第十章 01
 稜線に氷雪をたたえた峻厳な山脈が、月明かりの下にたたずんでいる。
 山脈には草木などほとんどなく、あれた岩肌がのぞいている。
 そんな山脈の中腹をゆく一行があった。その数は十二人。皆、山を越えるための装備は持っていない。
 身につけているのは革の鎧。手にしているのは剣だった。
 山を登るには向かない装備に、一行の表情は険しい。草木の生えない大地は昼間との寒暖差が激しく、昼間は焼けるような暑さだったというのに、深夜となれば震えるほどの寒さになる。
「本当に……こんな所にあるのですか?」
 先頭をゆく二人、男女の片割れがもう一人の女性に尋ねる。その寒さに、吐く息が白い。
「不思議に思わなんだか? 王宮の地下にある水脈は、本当は一体どこから流れてきておるのじゃろう、とな。地下水脈の流れる洞窟があるならば、それは上へと流れをさかのぼる事が出来るはずじゃ」
 彼女――焔姫はそう言って立ち止まると、眼下を見下ろす。
 焔姫に続いて山を登る者たちの背後、はるか下方には、月明かりに照らされた街の姿があった。これだけ離れてみると、あの街での凄惨な出来事の数々が嘘のようだった。王宮前広場に死体の山が築かれているとは思えないほど、静謐で美しいたたずまいに見える。
 その光景を眺め、焔姫は複雑な表情を浮かべた。
 愛する故郷であり、同時に憎むべき仇が住まう王宮。単純な思いでは言い表せられないものがあるのだろう。
 焔姫は王宮での戦いに備え、鎧を身につけている。だがそれは、当然ながら今まで戦のたびに着ていた紅蓮の戦装束ではない。
 麻の平服の上に革の肩当てと胸当てをつけただけの、華やかさや繊細さなどとは無縁の、軽歩兵と何ら変わりのない装備だった。
 山を登る十二人全員が、同じような装備に身を包んでいる。
 重い金属の鎧による防御力よりも機動力を重視したためであり、同時に金属製の鎧など手に入らなかったためでもあった。
 焔姫の腰には剣の他に、調理用と大差ない短剣が下がっていた。それらも、切れ味は以前使っていたものと比べるべくもない。
 人数も少なく、装備の質も劣る。そんな中での決死の行軍だった。
 焔姫は街から視線をはずし、斜面の上へと向けると、また山を登りだした。
 焔姫の歩き方は、どこかぎこちない。それは、まだ怪我が完治していないという事実を如実に示していた。背中の傷に負担をかけないよう、腰から背中にかけての姿勢をなるべく変えないように焔姫は登る。
 周囲の岩に手を伸ばす際は、必ず左手だ。傷がほぼふさがった今でも、右腕は胸より高く上げる事は出来ないままだった。腰に下げた剣も、左手で抜くために右側にある。
 利き腕が使えない事に対する焔姫の胸中の葛藤を知っているのは、隣で歩く男のみだ。彼も剣を腰に下げているが、その取り回しに慣れていないのだろう。幾度も剣を岩場に当てるたび、その様子を見た焔姫がため息をついている。
 一行がとある岩場まで登ってくると、焔姫は立ち止まって振り返る。
「こちらじゃ」
 皆を手招きし、焔姫は大きな岩の影に隠れる。
 焔姫を追って岩の裏側へと回り込むと、そこには人ひとりが入れるくらいの穴がぽっかりと開いていた。
 焔姫はその穴の手前に立ち、にやりと笑ってみせる。
「余が生まれる前、王宮を作った時に、この洞窟を利用して緊急の脱出口を作ったそうじゃ。王族しか知らぬこの道は、今し方までは余しか知らなかったという訳じゃな」
 皆がその洞窟の入口に見入っていると、焔姫は前に向き直ってその暗い穴に足をかける。
「……ついてまいれ」
 洞窟の中に明かりなどあるはずもない。中へと入っていった焔姫の姿は、すぐに見えなくなってしまう。
「……」
 男は思わず、背後にいる元近衛隊長も顔を見合わせると、どちらからともなくうなずきあって歩を進めた。
「明かりは点けぬぞ。気をつけてついてまいれ」
 前方からそんな声が響いてくる。
 視覚にはほとんど頼らず、衣ずれや足音の反響音を頼りに、皆は進んだ。
 それから歩いた時間は、山を登った時間のゆうに二倍に達しようかというほどだった。
 やがて、焔姫が歩みを止める。それに合わせ、他の者たちも立ち止まった。
「……ここじゃ」
 焔姫の小さな声はそれなりに反響していたが、それも背後にのみだった。それはつまり、焔姫は岩か何かの壁を前にして立ち止まったという事だ。
 焔姫の立ち止まっている所へと近づき、男は手を伸ばして焔姫の行く手をふさいでいるそれに触れてみる。
「……これは」
 男が触れているのは、岩というよりも石材と言うのが正しかった。その表面は自然のいびつさがなく、平らだ。それはつまり、人工的に整えられたものという事だ。
「今おるここは、王宮地下の祭壇の裏側じゃ。あの祭壇に近づく事が出来るのは巫女であった余のみ。誰もここに道があるとは知らなんだ」
 焔姫は目の前の壁をなでながらそう言う。
 戦ののち、鎮魂の儀で焔姫が地下の祭壇に祈りを捧げていたのが、男にはもうずいぶんと昔の事のように感じられた。だが、あれからはまだ……せいぜい一ヶ月半程度しかたっていない。
「……郷愁など、柄でもない。……ゆくぞ」
 焔姫の自虐的な台詞に、男はそんな事などないと思わずにいられなかった。だが、少しして気づく。柄でもないというのは、あくまで“皆の知る激烈な焔姫”にとっては似合わない、という意味だ。
 男がそんな事を考えている間に、焔姫は壁の横にある階段を上り始める。皆もその後を追い、階段を上っていった。
 階段の先にあるのは、焔姫の弁によれば王宮の三階にある国王の居室だ。そこまで、皆は音を立てずにそっと階段を上る。
 その間に、全員の神経がぴりぴりと張りつめていくのを男も感じた。
 たった十二人しかいない自分たちが、この国の命運を決めるのだ。
 そう思うと、男は胃がきりきりと痛むような気さえする。
 作戦の概要は、いたってシンプルなものだった。
 国王の居室に直接出てこられるという事はつまり、王宮の誰にも露見する事なく、元宰相か元貴族の、少なくともどちらかと相対出来るという事だ。
 そうして一人を仕留めた後、混乱し始める王宮内にいるもう一人を探し出して仕留める。その後どうなろうと、その二人を討ち取った事が街の民へと伝われば、民は間違いなく暴動を起こす。そうすれば、少なくとも現政権は倒れる。たとえその過程でここにいる皆が死に絶えようとも、この国が今よりもずっとよくなるのは間違いない。
 本来なら、この作戦はこの十二人だけではなく、三十人を超える人数での襲撃となるはずだった。しかし、つい先ほど近衛兵たちによって多くの者が捕まったために、それも叶わなくなった。
 この反乱は、文字通り決死の作戦となってしまったのだ。
 たったの十二人しかいない、と思うと、男は背筋に冷たいものが流れるような感覚がどうしてもぬぐえなかった。恐怖につばを飲み込み、のどを鳴らしてしまう。
 王宮に突入して、本当に二人を討ち取る事が出来るのか。
 まだ何か、自分たちは何かを見落としているのではないか。
 そう思えてならず、暗黒の中を進みば進むほど、嫌な予感は強くなっていった。

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい
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焔姫 41 ※2次創作

第四十一話

未だに、書く事って難しいと都度思い知らされます。
自分の書きたい事。言いたい事。残したいもの。
それはどれも、やっぱり自己満足の域を出ないのですけれど、それでも、人の心に残るものを書いてみたいと思うのです。
そして、その「人の心に残る」って事が、どうしようもなく難しくて、難しすぎて、試行錯誤してみるのだけれど、その度に自らの力量のなさを思い知らされたりするのです。

閲覧数:58

投稿日:2015/05/25 23:42:25

文字数:2,980文字

カテゴリ:小説

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