第四章

「王女さま、青の国の王と、その婚約者の方が、面会に来られました」
 少年の顔が、ぱっと明るくなった。それに目を留めて、王女は不審そうな顔をする。
「いいわ、会いましょう」


「お初にお目に掛かります、カイトと申します」
「ミクと申します」
 娘と王は、礼儀正しく会釈した。
 王女も、黄色いドレスの裾を持ち上げ――言葉に詰まった。
(私は、なんて名乗ればいいの?)
 レンの名前は返してしまって、リンの名前は受け取れないまま。
「……ごきげんよう。お目に掛かれて嬉しいわ」
 挨拶だけで、ごまかした。
「そちらの方は、先日我が緑の国でお会いしましたね」
 ミクは、少年にも笑顔を向ける。少年は、笑みに感謝の気持ちを込めて、黙ったまま頭を下げた。
 王女はそれを見て、少し眉を寄せる。
「私たちは、三月後に結婚するんです」
 カイトは、幸せそうに言った。ミクが頬を真っ赤に染める。
「それは……よかったですね」
 温かな二人の笑顔とは裏腹に、王女の声は、どんどん冷えていく。
 どうして、そんな、見せつけるように無邪気に笑うの?
 私の手には、届かないものを――。
 嗚呼、気分ガ悪イ。
 少年は不安げに、王女を見つめた。


 豪華な広い部屋の中、王女と少年はふたりきり。
 王女は椅子に腰を下ろしたまま、蒼白い顔で、じっと一点を見つめている。
 少年の胸の中で、不安はどんどんふくらんでいく。
 ぼくはいったい、何をした?
「レン」
 突然、王女は呼び掛けた。
「どうして、レンは私の名前を呼んでくれないの?」
「王女さま……」
 少年はうつむいた。王女は、少年をにらみつけた。
「やめて! そんな風に呼ばないで!」
 少女の心に縛りつけられた鎖が、聞こえない音を立てて鳴る。
「ねえどうして! だって約束してくれたじゃない!」
 王女は、少女は、少年の両肩をぎゅっとつかんだ。
「それとも、レンはもう私が嫌いなの?」
 手をつないでいたあの日々は。
「もう、私の名前なんて呼びたくないの?」
 守るべきだった約束は。
「違います! そうではなくて――」
 少年は、王女と目を合わせない。
「じゃあなぜ! 私の目を見てよ!」
 沈黙が落ちる。
 身体の奥から、凶暴な衝動が湧きあがってくる。
 なぜそんな、傷ついたような顔をする? 加害者はあなたでしょう!
(壊してしまいたい)
 思い通りにならない彼も、どこへ向かうのかわからぬ自分も、この腹立たしい沈黙も。
(ぜんぶぜんぶ、めちゃくちゃに)
 王女は、少年の肩に置いた両手に力を込めると、背伸びで顔と顔を近づけた。
 少年が、やんわりと王女を遠ざける。
(この私に、力ずくで奪えないモノ?)
 そんなもの、なくなったはずなのに。
 やがて王女は、手を放した。
 もう、名前なんか要らない。そんなもの、どちらもあなたにあげる(捨てる)。
 元の椅子に、座りこんだ。
「……将軍を、呼んできて」
 幾重も鎖に縛られて、少女の姿はもう見えない。


「緑の国を、滅ぼしなさい」
 王女は、恐ろしいほどに静かな声で、そう、命じた。
「王女さま、それは……」
 ためらう赤い将軍に、王女は射るような視線を向ける。
「私の言葉が、聞けないの?」
「……かしこまり、ました」
 部屋を辞する将軍の顔を、少年は絶望的な思いで見る。
 緑の娘の笑顔が、瞼の裏で瞬いた。
「あ」
 王女は、少年の方を向いて、ぞんざいな口調で言った。
「確実にやらなくちゃね。ミク……だっけ? あの子を消してきてちょうだい」



 黒いマントで顔を隠すようにして、少年は、燃え上がる屋敷の中を駆けていた。ミクというあの緑の娘は、ここで使用人をしているはずだ。
 一階を探し、二階を探して、三階でようやく見つけた。三階に設けられた小さなテラスから、娘は、戦火に曝される都を見つめていた。
 煙と息切れにせき込みながら、少年は叫んだ。
「に、げて、くだ、さいっ」
 ミクは、驚いてふりむいた。大きく肩を上下させる少年に問いかける。
「どうして、あなたはここへ来たの?」
「……い、えませ、ん。ごめん、なさい。でも、早く、誰にも見つ、からな、いところ、に」
 そう、と、娘は呟くように言って、都に視線を戻す。
「街が燃えて、人が死ぬ。この国が、滅んでいくね……」
(やっと見つけた、ふたりの居場所なのに)
 瞼の裏に浮かんでくるのは、白い髪をした優しいあの娘(こ)。誰よりもいいひとなのに、自分でそれに気づかないで。私の幸せに割り込みたくないと、独りでこの国を出ていった。
 ねえ、あなたは自分の髪を疎んじたけれど、私は、無垢なその色が大好きだったのよ。
 ドアが、大きな音を立てて開いた。
 飛び込んできたのは、青の国の王だった。
 緑の娘の瞳から、堰を切ったようにはらはらと涙が零れ落ちる。青年は迷わず娘の手を取った。
「ミク、一緒に行こう。僕の国で、暮らそう」
「でも、だって……私はっ……」
 声が嗚咽に紛れて消える。
「どうして……!」
 青年に肩を支えられて、娘は絞り出すように言った。
「どうしてこの国が、滅ぼされなきゃ、ならないの……?」
 少年は堪らずに目を逸らした。?



第五章

「もう我慢が出来ない」
「王女を倒せ」
「あの暴君を」
「悪ノ娘を」
「殺してしまえ」


 ある朝目覚めると、城は、もぬけの殻だった。
 不気味な静寂の底で、耳鳴りのような唸りがうごめいている。
 王女は白いネグリジェのまま、寝室を出た。
「どうしたの? 誰か答えなさい!」
 静まり返った城に、可憐な声が虚しく響く。
 現れたのは、少年一人だった。
「何があったのよ」
「それが……反乱がおきたようでございます」
 少年は、謝罪するように頭を下げる。
「で、みーんな逃げ出したってわけ?」
「はい……」
 王女はつまらなそうに言った。
「あそ」
「え?」
 少年は、呆気に取られて顔を上げた。
「どうせ、メイコが粛清してくれるわ」
 それが、と、少年はしばらく逡巡してから、意を決して、靴を見つめながら言った。
「革命軍を率いているのが、その将軍でございます」
「――え……?」
 王女は、広い豪奢な廊下の真ん中に、ぺったりと座り込んだ。
 小さな顔が、どんどん蒼ざめていく。
 九年前、馬車の中で少女に呪縛をかけた声が、甦る。自分の中で、何かが砕け散る音が聞こえた気がした。
「そ、か……」
 少女は、震える声で呟いた。笑おうとして、笑えなくて、顔を歪める。
「そういう、ことだったんだ……」
「王女さま?」
 顔を覗きこもうとして膝をついた少年に、少女はしがみついた。
「え――?」
「私、知ってたよ……」
 戸惑う少年の肩に、ひとしずく、涙が零れた。
「みんなが私を嫌ってるって。みんな本当は、私なんかいなくなればいいって思ってた。私だって、自分が酷いって、ちゃんと分かってた……」
 でも、と、少女は悲痛な声で言う。
「そうなれって、あのひとが言ったの……!」
 私には、名前だって残らなかった。
「でも、やっぱり私のせいだよね? いろんな人が亡くなって、いろんな人が苦しい思いをして……。きみのことも、不幸にした」
 ごめんなさいと繰り返す少女を、少年は優しく抱きしめた。
「大丈夫だよ、リン」
(ぼくこそ、ごめんね)
 ずっと失くしたと思っていたあの子は、こんなに近くにいたのに。
 ただ気づけなかった、それだけだった。
「レンっ……!」
 少女は、少年にすがって泣きじゃくった。
 ずっと、その言葉が――響きが、ほしかった。


 ようやく泣きやみはじめたリンに、レンは言った。
(今度こそ、僕が君を守るから)
「ちょっと待ってて」
「いや、行かないで!」
 手を伸ばすリンに笑いかけて、レンは王女の衣装部屋に走った。
 王女が一番気に入っていた、白と金のドレスを手に取る。
 縛っていた髪を解けば、ぎりぎり、肩に届くくらいにはなった。それでもやっぱり足りないけれど、どうせ誰も、些細な違いには気づかない。
 皆、悪ノ娘から、目を逸らしていたのだから。
 そういうものが積りつもって、〝悪ノ娘〟を造り上げた。


 駆け戻ったレンの姿に、リンは青い瞳をみひらいた。
「どうしたの、その格好」
 ふたりは双子だ。髪を下ろしてドレスを纏えば、遠目には、王女にしか見えない。
 レンは、質素な白いシャツと黒いズボン、黒いマントを差し出した。
「ほら、早くこれに着替えて」
「何を考えて……」
「いいから!」
 レンは必死に、リンを部屋に押し入れた。
 時間が、ない。


 やがて着替えて出てきたリンの髪を、レンは、手早く一つに括った。
「リン、また、ぼくの名前をあげるよ」
 少年は、かつてのように微笑む。
「ぼくのふりをして、すぐに逃げて。大丈夫、きっと誰にもわからない」
 遠くで、ざわめきが大きくふくれあがった。
「何言ってるの! だめ、一緒に逃げよう!」
 少女は、つよい意志を込めて少年の腕を掴んだ。
 激しい物音が、どんどん近づいてくる。
 てこでも動かないといった様子の少女に、少年は、一瞬考えてから言った。
「でも、二人同時では目立ってしまう。きみは先に逃げて。――ぼくもきっと、すぐに追いつくから」
「約束、してくれる?」
「――うん」
 少女はしばらく迷っていたけれど、ついに頷いた。
「わかった。だから私も、次に会う時まで名前をあげる」
 そうすれば、きっとまた会えるって信じられるから。
「うん」
 少年は、罪悪感を隠して頷いた。
 ごめんね。
 リンの名前を、返せる時は来ない。
 でも、きみを想う縁(よすが)をもらえて、嬉しいです。
「さあ早く!」
 少女の背中を押しだしたとき、粗末な鎧に身を包んだ一団が、廊下の角から現れた。
「見つけたぞ! 悪ノ娘だ!」
「捕まえろ!」
 その先頭に立っているのは、赤い短髪の娘。
 彼女に腕を捻り上げられて、少年は精いっぱい、王女を真似て叫んだ。
「この、無礼者!」
 ああ、〝レン〟は無事に逃げられたでしょうか。



第六章

「処刑の時間は午後三時だ。それまでおとなしくしていろ」
 少年を牢に放り込んで、革命軍の一人が告げた。
 少年は、偽りの怒りを込めて、男を睨みつける。
 扉が閉まり、少年は一人で残された。
 瞼の裏に、少女の姿を思い浮かべる。
 輝くような金の髪と、青い瞳。かわいい笑顔と、きれいな歌声。
 手をつないでいたあの日々は、ずっと、ぼくの宝物でした。
 ずっと昔にした約束は、穢れなき君を守ること。
(もしも生まれ変われるならば――)
 今度は、ずっとふたりでいられますように。


 革命の成功に喜ぶ人々の間に、少女はひっそり紛れ込んでいた。
「悪ノ娘を捕えたと」
「処刑は三時か」
「待ちきれない」
 処刑は三時? 待ちきれない?
 少女は、かたかたと震えだす。
 〝リン〟が殺されてしまう――
 でも、どうすれば?


 都の一番大きな広場に、斬首台が組み立てられた。死刑執行人は、あの、赤い短髪の女剣士。
 人々が、次から次へと集まってくる。半ば狂気に冒された熱気の中で、少女は冷たい手を握りしめた。
 群衆が、大きくどよめいた。汚れた白と金のドレスを纏って、王女のふりをした少年が、乱暴に引っ立てられてきた。
 高慢な表情も、虫けらを眺めるような目つきもそのままに。
 突き飛ばされながら、少年が、一歩ずつ処刑台に上る。群衆の最前列で少女は、フードで顔を隠しながら、真っ蒼な顔で立っていた。
 ついに上りきった時、少女は、たまらなくなって叫んだ。
「違う! その子は王女なんかじゃない!」
 ざわめく人々の間に、金の鈴を振るような声が、りんと響いた。
 沈黙が降りた一瞬に、教会の鐘が、鳴りだす。華が散るまでのカウントダウン。
「なんだ」
「なんだ今のは」
「お前が言ったな?」
 伸ばされる幾つもの手に危険を感じて、少女は、とっさに身をひるがえして駆けだした。
 教会の鐘は鳴りつづける。
 追おうとする人々を押しとどめるように、少年が、王女をまねた声で叫んだ。
「あら、おやつの時間だわ!」
 鐘が、止む。
 死に物狂いで走る少女の背中で、どっと、民衆がどよめいた。少女は耳を塞いで、ひたすらに駆けた。


 行く先も知らない船の甲板で、少女はがくりと膝をついた。
 目の前が真っ赤で、身体中が刺すように痛んで、息が、できない。ぎゅっと瞑った瞳から、ぼろぼろ涙が溢れ出た。
 胸が痛くて、頭がおかしくなりそうだ。
 まるで、心が二つに裂けて、半分失ってしまったよう。



 やがて船は、異国の小さな港に錨を降ろした。
 すっかりやつれた少女が、船からよろめき出る。飲まず、食わず、一睡もしないまま、見知らぬ国に辿り着いた。
 世界が廻っている。ゆっくりと、次第に速く。
 桟橋に、少女はふらりと倒れこんだ。暗転していく意識の中で、何度も何度もくりかえす。
 ごめんなさい――

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • 作者の氏名を表示して下さい
  • オリジナルライセンス

悪ノ娘 -Original Happy End- 【第四章~第六章】

【鏡音リン】 悪ノ娘 【中世物語風オリジナル】 http://www.nicovideo.jp/watch/sm2916956
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【弱音ハク】白ノ娘【中世物語風オリジナル】 http://www.nicovideo.jp/watch/sm9305683

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投稿日:2015/12/18 01:26:14

文字数:5,366文字

カテゴリ:小説

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