昔々あるところに悪逆非道の王国の
頂点に君臨するは齢十四の王女様
悪ノ一端
あのころ、僕たちの世界は狭かった。
美しい調度品に囲まれた城の一角。それだけが僕らのすべてだった。
金を思わせる黄色を基調とした城内も今は暗く、何もかもが息絶えてしまったかのように色褪せてしまっている。
色褪せた城の、暗さが蓄積したような一角に、かつて王女と呼ばれたその人が囚われていた。
二つの隣国を巻き込んだ戦争の終結。
それは明日の午後三時に行われる彼女の処刑によって迎えられる。
唐突な緑の国への侵略行為に始まり、同国少女殺害を指示した疑い、さかのぼれば長く続いた圧政の責任。処刑の理由ならいくらでもあった。
薄暗い部屋の片隅で、椅子に腰掛けて彼女は泣きもせず喚きもせず、ただ静かに目を閉じている。
その様子は現状を理解していないようにも見えたし、諦観の極みにいるように見えた。
静かに時だけが流れている。
時計のない部屋で、刻々と過ぎる時間、その人は何を思って過ごしていたのだろうか。
沈黙を破ったのは隣国の王子である男だった。
重苦しい扉を開け、軋む蝶番の音に彼は眉をひそめる。
数ヶ月前まではありとあらゆる贅の極みにあったはずの城に、こんなにも薄汚れた部屋があることに違和感を覚えたのだ。それとも、主を討たれた城の重みがこうも早く退廃を呼び込むのだろうか。
扉が軋む音にも、その咎人は顔を向けなかった。
豪奢なドレスをはいでみればわかる。
少女と呼ぶには成長しすぎた体の輪郭。
あと数年生まれるのが遅ければ、完全にだまし切れただろうに。
「どんな気分なんだ」
しかし罪人は答えない。
両手を拘束する形ばかりの鎖がなければ、ただの貴族の服を着た娘が座っていると思えただろうか。
「あの娘のことを覚えているか」
ぴくりと、肩が揺れる。
「緑の国の歌姫だった彼女だ」
この戦争の始まりとなった少女。
青の王子が恋に落ち、黄の王女が嫉妬に狂った、哀れな少女。
王女の宣戦布告と同時に、この国と緑の国の境で亡骸となった見つかった。
「あの子の爪には、何者かの皮膚が残っていた。首を絞められたときに必死になって抵抗したのだろうと医者が言った」
澄んだ青い瞳が王子を射止める。
渦巻く感情を押し殺す、硝子細工のような眼だった。
「彼女の服に残っていたよ。君のような金の髪が」
「……それが、どうか?」
静かな声で罪人が初めて声を出した。
「彼女を殺したのは君だろう?」
「なぜ、わたくしが」
「そう。王女はそんなことはしない。彼女を殺したのは君の召使いだ。命令は下したかもしれないけどね」
王子がうっすらと微笑む。
遠慮のない早さで罪人に近づき、その手を拘束する鎖をつかみあげた。
引き吊り上げられた細い腕を覆う布地をまくし上げる。
「そしてこの傷を負った、そうだろう!」
たたきつけるように叫ぶ。
そこにさらされたのはひきつれた爪の痕。
罪人の顔が苦痛に歪んだ。
「――僕は……」
「僕?」
あざけるように王子が嗤った。
「王女様はそんな言葉は使わないだろう」
罪人は言われたことが理解できずに、王子を見上げる。
その髪のように冴え冴えと冷えた眼が彼女を見下ろしていた。
「君は王女だ」
冷たい声。
「そして王女として死んでいく。逃亡したのはただの召使いだ、追う必要もない」
さっと彼女の顔から血の気が引く。
「肩書きなんて俺には関係ない。俺はお前を殺せればいい――あの子を殺したお前をな!」
青いその目に宿るのは、冷たく燃える復讐の火。
願いを叶えても何も残らないと知っていて、それでもなお求めてしまう愚かしい道化の炎。
哀しく、冷たい。
ひきつれた爪痕をさらして、王女と呼ばれた咎人はもう何も語ろうとしなかった。
*
処刑の時は鮮やかに晴れた美しい午後だった。
午後三時。
教会の鐘が荘厳な音をもうすぐ響かせる。
王女が生まれたときにも響いた祝福の音が、鳴る。
どうしてその双子の運命がこうまでも別れてしまったのか。
その答えを知るものは少ない。
あるいは、本人たちも正確には知らなかったのかもしれない。
ただ伝えられることは、片方は召使いとして従えられ逃亡し、片方は王女として君臨し破滅した、ただそれだけの事実。
絡み合った想いのすべてを語るには、あまりにも薄っぺらで軽い真実。
「これより処刑を開始する!」
赤い鎧に身を包んだ女剣士が声高に告げる。
革命軍を率い、国民を救った英雄。
かつては城仕えしていた女中であったが、理不尽な理由から城から追放され家族を殺された悲劇の乙女。
華やかな黄色のドレスに身を包んだ王女が兵士に連れられてくると、民主であふれかえった広場は沸き立った。
いまこそ復讐の果たされるとき。
悔い改めよ。
悪意と優越感に満ちた民衆の叫びが幼い王女の身に降りかかる。
だが彼女は民衆に目もくれなかった。
今までのように堂々と凛と、傲慢に、彼らの前に立った。
そして、鐘が
*
午後三時、鐘の鳴る時間が一番好きだった。
祝福の鐘と呼ばれ、毎日その時間に二回だけ鳴る鐘の音。
十四年前に私たちが生まれたその刻を祝福するために、その鐘は毎日鳴らされる。
だから私はあの鐘の音が好きだった。
「今日のおやつはブリオッシュだよ」
鐘が鳴れば、いつも彼が笑顔で私の元に甘いお菓子を持ってきてくれるからだ。
甘い、甘い時間。
口の中でとろけるどんな高級な洋菓子も、彼がいなければ意味がなかったのだ。そのことに幼い私は気づけないでいた。
無知で愚かで、幸福だった時間。
今日も祝福の鐘が鳴る。
絶望を告げる、祝福が鳴る。
甘いお菓子はどこへ行ったの。
柔らかく美しい仕立てのドレスは。匂い立つ積み立ての花を飾った花瓶は。
いつも私の隣にいた君はどこへ行ったの。
鐘が告げて、私は戦慄する。
ああ、鐘が告げる。
私の希望のありか。
そして絶望のありか。
「あら、おやつの時間だわ」
*
あまりにもあっけない音を立てて、王女と呼ばれたその人の首が落ちる。
いくつかの短い悲鳴のあと、喜びや驚愕、怒りに後悔、様々な感情の入り交じった叫び声があがった。
赤い鎧の女剣士は澄み渡った天を仰ぎ、青の国の王子は目を閉じて恋しい面影を描く。
そして、
「――おーっほっほっほっ!」
広場をつんざく甲高い嬌声。
その場にいたすべての人間が凍り付いた。
それは、忘れもしない。
あの悪の娘と名高い王女の笑い声。
「愚かな人たち! それで私を殺したつもりなの? 王女と召使いの区別もつかないなんて解放軍も愚劣の極みね!」
甲高く、傲慢に、自分以外のすべての物を見下したその声で、王女だった少女は毒をまき散らす。
「さあ、跪きなさい!」
それが何を意味するかも知らずに。
誰もが断頭台の隣に経つ二人に目を向けた。
女剣士はまるでひどい裏切りにあったような顔をしていた。ありとあらゆる計略の、そのすべても無惨に壊されたような悲痛な表情だった。
青の国の王子は唖然としていた。彼女の行動を何もかも理解できないようだった。そして哀れんでいた。
すぐに表情を取り繕ったのは女剣士だった。
捕らえろ、と毅然とした声で言う。
その声に従い兵士たちが少女の身柄を押さえる。
この無礼者!と叫ぶ彼女から、二人は目をそらした。
*
その少女は歌姫と呼ばれていた。
王族の一族の端の端の方に生まれた彼女には、優雅な生活が約束されていたわけではなかった。
けれど彼女には歌があった。
歌声は国を癒し、緑の国に歌姫有りと言われた。
やがて青の国の王子に見初められ、彼女の周囲は幸福に満たされた。
そんなある日、少女は金髪の少年を目にする。
いつだったか一度だけ垣間見たことがある、隣国の王女にそっくりな少年だった。
つい癖で笑いかける。
すると少年は驚いたように顔を伏せて走り去ってしまった。
はじめ自分の首を絞めているのが、あのときの少年だと言うことが信じられなかった。
とっさに彼の手をひっかく。
思いの外深く、皮膚をえぐる感触がして嫌悪感で背筋が冷える。
その細い腕は簡単に離れた。
青い眼に、おびえる自分が写っていた。
「――どうして」
意識せずに言葉がこぼれる。
「ごめんね。あの子が君のこといらないって言うから」
「それだけで……?」
彼は笑っていた。
静かに。
とても静かに、すべてを諦めるために。
どこかで見た顔だと思った。
あれは、隣国の王女のことではなかったのね。少女は言葉を失う。
そして笑う。
静かに。
ゆっくりと彼の手が伸びてきて、今度は抵抗しなかった。
彼の目から落ちた透明な雫が、少女の頬に落ちてはじける。
あのとき、彼を初めて見かけたとき、それがどんな結末を生むのかと知っていたら、彼に笑いかけることはなかっただろうか。
彼女は薄れゆく意識の向こうでそんなことを考えた。
頬に落ちた雫はとうに乾いてしまっていた。
彼の手は優しかったのにな、と思う。
青い瞳はもう見えない。
笑おうとしたが無理だった。一度崩れた心を、再び積み上げることは難しかった。そしてそれだけの時間を運命はくれなかった。いや、黄の国を中心に渦巻く謀略の意志たちが。
自分はこのまま死ぬのだろう。
そのことに切なさや少しの後悔はあっても、怒りや憎しみはなかった。
王族の端くれに生まれたときから、謀略に巻き込まれることもその果てに命を落とすことも、すべて覚悟して生きてきた。
歌姫として王族よりも目立つようになったからは、幾度となく命をねらわれた。
青の王子との幸せな恋も、始まりは空しい謀。
今更だった。
抵抗することも諦観することも、すべてはとおい過去の忘れ物。
ただほんの少し、このまま死んだら彼を傷つけてしまうことが残念でならない。自分の浅はかな一言が、どれだけ彼を傷つけたのか、自分には計れない。
この死をきっかけに争いが始まるだろう。きっと、哀しい結末になる。
彼女はそう思うと、全身の力を抜いた。
哀しい結末を見ないですむ私は、幸せなのだろうか?
最後の問いかけに、彼女は答えを見つけることは出来なかった。
そうして彼女の意識は終わる。
*
再び処刑の日取りが決められることになった。
次はまた長くかかるだろう。
今度こそ本物の王女だ。しかも一度は失敗している処刑、周辺や国民に見せつけるためにも、完璧に悪政の崩壊を印象つけなければならない。後に何も残してはならない。
青の国の王子は、女剣士に連れられて街はずれの海岸に来ていた。近くには小さいが黄の国にとってそれなりの意味を持つ港がある。
古い港にお似合いの、他愛ない言い伝えが残る海岸だ。
「知っていますか、王子」
「何をですか?」
「この辺りに伝わる……そう、まじないごとのようなものかな……そんな伝説を」
女剣士は珍しく女性らしい面持ちで海を眺めていた。
勇ましさばかりが強調され、むしろそれを僥倖としている彼女には珍しい表情だった。
「まじないごと、ですか」
「興味がないようですね」
くすりと女剣士が笑う。
「……そんな話をするために私をここへ?」
「まさか。多忙な次期国王の時間をそれだけのために割かせたと知れたら、あなたの家臣たちに糾弾されてしまいますよ」
「王女のことですか」
笑いかける女剣士に王子は冷たく答える。
「あなたにとっては、どうでもいいことでしかないでしょうが」
「どうでもいいなどということは……」
「ごまかさなくてもいいですよ、ここには厄介なあなたの家臣たちも、私の賛同者たちもいない」
潮風が女剣士の短い髪を乱していった。
沈黙を潮騒が打ち消して、わずかな時間も永遠のように錯覚させる。
「王子はあの双子のことをどう思っていますか」
「王女と……召使いのことですか」
「そうあなたにとってはあの少女の敵になる二人のことです」
「……それは」
「本当に、あなたの歌姫を殺したのは召使いの彼だったとお思いで?」
一瞬、彼女の言葉が理解できなかった。
理解するにつれ、彼の形相が怒りや憎しみに歪んでいく。
「それ以外誰がいると言うんですか、あなたは!」
「たくさんいますよ」
「――……なっ」
「彼女は目立ちすぎていましたからね。いずれ何らかの謀に使われるだろうことは目に見えていた。王族の端くれ、端くれであれど王族。美しい容姿に人を魅了する歌声。利用価値はいくらでもある」
「だが、彼女の亡骸のそばには金の髪が……!」
ふっと女剣士が優しく笑っていた。
哀れむような優しい笑みだった。
「王子はなぜ双子の男児の方が召使いになったかをご存じですか」
「え?」
「普通は男児が国を継ぐ王になるはず。この国も例外ではなく、先代は直系の嫡男が国を継いでいます。その前の代もさらに前も」
「それはこの国の事情でしょう。私が知るはずもない」
「そう、王子は知らない。いえ、この国の国民でもごく一部の者しか知らない。なぜ彼は召使いになり、彼女が王女になったのか」
彼は答えない。
潮騒だけが変わらない音で繰り返していた。
歌うように。
「彼には障害があったんですよ。生まれながら。彼の両腕は日常生活には支障がなくても、たとえば戦に出て剣を振るうといったことが不可能なんです。せいぜい菓子の載った盆を運ぶくらいですか」
瞠目。
「わかりますか、彼にはあの少女を殺せなかった」
王子の口が何かを言おうとする。
けれどどの言葉も擦り切れ、かすれ、音になることはなかった。
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悪のメイド 前半
Ⅰ.
黄の国の革命において王女リンは処刑された。これは歴史的事実として知られているところであるが、巷説や演劇などでは広く王女生存説が語られている。王女の双子の弟レンが行方不明であることから、彼が替え玉となって処刑されたとするのが王女生存説の一般的なスタイルである。
公文書の記...【亞北ネル】悪ノメイド 前半【鏡音リン・レン】
あぶらぼう
ぼく達は2人で一つ。
まだ幼い頃、ぼくらは2人で一つだった。
共に笑い共に悲しみ、離れることなどありえなかった。
人々はぼくらの事を王子と呼び王女と呼んだ。
皆、優しかった。世界は優しかった。
それが、ずっと、続くと思っていた。
この国は既に傾いていた。愚かな王が続き民は圧政に苦しんで...悪の王国1 ~悪の召使~
sunny_m
これは白黒P様の「鎌を持てない死神の話」をもとに投稿者が妄想と捏造で書かせて頂いたものです。
白黒P様ご本人、及び楽曲「鎌を持てない死神の話」とは無関係です。
原曲のイメージを崩されたくない方はバック推奨。大丈夫という方のみお進み下さい。
また、作中に流血表現がありますので、苦手な方はご注意下さいま...きっとあなたも私と同じ【鎌を持てない死神の話捏造】
ミプレル
いつの時代でしょうか。
ある国がありました。
国民は、とても怒っていました。
なぜなら、王はとても厳しい弾圧を行ったのです。
とある法を破ったものはすぐに捕まり、地下にある労働施設で働かせるのです。
しかも、多大な税金をかけておりました。
払えなければ、家族を人質にしてお金を稼がせもしました。
その...とある国のお話
ku-yu
あなたはもう、忘れてしまったでしょうか。二人でなら、何もこわくなかった頃のことを――。
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「ルカ姉! メイコ姉!」
あたしは、白い衣のすそが翻えるのも気にせずに走り、部屋に飛び込んだ。あまり品はないけれど、これでもこの王国の第三王女だ。
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