女画家は筆を踊らせている。
キャンバスは色鮮やかに染まっている。
「随分うまってるね。そろそろ完成?」
昼上がり。青髪の男が横から彼女の絵を覗く。
「それなりに」
女画家は視線をキャンバスに向けたまま短く返事する。結った緑の髪が風に優しく靡いた。
「お茶でもしに行かない? 来た初日にそんなに頑張らなくてもいいと思うよ」
「今すごく描きたいから」
「じゃあ俺は流香ちゃんと街をぶらっとしてくるね。部屋の鍵は流香ちゃんに言って受付に返しておくよ」
「ありがとう。一段落したら私も休憩するから」
青年が、はは、と軽快に笑った。
「俺から見たらもう五段落ぐらいついてるよ。まあ、気が向くまでどうぞ。それじゃあ」
男は微笑んで丘を降りていった。
緑髪の女画家・未久は、ふぅ、と深く息をついた。正直に言うと彼は苦手。いつも軽やかで爽やかで笑顔を絶やさないから、何を考えているのか分からない。
「……ふぅ」
もう一つ息をついて、未久は筆を降ろし、キャンバスから視線を逸らす。
眼下、丘の下には巨塔よりも大きな樹木が力強く茂っている。その直径五十メートルはある枝枝にはツリーハウスに似た出立ちの木造家屋の町が広がっていて、吊り橋が折り重なるように幾重にも幾重にも走り回っている。木の中に溜め込まれているのか、染み出るように幹から流れ出ている小川。いくつにも分かれて、大樹の枝の端の端まで行くと滝になって、そして遥か底の根に向かって落ちていく。
ここはサナキア国のプスラス地方、ガシャクロの町。未久は、この町のことを港の噂で聞きつけて以来、実際に訪れて描きたいとずっと思っていたが、それを知ってか知らずか、あの青髪の冒険家・海斗に連れてこられたのは昨晩のこと。
「さて」
絵画の左中央でぽっかりと口を開けている、白い空白を眺めて、自分に掛け声一つ、キャンバスを畳んで、丘を降りていく。
モデルがいないんじゃ、これ以上は進まない。それに焦ったって良いものは出来ない。描きたい描きたい、と叫ぶ衝動をそんな言い訳で飲み込んで、未久は宿へ引き返した。
それから、近くの茶屋でクロ茶という大樹の新芽を煎じた緑茶を一刻ほど味わった。鶏がらスープらしいと表現すべきだろうか。濃密でいて、しつこくない。さっぱりともすっきりとも違う口当たり。けれども、まろやかと表現するには澄み切っている。
あーでもないこーでもない、と四苦八苦。画家に過ぎない未久は、美食家ほどの味覚も無ければ、詩人ほどの多彩な語彙も持ち合わせていないので、上手い表現が見当たらない。
「柔らかい味」
「そう、それ!」
同意の声を高らかに叫んでから、ハッと振り返る。
ははは、と海斗の笑い声。周りからは何事かと感興の視線。未久の頬は、熱い茶を飲んでいただけにしては随分と鮮やかな朱色に染まった。
「お疲れ。もう後は流香ちゃんがモデルをやるだけかな?」
「ええ」
「ならまた明日かな」
海斗の言葉に未久は首をかしげる。
「流香ちゃんが、お酒飲みすぎて宿で寝ちゃった、ははは」
「え……はははじゃないって! 流香はお酒飲み始めたばかりで強くないんだから」
たびたび話に挙がっている流香は、未久がお邪魔させてもらっている宿の女中である。歳はまだ二十で、一月前に漸く酒を飲み始めたのだが、海斗が言うには、先ほど果実酒を五杯ほど煽ったらしい。
「強がって対等に飲むって言うから、付き合ってあげたら……ね?」
「ねじゃない! そうなることなんて分かってたでしょ!」
未久の見幕に海斗は、悪かったよ、と口先ばかりの謝罪を並べる。どころか、これから飲みに行かないか、と誘う始末。
「反省してるの?」
「ははは、ごめんね。冒険家っていうのはこういう性分なのさ。振り返ってる暇なんてないんだよ」
はぁ、と溜め息一つ。断ると面倒くさいことになりそうなので、未久は酒場へと足を運ぶことにした。
「教えて!」
「まあまあ慌てないで」
「どの辺りが妖精なの? 教えて!」
「今は待つしかないね」
店に入ってどれほどかは覚えていないが、十分前からずっとこの問答が続いている。発端は海斗が、この町・ガシャクロの呼び名を上げたこと。
「なんで〝妖精の森〟って呼ばれてるの? 教えて!」
「何も知らずに見た方が感動するよ」
未久は、チャプロッカという大樹の実を三年間熟成させて作る果実酒をグイッと喉に押し込む。濃密なコクが喉に広がる。けれども随分と味がぼやけてきていることに未久は気付かない。
「教えて教えて教えて!」
顔を近づけて答えを迫る緑髪画家に、青髪冒険家は人差し指を自分の唇に当てて、ふっと微笑み。
「百聞は一見にしかず」
ムッと膨れた未久は、プイッとそっぽを向いて、残った果実酒を全て流し込む。
こんな風に言葉で説明しないところが苦手だ。いつもいつも自由奔放。人にペースを合わせようとしないで、自分のペースでなんでも決めるところが苦手。それに何より、この絶えない笑顔が苦手。
「未久? 大丈夫? 随分と顔が赤いよ?」
「酔ってません! すいません、チャプロッカ一つ!」
「ああ…………お姉さん、こっちもチャプロッカ一つ」
海斗は苦笑いを浮かべて、酔っ払った姫様に付き合うのだった。
三十分ほど経っただろうか。外が随分と騒がしい。
「始まったらしいね」
海斗は新しく出されたチャプロッカを一息に煽り、すくと立ち上がって未久の手を引いた。話によれば、流香と飲んだ分も含めて、かれこれ十杯は飲んでいるはずが、顔が少しだけ朱色づいている他に違いは見当たらない。
「なに?」
「妖精の目覚めだよ。さあ、行くよ」
勘定とチップを机に残して、二人は外に出た。
薄暗い。見上げれば、曇天が空を覆っていて、聞いたこともないような細かい霧雨がそよ風に舞っている。視線を落とせば、旅人姿の者達は皆丘へと歩いていく。
「僕らも行こう」
引かれるまま一時間、キャンバスを置いたあの丘へ。眼下にはガシャクロの大樹が霧雨に少しだけ白んでいる。
「何?」
未久は千鳥足。海斗に支えられて漸く立ってられるほど。
「見てて」
海斗は爽やかに微笑む。
やがて雨は上がって。太陽が雲の隙間から輝いて。大樹は澄み渡って。
「あ――」
驚きに声は消えいる。
大樹の枝という枝から、ゆらゆらとなびく白い羽が静かに生えた。透き通りそれは、後ろの風景を少しだけぼやかして伝える。ああ、それは育つように、徐々に大きくなっていく。やがて翼と呼べるほどに成長し、翼は風にするりと羽ばたいた。
「あれは……何?」
酒の酔いは吹き飛んだ。
「なんだろうね。俺も分からないよ。靄が特別な形で立ち込めてるのかな? それとも本当に妖精のいたずら?」
海斗は片手を腰に当ててガシャクロを見つめている。
「……綺麗」
それ以外の言葉が見つからなかった。
「俺は麗らかって感じるね。優しい感じ。未久もそう感じる?」
未久は、海斗の言葉選びは私には出来ない、と素直に尊敬しながら頷く。
「そっか。よかった。未久が喜んでくれてよかった」
海斗は心の底から、無邪気さが混じった満面の笑み。その眩しさに未久は言葉を失う。
「でも流香ちゃんには申し訳ないことをしちゃったね。今度何か奢らないと……ん? どうしたの?」
唖然としたままの顔を覗き込んでくる海斗を、どうもしてない、と一蹴して突き放す。それから、宿に戻る、と語尾を強くして言い放ち、ふらつく足取りで宿に向かう。
海斗がさっと追いついて、少し屈む。
「肩貸すよ?」
「いい!」
海斗を突き放してよたよたと歩く。
ああ、苦手。それにさっきのは酒のせい。
満面の笑顔が少しだけかっこよく見えたことをそう言い訳して、未久は帰路に着いた。
ガシャクロの絵画に一人の青髪男が描き加えられたのは、たわいない後日談である。
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