……コウが巡音さんに一目惚れした時、俺は正直、コウのことも巡音さんのこともどうでも良かった。いや、嘘は良くないな。
はっきり言おう。俺は巡音さんのことを不快に思っていた。巡音さんはミクの幼馴染で親友なのは知っているが、だからといって俺が好意を抱くわけじゃない。本人が俺を前にするといつもおどおどと自信なさげなのも、イライラする原因だった。訊かれたことにぐらい、はっきり答えろってんだ。かといって俺が声を荒げると向こうはびくつくし、ミクは俺に冷たい態度を取るし……。
だからコウが巡音さんを気に入った時も、こいつが巡音さんに強く迫ったら面白いかもな、なんて軽い気持ちで考えてしまったわけだ。もちろん、本気で巡音さんがコウになびくかもなんて思ってたわけじゃない。ただまあ、巡音さんの性格を考えると、コウに強く迫られたらひどく困るだろうし悩むだろう。そうなったら、多少はイライラの解消になるだろうな、なんて考えてしまっていたんだ。今思うと、最低の考えだ。
月曜の朝、いつものようにミクと一緒に登校――運転手つきの自家用車で送り迎え、っつーのは未だに慣れないんだが、仕方ない――してきた俺の目に入ったのは、ひっくり返ったコウと、それを前にして怒っているレンと蜜音、そして真っ青な顔で震えている巡音さんだった。
「ここにいるバカが、巡音さんにいきなり抱きつくというふざけた真似をしたから、締め上げてるんだよ」
どこからどう見ても怒っているレンが、そう説明してくれた。ちょっと待て。コウの奴、巡音さんに抱きついたのか? 積極的に迫ってみたらとは言ったが、何だってまた抱きつくだなんて方向に行ったんだ?
「とりあえず埋めた方がいいと思うのよね。その方が世の中の役に立つと思うから」
蜜音まで、冷たい口調でそんなことを言う。そりゃ確かにお前はコウのこと嫌いだろうが……埋めてしまえって……。
「いやそれは……さすがにまずいだろ。法に触れるぞ」
まさか俺が原因ですとも言えず、俺はそんなことを言った。い、いや……俺は間違ったことは言ってないよ、うん。埋めたらコウが死んじゃうじゃないか。
「初音先輩っ! 僕は初音先輩のアドバイスに従っただけなんですよ! 何か言ってくださいよ!」
こらっ、コウ! お前、言うにことかいて何てこと言いやがるんだ!? レンと蜜音がすごい目でこっちを見る。げ……下手な対応すると俺が死ぬかも……。
「クオ、お前……このバカに巡音さんに抱きつけって言ったのか?」
やばい。レンが本気で怒っている。くそっ、コウの奴なんてことしてくれたんだ。
「そんなこと言ってねえよっ!」
とりあえず、それは否定。抱きつけとは言ってない。というかこいつ、巡音さんのことろくに知らないくせに、良く抱きつくなんて発想がでてきたな。
「初音先輩、嘘ついて自分だけ責任回避する気ですか!?」
そんなことを言うコウ。……おい。
「何が責任回避だ、俺はただ、グミを見習って積極的にアタックしてみたらって言っただけだぞ。それがどうして抱きつくことになるんだっ!?」
「グミはいつも躍音先輩に抱きついてたじゃないですかっ!」
……アホかお前はあ!
「グミとグミヤは以前からの知り合いじゃねえかよ! お前とは全然状況が違うし、女が抱きつくのと男が抱きつくのとは意味合いが違うんだ、バカ野郎!」
コウの頭を一発はたく。……全くこいつは。俺だってミクに抱きつくのは遠慮してんだよ。ミクの方から抱きついてくることがあってもな。
とかなんとかやっている間、ミクは心配そうに巡音さんに付き添っていた。俺もさすがに良心が……。結局、巡音さんはミクに付き添われて、先に教室へ行くことになった。
そこへ、グミを腕にぶら下げたグミヤがやってきた。この二人、毎朝駅で待ち合わせして一緒に登校しているんだそうだ。……お熱いことで。
まだ怒っているレンが状況を説明し、二人とも呆れた顔になる。……そりゃそうか。レンと蜜音は埋めるべきだと主張したが、結局グミヤがコウに説教し、部室の掃除を一ヶ月やらせることでけりがついた……はずだった。
話が終わったところで、レンがコウの首ねっこをつかんで、「二度と巡音さんに近づくな」と言い出したのだ。コウは恐ろしいことに「指図されたくない」などと生意気な口をききだした。……バカって怖い。平気で火に油を注ぐんだから。
結果、コウはレンに徹底的に言い負かされ、立ち直れないぐらいのダメージを受けて、すごすごと去っていった。……なんというか、あいつよくうちの高校受かったな。
レンは下駄箱のところに行って、上履きを出している。俺は気になったので、レンに声をかけてみることにした。
「なあ」
「なんだよ」
レンはまだ不機嫌だった。このまま回れ右したい気持ちになってくるが、言葉を続ける。
「お前、さっきはなんであんなにムキになってたわけ?」
「何が訊きたいんだ?」
「コウに近づくなってすごんでただろ。なんであんなことしたんだ?」
あんな勢いで怒ったりして。……お前はいつから巡音さんの保護者になったんだ。
「あいつがまたちょっかい出したら、巡音さんがショックで倒れるかもしれないだろ」
それが、レンの答えだった。幾らなんでも倒れはしないと思うが。
「だからさ……どうしてお前がそんなことまで気にするんだよ。コウも言ってたけど、お前、あの子の彼氏でもなんでもないじゃん。俺からすると、お前の方がよくわかんねえよ」
どうしてそこまでムキになって巡音さんを庇うんだよ。
「……お前、これが初音さんだったらどうする? コウの奴が初音さんに抱きついたら?」
俺は、嫌がるミクに抱きつくコウの姿を想像してみた。……冗談じゃねえ。ミクに余計なちょっかい出してみろ、生まれて来たことを後悔したくなるような目にあわせてやる。
「その場で張り倒して、簀巻きにしてから川に放り込む」
川じゃ生ぬるい、やっぱ埋めるべきか。
「そういうことだよ」
「答えになってねえよ! 俺とミクは従姉弟だし、俺は今ミクの家に厄介になってるから、ミクになんかあったら守ってやるのは俺の義務だ。でも、お前とあの子は違うだろ」
お前がそうまでしてやる理由なんてどこにもないじゃないか。違うか?
「うるさいな、別にいいだろ。それに、もとはと言えばお前があのバカに余計なこと言うから、こんなことになったんじゃないか」
ぐっ……レンの奴、俺が今一番言われたくないことを……。
「抱きつくなんて思ってなかったんだよっ!」
追い掛け回すぐらいはまでは予想していたが、抱きつくだなんて誰にわかる? 誰がどう考えたって痴漢じゃねえか。
「でもお前、巡音さんが困ったらいいって思ってただろ? お前、巡音さんのこと嫌いだもんな」
レンはそんなことを言い出した。
「なっ……?」
「それは別にいいよ。お前の好悪にまであれこれ言う程、俺も暇じゃないし。でも、だからってバカをけしかけるような真似はやめろ。さっきも言ったけど、巡音さんは心底怯えてたぞ。大体あいつがバカで昇降口でこんな真似したからこの程度で済んだけど、あいつが巡音さんを、人気のないところに呼び出してたらどうなってたと思う? 巡音さんの心には、一生消えない傷が残ったかもしれないんだぞ。それをちょっとでも考えてみたのか?」
「幾らなんでもそこまでは……」
コウも学校でそんな真似するほどバカじゃないだろう……いや、ちょっと自信ないな。
「女の子をじかに抱きしめるのがどういうことなのか、お前全然わかってないだろ。想像するのよりずっと刺激的なんだぞ」
どうせ俺は、彼女いない暦イコール年齢だよ。悪かったなそういう経験がなくて。……ミクに抱きつかれたことなら何度かあるけど。確かに……ちょっとドキっとはするかなあ。胸は大きくないとはいえちゃんと柔らかいわけで……うわああ何考えてんだ俺は。
「とにかく、もう二度とああいうことはやるな」
レンはそれだけ言うと、俺に背を向けてさっさと行ってしまい、俺は昇降口に取り残された。心が妙にズキズキ痛む。
確かに……あのバカの暴走の部類が大きいとはいえ、俺が巡音さんがどうなろうと構わない、むしろちょっとくらいひどい目にあえばって思ってたことは事実だ。どうしてそう思っていたのかっていうと……あの子のことが気に入らなかったからだ。
でも……こんなことになってほしかったわけじゃない。軽率だったよ、確かにな。
レンと別れて自分の教室に向かったところで、俺は一番の問題点に気がついた。……そう、ミクである。あの時のミクは巡音さんの心配で頭がいっぱいだったが、俺とコウが揉めている時はまだ昇降口にいた。当然、やりとりだって耳に入っていただろう。つまり、コウをけしかけたのが俺であることを知ってしまったわけで……。
まずい。非常にまずい。俺はミクの作戦に協力している――本意ではないとはいえ――ことになっているんだ。それなのに、影で作戦の妨害をやっていたというのは……それもあんな内容だ。うわあどうしよう。はっきり言って、ミクは怒ると非常に怖い。俺、今回ばかりは死んだかも……。
俺が自分の教室で悩んでいると、グミヤからメールが届いた。何だろうと思って開いてみると、「コウがあの状態なので、冷却期間を置くことにする。よって今日と明日の部活はお休み」と書かれていた。確かにあのギスギス状態で部活をやるのは気が進まないが……部活が無かったら、俺はミクと一緒に帰らなくちゃならないじゃないかあ! 地獄だ。怒っているミクと一緒に、車という密室で帰宅するなんて、間違いなく地獄だ。
俺が自分の席でおたおたしていると、同じクラスの奴が声をかけてきた。
「初音……さっきから挙動不審だけど、どうかしたのか?」
「……俺は、明日の自分の人生があるかどうかを心配しているんだ」
そいつは「こいつ気でも狂ったのか」と言いたげな表情で去っていった。うるさいな、俺は真剣なんだよ!
……しばらく考えて、俺は、何もバカ正直にミクと一緒に帰る必要はない、ということに思い当たった。グミヤがミクの家にまで連絡するはずはないんだから、ミクも伯父さん伯母さんも「俺は部活」だと思うはずだ。黙ってどこかで時間潰そう。それがいい。ミクと一緒に帰るのはごめんだ。
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