-微笑-
少しの間があった。
誰も声を発しない。いや、場の威圧感や空気感に声を発するほどの余裕を持ちきれていないのだ。重苦しい雰囲気がそこ煙のように立ち込め、全員の周りをこれでもか、というほど包み込んでいた。
「リン(ランのこと)やリンちゃん(主のほう)なら、身長差もないから腎臓の大きさも同じくらいだと思うんだけど」
三人――リンとレン、ランのことである――は、お互いの顔を見合いながらしばらくの沈黙の後、リンとランが口を開いた。
「わ、私がっ…え?」
それぞれ、自分の声と重なったもう一つの声に驚いているのだろう。顔を見合わせ、しばらく無音状態になる。
「…私の腎臓なら、移植していい」
そういったのはランのほうだった。
「こういうときくらい、お姉さんらしくしないとね」
そう言って振り向くと、レンはうつむいて応えようとはしなかった。その言葉が強がりであることは、ランの姿を見ずともレンにはよくわかった。
「私もいい。レンには何度も助けられたもの。私もレンのために、力を貸したい」
そう言って強いまなざしをカイトへと向けたリンは、レンのほうへ少し寂しげに目をやった。そうしているうち、レンが少し顔を上げてカイトのほうへよったかと思うと、カイトのマフラーをぐっとつかんで引き寄せ、いきなりに言葉をかけた。
「カイト兄、マジで二人の移植させる気かよ?死なないっつったって、手術が失敗したら危険になるだろう!そうやって、そうやって…」
「レン」
「俺は、移植しなくていい。手術はしない」
そういうと、レンはリンやラン、ルカと目を合わせようとはせずに、また館の中へと戻っていってしまった。玄関の前の壁にもたれていたレオンの横を通ったレンの目からは、涙がこぼれそうだった。
追いかけようとするリンとランを手で制し、ルカがカイトのほうを睨みつけるように目をやると、カイトはまるでこうなることがわかっていたように余裕の表情でルカに微笑んで見せた。その表情にルカは自分のことではないのに、憎しみに似た、憎悪のような感情を覚えた。館に入っていったレンを追ってレオンの横を通ると、レオンは何を思っているのか少し暗い微笑を浮かべていた。その微笑みは、今まで見せた性格からは想像もできないほどの何かを背負ったような、そんな雰囲気をかもし出す、大人びたような不思議な微笑みだった。
「…?」
「どうしたの、追いかけなくていいの?」
「…。わかっているわ」
そういうレオンの表情はいつものへらへらとした薄っぺらい笑顔に成り代わっていて、その表情の真意を確かめることはできなかった。急いで館の中へと入っていったルカを見ると、レオンは笑顔を消し、真顔に戻って空を見上げていた。空に輝く月は、下弦の月となっていた。
部屋と戻る足は、一定の速さで進む。怒りがこみ上げてきて、そのほかにわけのわからない感情がいっぱいいっぱいになるまでにこみ上げてきて、もう何か何だか、よくわからなくなってきた。
目からあふれ出す涙を服のすそで乱暴にぬぐって、部屋のドアを大きな音を立てて閉めた。ドアの鍵を閉め、ベッドの上に座った。
またリングノートを開いてみた。全てのページに真っ黒になってしまうほどの量を書き込まれている。それだけ、日記を書くのが楽しかったのだろうか。そんなに、書くことがあったのだろうか。
そう考えてみれば、そう思えないこともない。
最後のページを開くと、途中で途切れていることがわかった。書きかけなのではない、破られているわけでもない、ただ途中から狂ったようにインクが乱暴に、不規則に幼児が書いた絵のようにのた打ち回っているのだ。人の書く字ではない。
まるで――そう、保険の教科書に載っていた、クスリを使ったやつの文字に類似しているように見える。それはまさか――。そう、答えが出そうになったとき、ドアをノックす音が聞こえた。
「…レン。入れてくれないかしら?」
「ルカ…。一人にさせてくれないか」
「じゃあ、私の話を聞いてください。…きかなくてもいいわ、話をさせて」
「…うん」
それを受け入れた。
何を、期待して受け入れたのか、何を求めて応えたのか、自分から拒んでおきながら何故ドアに背をつけて話を聞こうとしたのか、レン自身にもわからなかった。
「私には腹違いの兄弟が多くいました。父が女好きで、外で何人もの愛人を抱えていたからです。中でも私が知る限り一番生まれたのが近いのは、ミリアム。あなたもあったのでしょうね。彼女は私が生まれた三ヶ月後に生まれていました。呆れました。母は離婚も検討していたようですが、親に甘えたい盛りの私から父親を引き離すのは心が痛んだのでしょう。母は耐えていました。ずっと。けれど、無理がたたって母は病死。その母の葬儀でミリアムと出会い、父よりも秘密を共有しあえる中になりました。その父は私に生活費だけを渡し、育児をするなどという思想はないようでした。そんな家庭環境の所為かしら。私は学校に行くことを拒みました。いっても授業参観のプリントを渡されるだけで苦痛でした。怖かったのですよ。周りからこれ以上孤立したくなかったのです。クラスでも運動ができて格好いいって言われていた男の子がいてね、私もその子が好きでした。そうして、ある日、私は勇気を出して彼を放課後呼び出して、告白をしたんです。彼もそのときは驚いて応えてはくれませんでしたが、すぐに答えは出ました」
そう言って、ルカは少し声を震わせた。
その声の震えは、ドア越しにレンの背中にも伝わってくるようだった。
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ご意見・ご感想
リオン
その他
こんばんは、みずたまりさん!
と、いうよりかはお久しぶりです、でしょうか。
午前二時ですかっ!?ダメです、私だったら寝過ごしてしまいます。ずっと起きていなきゃダメです…。
ルカの過去について今までは大して触れられていなかったので、今回はこんな風になっています。ルカさんの声はダイスキですから。高音も低音もかっこよくって。トエトもいいですよねー。
腎臓は二つらしいですね。一つで生きていけるのになんで二つあるんだろ。とか思ったら負けだと思うんです。きっとスペースを埋めるためですよね。
じ、腎臓…読めてよかったですね!!知識なんてニュース見ていればたまりますよぉ。
あー。変態さんは刑務所に連れて行きましょう。ミリアムさんにお願いしておきます。
いや、まったくめでたいことですなぁ。(↑正しい対処法)
しばらくの間レンはリンとかルカの後ろに隠れて生活することになるかも…。
レオンの辞書に「自重」という文字と「遠慮」という言葉は存在しないんです。自重することはないですね。
あ、旅行が楽しくなるといいですね!!サヨウナラ!!
2009/08/28 20:53:46