「そこの花を摘んではくれませんか?」
そう言われたので、木から赤い花を摘み取り渡すと、その人は何かを呟きながら花をぐしゃぐしゃに崩してしまった。
「どうして、そのような無体な事をなさるのです?」
袖を引き訴えると、彼は驚いたように目を見開いて、手元の花だった物を両手で優しく包んだ。
「考え事をしていました。折角の花を……済みません」
悲しげに笑い、彼は私の手に花弁を乗せた。花であった時よりも花弁が愛しく思えるのは、きっと彼が手渡してくれたから。
「……貴女には、やはり笑顔が似合いますね」
私の髪を掻き上げる手付きはとても優しく、彼の香りが私の花を擽る。
暫くして、ぽつり、ぽつりと空から雫が落ちて来た。
「そろそろ、お暇しましょう」
雨脚が強くなる前に、と言って彼は立ち上がった。見送らねば、と花弁をその場に置いて私も立ち上がる。
ぱたぱたと板の間に聞こえる足音が、私を急かす。
玄関まで行くと、彼は苦笑する。
「ここまでで結構ですよ」
「いいえ、門までが私の屋敷です」
最後まで見送らせてください、と言外に伝えると、彼は「仕方ありませんね」と言った。
玄関から門まで少し距離がある。和傘を開き、並んで歩く。
彼はここに来る時、常に徒歩であった。他者に気を遣わずにいられる反面、今日のような日は足元を濡らして帰るのだろう。
「貴女はもう戻りなさい。そろそろ冷えるでしょう。それに」
門の少し手前で私に向かい、彼は真剣な表情でこう告げた。
「近頃、人ならざる“あやかし”というモノが現れるそうです。……ご注意を」
「……あら、そのようなモノを信じていらっしゃいますの?」
意外ですね、と口にすると、彼は――目を逸らして――「そう、ですね」と呟いた。
「では、また」
しとしとと雨が降る。
彼の姿はすぐに見えなくなってしまった。
「……っ」
胸の前で手を握り合わせる。
どうしてだろう。今、別れたばかりなのに。
――会イタイ。
離れたくない。
――寂シイ。
まるで、今生の別れのように思える。
――貴方ハドコニイルノ?
心が痛い。
――辛イ、苦シイ。
そうだ、彼を捜そう。
彼もきっと寂しいに違いない。“いつも泣いている”のだから、私がいないと顔をぐしゃぐしゃにして私の名を呼ぶから。
『めーちゃん……どこぉ……』
ああ、ほらまた。行かないと。あの大きな目が空を映すように、私が傍にいなくては。
名前を呼ぼう。きっと気付いてくれる。
「……あら、どうしたのかしら」
思い出せない。彼の名は何といっただろうか。
不思議に思いながら中に戻ると、縁側に置いていた筈の花弁は無くなっていた。
――アノ花ノ名前ハ、何ダ……?
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