/15 10:42:08

  • 秋徒

    秋徒

    その他

    作者の秋徒です。今回はこの場で、皆様への感謝と謝罪を綴りたいと思いますm(_ _)m

    おひさしぶりです。はじめての方は初めまして。
    とある諸事情で、説明不足な後書きが出来てしまいました;;おまけに編集もできないうつけ野郎です(ノд`。)
    そして前の作品を読んでくださっている皆さん、三週間ぶりの投稿が続きじゃなくてすみません!スランプって、気分転換に他の作品を書きたくなったんです!出来心だったんです!orz…楽しかったです(殴
    今度こそは続きを書きます!…書ければいいなぁ(ォィ

    ここまで読んでくださった読者様に感謝の気持ちをこめて。ありがとうございました!

    あ、兄さん誕生日おめでとう!(遅い

    2009/02/14 21:43:02

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