彼女が沈黙に耐えかねて声をかけると、男は突然彼女の肩をぐっと掴んだ。
「これだ!!」
「ひっ」
硬直する彼女に構わず、また彼はいつかのときのように喚きだした。舌がもつれているのかよく聞き取れないが、自画自賛を繰り返しているのは一緒である。
彼女は彼との会話を諦め、また部屋の隅に戻ろうとした。
しかし――。
「待て」
戻ろうとした彼女の手を、マスターは乱暴につかんだ。
「なっ、なんですか?」
「お前、今から聴かせる曲を全部覚えろ!! それで、三日後までに完璧に歌えるようにしておけ!!」
また頭にヘッドホンを押しこまれる。流れてくるのは、先程の曲とは別の、スローテンポのピアノ曲だった。
結局その日、彼女の頭からヘッドホンがはずされることは無く、また、彼女の喉が発声をやめることも無かった。
それから三日、彼女は延々と歌を歌い続けた。マスターが眠ってしまった後も、ヘッドホンから流れる音楽を聴き続けた。
彼女に男の意図は分からない。だが、単純に彼女は嬉しかった。眠ることを必要としない自分の体を初めてありがたく思った。
初めての音楽、初めての歌。自分の存在意義たる最初の音。それを好きなだけ聞くことができる、好きなだけ歌うことができる。その喜び。
そして、三日後、彼女はさらにすばらしい体験をすることになる――。
「MEIKO、出かけるぞ」
「えっ?」
ずっと音楽に集中していた彼女は、突然ヘッドホンを奪い取られて顔をあげた。
目の前には、普段よりずっと清潔できっちりとした格好をしたマスターがいた。その手には、赤いサラサラとした生地で作られた服。
「まずは着替えだ、立て」
言うが早いか、彼は彼女の服に手をかける。
普通の女ならその時点で悲鳴を上げたのだろうが、あいにく彼女には、裸体を見られて恥ずかしい、という概念はなかった。違法に作られたアンドロイドなどそんなものだが。
彼女にとってはそんなことより――。
「そ、外?」
そちらの方が重要だった。
「わ、私、外へ出てもいいんですか?」
自分は違法な存在。それが頭の中でぐるぐる回る。
しかし、男はそんな彼女の苦悩など問題にもしていないように言った。
「てめえは大人しく黙って俺についてくればそこらの劣化品となんも変わらねえ。馬鹿な一般人はお前が他のものより優れた性能を持ってるなんて絶対に気付かない」
男は得意げに言う。そして、手慣れた様子で彼女にドレスを着せつけながら、自慢するように続ける。
「お前の外見は既成のVOCALOIDのMEIKOと何も変わらない。一般人から見ればちょっと珍しいのだけが取り柄の中古品だ。だが、中身は今世間に出まわってるアンドロイドよりも数倍優れている。歌声は人間そのもの、身体機能は人間の倍、公僕の強制停止システムもお前には通用しない」
彼女には半分くらいしかできない話だった。知らない言語もあった。「こうぼく」ってなんだろう。
「お前は俺が作り出した特別なアンドロイドなんだ。それを今から証明しに行く!!」
彼がそういうと同時に、忙しく彼女を飾り付けていた手が止まった。消えたテレビにぼんやりと映っていたのは、体にぴったりとあう深紅のドレスを着た彼女自身だった。
「これが……私?」
しかし、美しく飾られた自分を眺める暇も無い。男は彼女の手を掴み、ぐいと引っ張った。
「ぼさっとするなっ、さっさとこい!!」
「は、はい!!」
エスコートと言うには乱暴すぎる手に引かれて、彼女は初めて外の世界へと足を踏み出した。
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