今一度深呼吸すると、すうと空気の流れる音が鼻孔内に染み渡り、澱みない新鮮な空気が俺の体内にある人口肺を巡り、次の瞬間にはふうと吐き出された。
ここの空気は今まで吸っていたものとは別物だ。
いくら俺が酸素を必要としないアンドロイドでも、発声には空気を必要とするし普通に呼吸することも出来る。
それに、嗅覚や味覚がある俺には空気の質というものが分かっているのだ。
施設内の空気は無機質で冷たく、薬品臭い。
今まで来た下水道などドス黒く濁った独特の異臭を放つ空気を漂わせ、呼吸をしなくても肺の中に黒々とした空気が雑菌と共になだれ込むその感覚は、生きている実感を失うほどだ。
だが、そこから脱出し森林へ抜け出た途端、目の前は美しい新緑が広がり、鳥の囀りや風の音が耳心地よく、そしてこの新鮮な空気。
環境は十分良いとして、これからどうするか・・・・・・。
俺は煙草を咥え、バックパックから取り出したライターで火をつけた。
そして、体内無線で少佐を呼び出した。
「少佐。今下水道から森に抜けた。だが周りが木々に囲まれていて通信連がどこにあるか分からない。」
『今君がいる位置から北東側にある。その場所から北東を目指せば通信連が見えるはずだ。』
「分かった。しかし、この場所ではレーダーは使えないのか?」
レーダーの液晶画面を見ても何の反のもなく、中心に俺が表示されているだけだ。
『それは当然だよデルさん。』
「ヤミ?」
『あなたのレーダーは無機質の物体に対して反応するから、森林なんて植物が生い茂っている場所で役に立つ筈がないよ。』
「最もだ。」
『だけど、一応兵士や敵アンドロイドの姿は表示されるから、それを頼りにして。』
「ああ。」
『そうだデルさん。ちょっと雑草とかに身をかがめて、じっとしてみて。』
「え?」
『いいから。』
俺はヤミに言われるままコンクリートの床から雑草に足を踏み入れ、その場に静止した。
『いい?よくスーツを見て。』
視線をスニーキングスーツに下ろすと、そこには驚くべき光景が広がっていた。
「おお・・・・・・これは・・・・・・!」
俺は思わず感嘆の声を漏らした。
そこには、無造作に生い茂る雑草の中に完全に溶け込み、もはやこの大自然と完全に同化した俺の体があった。
『どう?最新のデジタル迷彩、カモフラージュクローク機能。スーツがセンサーで周囲の景色をスキャンし、それに最も適した保護色に変色するよ。』
俺が余りに驚いたので、彼女の口調は得意げだ。
「驚いたな・・・・・・。」
『それは地面に近ければ近いほど高いカモフラージュ性能を持つの。だからしゃがんだ状態や伏せた状態が一番背景に溶け込め易いから。』
「なるほど。」
俺は試しに地面の土に手を乗せると、その部分だけが土の色に変色した。
なんて機能だ。今まで全く気がつかなかった。
『とにかく、それで被発見性はぐんと下がるから、森での行動が楽になると思う。』
「そうだな。新機能の紹介、感謝する。」
『しかも、周囲の風景をあらかた読み取れば、スーツが標準で迷彩色になるよ。』
「もはや至れり尽くせりだな!」
『そうだねー。』
無邪気な子供のように感心する俺に、ヤミは微笑み混じりで頷いた。
俺もいつの間にかオリーブドラブの迷彩色になったスニーキングスーツを見ながら、少々得意げな気分になった。まるで、誰も持っていない特殊な能力を自分だけが独占しているような気持ちだ。
実際こんな装備を持てる兵士が世界にどれだけいるのだろうか。
「これだけの装備があれば十分だ。後は通信連を目指すだけだな。」
『あ、待って、今PLGに通信連の位置をそっちに送信させるから。』
『PLGです。目標地点のマーキングを、完了しました。』
レーダーには通信連への位置が光点となって表示されていた。
「何から何まで・・・・・・ありがとう。ヤミ。」
『当然。これでもあなたのメカニカルアドバイザーなんだから。』
「そういえば、ヤミはワラと連絡を取ったのか?」
『いいえ。向こうの無線周波数が分からないから。』
「なら、あとでワラとヘリで合流すると思うから、そこで無線を繋いでやろうか。」
『え・・・・・・いいよ。そんなことしなくても。』
「戦友なんだろう?遠慮するな。向こうもお前と話せれば嬉しいかもしれないぞ。」
『・・・・・・うん。分かった。できたらお願い。』
「ああ。」
『よし、デル。レーダーを頼りに通信連を目指すんだ。』
少佐が会話の終わりを告げた。
「了解。」
俺は無線を閉じると、レーダーが示す方向に向け草木を掻き分けた。
施設の次はジャングル・・・・・・今日は様々な境遇に出くわしている。
こんなにも実戦で多種多様なシチュエーションが発生するなら今後のVRFTではバラエティに富んだものを増やせばいいかもしれない。
この任務は今後の訓練内容に大きな影響を与えるだろう。
「!」
突然、遥か頭上からターボジェットエンジンの咆哮が轟き渡り、俺は反射的に身近な気に身を貼り付けた。
直ちにスーツのセンサーが反応し、スニーキングスーツには木と同じ模様が刻まれ、次の瞬間には完全に木と同色になっていた。
エンジン音は森の上空で数秒滞空したのち、何処かへ飛び去っていった。俺はその姿を確認しようと空を見張った。
あの音・・・・・・通常の戦闘機のものより遥かに甲高く、まるでチェーンソーとエンジン音を掛け合わせたような音だ。
あの音の正体は、恐らく飛行用のウィングを装着した戦闘用アンドロイドだ。テロリストはあんなものまで持っているのか。
ヘリのようにホバリングする柔軟な空中機動と、戦闘機にも引けを取らない速度性能を併せ持つ、まさに空中最強の兵器。
俺が手にしている9ミリ経口の拳銃弾を発射することしか出来ないこの銃では、あれの装甲に大しては無意味に等しく、正面から挑んでも勝機は皆無。
それに、今朝空軍の機体を撃ち落したのもあれだろう。
俺は空中に警戒の視線を巡らせながら、再び林の中を歩き出した。
そのとき、体内無線のコール音が俺を呼び出した。
「どうした?少佐か?」
『・・・・・・わたしだ。』
その声は、あのFA-1のものだった。
「またお前か。」
『そこから、あと五分ほど進めば通信連にたどり着ける。だけど、通信連の周りにはたくさんの地雷が埋まってる。そのまま歩いていっては危ない。』
「ではどうしろと。」
『地面に伏せるんだ。地雷は人が近づいたことに反応して爆発する。でも伏せた状態なら近づいても爆発しない。』
人の接近に反応する地雷、つまり対人指向性地雷、クレイモアだ。
確かに、それなら伏せた状態ならセンサーは反応しない。
「しかし、俺には地雷がどこにあるかなんて分からないぞ。」
『大丈夫。君の持っているレーダーならどこにあるかまでは分からないけど、近くにあることは分かるはず。』
言ってる意味がよく分からん。
「とにかく、地雷があるということだな。それに関しては礼を言っておく。それで、お前は今一体どこにいるんだ。」
『君の・・・・・・すぐ近くにいる。』
「お前は何の目的でこの施設に潜入して、俺の妨害をして、それで俺に付きまとう?一体何がしたいんだ?!」
怒りのこもった口調で無線に訴えると、彼女の返事は止まった。
『・・・・・・。』
無線の向こう側で、何か声のようなものが震えている。
『やっぱり・・・・・・まだ、怒っているのか・・・・・・。』
「・・・・・・。」
彼女の言っていることの意味が、一瞬で理解できた。
彼女は俺に対して攻撃したことで、深く反省を感じているのか。
『・・・・・・君も博貴を助けようとしてたのに、わたしは何も聞かずに、一人で勝手に思い込んで、それで、君を襲って、酷い目にあわせて、わたしは、本当にどうしようもない・・・・・・気を失って、もう・・・・・・もう・・・・・・。』
俺を襲ったことで自責の念に駆られている彼女の心境が無線越しに伝わった。
俺は、自分がしてしまったことの重大さに気がついた。
あの時、彼女は親密な関係にある網走博貴を助けたい一心で我を失い、邪魔するもの、敵と見られるもの一切を排除しようとしていた。
全ては博士を助けたいという一途な想いであり、そうと考えると、あの時俺が彼女と対峙したのはやむを得なかったことと言える。
だから、俺にはもう彼女を責める気はない。
彼女自身も十分反省している。
それなのに、俺の発言は彼女に更なる不安を与えてしまったに違いない。
何よりも、俺は純粋な少女の心を傷つけてしまったのかも知れない。
「もう過ぎたことだ。あの時は余りにお互いを知らなかった。だから起こってしまったことだ。だが、今はこうして冷静に話が出来る。それでもう十分だろう。」
『でも・・・・・・わたしは・・・・・・。』
「もう自分を責めるな。それでもまだ不満があるなら、あとでゆっくり話をしよう。」
『・・・・・・ありがとう。それじゃ、地雷には気をつけて。』
「ああ。」
俺は無線を閉じ、先を急いだ。
木々の合い間からは、既に通信連のヘリポートの一角が見えている。
あと、少しだ。
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