その光があまりにまぶしかったので、レンは思わず目を閉じてしまいした。やがて光が治まったので、レンは目を開けました。
「え……?」
景色が、まったく変わっていました。いえ、いるのはあのお屋敷の庭です。でも、目線が今までと比べて、ずっと高くなっていました。そのため、景色が変わって見えたのです。
……それだけではありません。目の前に、リンがいました。でも、今までのように、リンの顔を見上げるのではありません。正面から、リンの顔を見ているのです。リンはというと、胸の辺りで手を握り締め、驚いた表情で、レンを見ていました。
いったいどういうことなのでしょうか。疑問に思ったレンが何気なく視線を下げると、自分の手が視界に入りました。思わず手をあげ、眺めます。そう、今のレンには、手がありました。それだけではありません。水の外に出ているのです。今、レンが立っているのは、あの池のほとりでした。鏡のように凪いでいる水面を見ると、人影が二つ映っています。片方はリン、もう片方は自分でした。魚に変えられてから六年も経ってしまったせいで、ずいぶん成長してしまっていますが、自分であることはわかります。
「人間に……戻ってる」
思わず、レンはつぶやきました。レンの声を聞いたリンが、はっと息を呑みます。
「……その声……お魚さんなの?」
どうやら、声は変わっていなかったようでした。少しためらいはありましたが、レンはリンの問いにうなずきました。
「そうだよ。……僕が、お魚さんだ。魔法をかけられて、さっきまで魚の姿でいたんだ」
「どうして、人間に戻れたの?」
「それはよくわからないけど……たぶん、君のおかげだ」
レンはそっとリンの手を取りました。ずっと、触れてみたいと思っていた手に。
「じゃあ、消えなくていいの?」
「……たぶん」
ルカの意図がわからなかったので、レンはあいまいにうなずきました。
「良かった……」
リンがそうつぶやいた時でした。こちらにやってくる足音が聞こえました。はっとなってそちらを見ると、従者を引き連れたカイトでした。
カイトは、池のほとりに立っているレンとリンを見て、驚いて立ち止まりました。そして、次の瞬間、大きな声で叫びました。
「レン!? レンなんだなっ!?」
叫ぶやいなや、カイトはすごい勢いでこちらに走ってきました。
「よく無事でいてくれた! あの魔女にお前がかどわかされてからというもの、父上も母上も、もちろん私もものすごく心配していたんだぞっ!」
「……僕がわかるの?」
さっき水面で見たかぎりでは、魚に変わっていた六年の間に、レンは身長が伸びてかなり面変わりしていました。正直、人間に戻ったはいいものの、どうやって身分の証を立てたらいいのかと思っていたところだったのです。
「実の弟だぞ! わかるに決まっている!」
カイトはきっぱりと断言しました。その声と真剣な表情に、レンはほっとしました。兄はわかってくれたのです。
「それにしても、いったいお前はどこに連れて行かれていたんだ? この屋敷にいたのか?」
「えーと……いたといえば、いたんだけど……僕、その……魔女のルカを怒らせてしまったせいで、ずっと魚に変えられてしまっていたんだ」
「魚!?」
当然ですが、カイトはひどく驚いていました。
「あの魔女ときたら、なんてことを……」
「ルカのせいじゃない。兄上に忠告されていたにもかかわらず、ルカにイタズラをした僕が悪かったんだ。あれはしていいことじゃなかった」
「だからといって六年だぞ! 六年もの間、お前を魚に変えるだなんて、あの魔女は何を考えていたんだ!?」
ここまで怒っているカイトを、レンは初めて見ました。そして、すまなく感じました。
「……ごめん」
「お前が謝らなくていい! 父上も父上だ。あんな魔女にお前のことを丸投げするだなんて……」
そこまで言ったところで、カイトの視線が、レンの隣にいるリンに止まりました。リンは相変わらず汚れ放題の格好で、呆然とその場に立っていました。
「レン、その子は?」
「ああ、ええと……」
レンははっとなりました。カイトは確か、リンを探していたはずなのです。
「兄上、金の靴は?」
「ここにあるが……何故お前がそのことを知っている?」
カイトは首をかしげながらも、靴を出してくれました。レンはカイトの手から靴を取ると、リンの足許に膝をつきました。
「リン、足を出して」
「あ、あの……お魚さん、どういうことなの? 王子様と兄弟って……」
レンはリンの問いには答えず、リンの左の足に、カイトが持っていた靴をはかせました。それから、芝生の上に落ちていたもう片方の靴を、右の足にはかせました。当然ですが、靴はぴったりあいました。
「兄上が探していたのは、この子だよ。名前はリン」
リンは恥ずかしそうにもじもじしながら、レンの後ろに隠れようとしました。
「そうは見えんが……知り合いなのか?」
「……うん。魚の僕を助けてくれた。僕が人間に戻れたのは、リンのおかげなんだ」
「そうか、そういうことか。あの魔女め、面倒なことを……」
「でも、結果的には全部上手くいったでしょ?」
突然聞こえてきた声に、その場にいた全員がそちらを見ました。いつ来たのか、芝生の上にルカが立っていました。
「カイト王子、六年前にあなたの両親は私に頼んだわ。どんな手を使っても、どれだけ時間がかかってもいいから、息子を矯正してくれとね」
「その代償が六年という時間だとは聞いていない!」
憤然とカイトは言いましたが、ルカは笑っただけでした。
「とにかく、言われたことはやったわよ。それとレン王子、あなたは人間に戻れたことだから、貸した魔法は返してもらうわ。もう必要ないでしょう?」
レンは反射的にうなずきかけましたが、そのとき、あることを思い出しました。
「……あ、えっと……リンは?」
「もう、あなたの力でどうにかできるでしょう? ああ、そうね。一つだけおまけしておいてあげるわ」
そう言うと、ルカは杖を振りました。杖から淡い光がこぼれ、リンを包み込みます。そして光が消えたその後は、きれいになったリンが、あの金のドレスをまとって、立っていました。
「……驚いた。見違えたな」
「兄上、兄上がリンを探していたのは……」
そこまで言って、レンは言葉を続けられなくなってしまいました。カイトが、いぶかしげな表情でレンを見ます。
「探していた理由か? そこの魔女が、その娘を探し出せたら、お前を返してやると言ったからだ」
言って、カイトはルカを睨みました。もっともルカは、気にしていない様子でしたが。
「返って来たでしょ?」
「それはそうだが……あんな回りくどい条件を出す必要が、どこにあった?」
「兄上、条件って?」
「二晩続けてその娘と舞踏会で踊り、どこの誰だか探し出せ、それができたら弟を返すと言われたんだ」
カイトは、その件に関してはまだいらだっているようでしたが、レンは安堵を感じました。
「じゃ、じゃあ……リンのことが好き、とかじゃなかったんだ」
最後の方は小声になってしまいました。ですが、カイトには聞こえたようでした。カイトは苦笑すると、弟の頭に自分の手を乗せ、レンにしか聞き取れないくらいの声でこう言いました。
「可愛い子だが……どう見てもお前の方がお似合いだ」
言い終わると、カイトはレンの背中を軽く押しました。リンの方に向けて。リンはまだ状況がよく飲み込めていない様子で、二人を見比べています。
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